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第2話 世捨て人 リシケシに住み着いた画家との出逢い

旅に出る前、あれが必要かな?これが必要なんじゃないかな?と荷造りしながら悩むとき。私はいつもその土地で生きている人がいるということを思うようにしている。

「そこにも人間が住んでいるんだ。」

それならどうにでもなる。生きてる人がいる。暮らしている人がいる。何か忘れ物があったって平気。そこには人が生きているんだから。旅に出るとそう自然に思えるのに、あんなに人がいっぱいいる東京の暮らしの中で、私はどうしていつも失われることへの不安を抱えていたのだろうか。

旅をする度に荷物は減っていく。最小限の荷物。今の私に側にいてほしい、バックパックに入るだけの最小限のもの。それでも、重たい荷物を背負って生きたことなどなかった私の肉体には、その荷物たちは重たく感じた。

何時に起きてもいい。いつでもご飯を食べてもいいし、食べなくてもいい。仕事へ行くために、誰かと会うために、映画を見るために、食材を買いに行くために、時間を気にして慌てなくていい。時計などなくても、私は生きていた。私は不思議だった。27年間も生きてきたのに、時計がなくても生きていられることを、今まで私は知らなかったのだから。。。スケジュールはいつもだらしない私を管理するためにあって、その管理を大体守れない自分を、私はいつも責めていた。その管理から抜け出したいとずっと思っていたのに、それはなぜか許されないことだと信じていた。

そこまでノートに書き、寝泊まりしている二階のアシュラムの部屋の窓からふと路地を見ると、そこにはいつものリシケシの風景があった。色あせた布をぐるぐると頭に巻いき、白ひげを伸ばした裸足で歩くインド人のおじいちゃん。その隣を当たり前のように歩く焦げ茶色の痩せた牛。尻尾をふりながら自由に歩く犬。いろんな旅して来たのだろう、ドレッド頭のヒッピー。ヨガマットを背中に抱えてた白人女性。そしていつもバナナを買っている果物屋のおばちゃんがふとこちらを見上げて、目と目があい自然にお互い微笑む。

アシュラムとガンガーの間にたつtempleからは、今日も巡礼者たちが鳴らす鐘の音が響き渡る。

カラン カラン カコン  カラン 。。。。

その音は、まるで夢の中で鳴っているかのようだ。
ここが一体どこで 今が何時何分で、、、
今日は何をやらなくてはいけなくて、、、
わたしが誰で あなたが誰で、、、

そんな縛りを やさしく紐解いてゆく 「 ゆりかご 」のような 
その鐘の音色。


そろそろチャイでも飲みに行こうと思い、ルピーの入った小さな刺繍入りのポーチを手に取る。インド綿のショールを日差しよけのために頭に巻いて、バックにはいつものノートとペン、カメラを放り込む。今日はどんな1日が始まるんだろうと、胸の奥がうずく。

木で出来た水色の渋いドアを締めて、日陰になっている廊下を裸足で歩くと、床がひんやりと冷たい。階段を降りようとした瞬間、どこからか不思議な音色が聞こえてきた。頭がうねうねする。シタールだ。この不思議な音階は次元を変えるようなパワーがある。

その音色がする方へと自然と足が向かうと、ある部屋の前にたどり着いた。ドアの隙間から白い煙が宙を舞い、太陽の光に照らされなんとも神々しい。

覗いちゃいけないのかもしれない。でものぞきたかった。音色と煙の向こう側を。わたしはドアの隙間から顔をこっそりとのぞかせた。

そこは色彩の部屋だった。目に飛び込んできたのは、赤、青、黄色、オレンジ、パープルに緑に。。。ありとあらゆる色彩がその部屋を覆い尽くしていた。

白い煙と、うねる音と、その色彩はどれもハーモニーになっていて、わたしはあまりのエネルギーの強さに身動きが取れなくなっていた。

welcom

低くて静かな男の人の声だった。その声にはっと我に帰る。わたし?わたしを呼んでる?その煙と色彩の部屋の真ん中に、その声の主が片膝を立てて座っていた。

「な、ナマステ」

わたしはドキドキしながら、その部屋に一歩を踏み入れる。ヨレヨレの味のあるベージュのTシャツにインドのルンギを腰に巻いた男の姿。長いグレーの髪の毛を絵筆のように一つでまとめ、大きな青い瞳でわたしを見ていた。部屋をもう一度よく見つめると、その部屋は彼が描いた神さまのような絵で覆い尽くされていた。彼の部屋、そして彼の存在、彼が発する白い煙、全てがひとつのアートになっている。男は何も言わず、訪問者であるわたしの存在を自然に受け入れていた。よく絵を見ると全て美しい瞳を持つ女性の絵だった。絵は額を飛び出し、壁にも描かれている。一つ一つを感覚だけで見つめていると、ある一枚の女神様の絵に釘付けになった。

wow 、、、so beautiful と心の中で呟く。

息を飲んだ。なんて美しいんだろうと。夜と満点の星と森を身体に宿した女神のように見えた。

インドにいるとよく見る神さまの絵。でもこの神さまは彼のオリジナルの色と姿をしていて、それがとてもわたしの感性に響いてきた。彼にはこういう風に世界が見えているんだ。。。と。

神さま。。。彼はなぜ女性や神さまの絵ばかり描き続けるんだろう。

男はわたしの存在を気にすることなく、描きかけていたキャンバスに色をのせ始めた。わたしは邪魔にならないようにとそっと手を合わせてお礼をし、部屋をそっと出ようとした。すると彼がすっと立ち上がり、わたしに一枚の紙を差し出した。

「This is small present for you」

わたしはびっくりしながらその紙を受け取ると、そこにはさっきわたしの心を躍らせた女神の絵が描かれたポストカードだった。

わたしはもう一度呟いた。今度は声に出して。

「So beautiful 」と。

男は初めて目尻を下げて微笑んだ。そして散らばっていた荷物を手で豪快に片付け、私が座るためのスペースを作ってくれた。わたしはそこに、少し緊張しながら座った。彼の放った色彩は、天井にまで伸びて後光のようになっていた。

男はごそごそとガスバーナーを取り出した。何年も愛用しているようなステンレスの小さな鍋に水を入れ、火をかけた。お湯がコトコトと沸く音が聞こえると茶葉を入れ、ミルクを入れ、スパイスをパラリとちらした。その手つきはインド人のようだった。

「You wanna sugar?」

「Yes please. Thank you」

小さなガラスのグラスを二つ取り出し、男はそこにチャイを注いでくれた。

チャイを目の前に、あ、わたしさっきチャイを飲みに行こうと思ってたんだった。と思い出す。相変わらずまるでなにかの導きのような毎日で笑ってしまう。

男の名前はサンと言った。歳は40代後半くらいだろうか。ヨーロッパのどこかの小さな村から旅に出て、ここリシケシのこのアシュラムに住み着いた画家だった。彼は半年ここで絵を描き、半年は好きな場所へ旅をしたり、故郷へ帰るという暮らしをし出して8年だと言った。

彼は喋り出すと少年のようだった。部屋は絵の具や絵筆、キャンバスが宝箱のように散りばめられていて、彼に必要のない物は存在していなかった。

わたしは彼に聞いた。

「なぜここに住み始めたの?」と。

彼はすぐにこう答えた。「Becouse I love ganger」と。

彼もガンガーに魅了された一人だった。これほどまでに人を惹きつけるガンガーの女神。彼が描いているのは、もしかしたらガンガーの女神なのかもしれないと思った。

そしてわたしは頷き、もう一つ質問をした。

「なぜあなたは女性ばかりを描くの?」と。

すると彼は真剣な眼差しでわたしを見つめこう言ったのだ。

「Becouse 、、、I love women !」 

私たちは声を揃えて初めて笑った。

彼は色々わたしに話したいみたいだった。でも英語がそんなに分からない私は、彼の話を感覚で聞くしかなかった。早口の英語と白い煙がわたしを若干クラクラさせた。サンは一枚の写真を取り出しわたしに見せてくれた。

これが前の俺の家だよ

そのしわくちゃな写真には、まだ少し痩せていて若いサンの姿と、絵が描かれたキャンピングカーがあった。

サンは昔、サラリーマンのように生きていた時代もあったらしかった。でも、彼は毎日同じサイクルの暮らしに飽き飽きして、全てを捨てて画家として旅を始めた。

「こわくなかったの?」とわたしは聞いた。

すると彼は自分の描いた絵をちらりと見た後、長いあごひげをインド人のように撫でて言った。

「人は自分が信じた世界に生きている。」 と。

「自分が信じた世界に住んでいる?」

「そう、君が信じた想いで、この世界は創られているんだよ」

わたしはその言葉にドキッとして、一瞬固まった。

するとギギっという音と共にドアがすっと開いた。

「ナマステー」

場の空気を和ませるような女神のような声がした。振り返るとそこには金髪で若草色のパンジャビを着た女性が立っていた。


つづく






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