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探究レポート

上宮氏のチャネリングを3年間読み込んで・・・

「自分はこの自分のままでよかったんだ」という気づき、納得(腑に落ちた感)を得られた。

 そして、良いことも悪いことも含めた、自分の置かれた状況全体、そして自分自身のやさぐれた性格、社会の底辺にいることも含めて、全てひっくるめて「これでよかったんだ」と自信を持って肯定できるようになった。

 そして、楽になった・・・と同時になんだか全てが楽しめそうな楽しい気分にもなった。

 一言で言えば・・・解放された気分になっている。

 これが上宮氏のチャネリングを3年間読み込んだビフォア・アフター(ビフォアを書いていないが、まぁ一言で言えば、間違いなく苦渋の人生だった)である。

 なので、今日は、なぜ「上宮氏のチャネリングを読み込んだ」ことで、苦渋の人生から自分は解放されつつあるのか? 書いてみたい。


ビジョンが明確になった → つまり自分が向かうべき場所が見通せるようになった


 なぜ解放されたのか?

 その理由は・・・
 
 「この世界の〈仕組み〉がわかった」ということと、「自分がどういう課題を持ってこの世界に生まれてきたか?」がわかったからだと思う。

 真実は、人それぞれ異なるものである。なので「自分にとっての真実」を人に押し売りする気はない。

 しかし、自分と同じような悩みや苦しみ、葛藤を抱えている人にとって、自分が理解した真実は、役に立つと思う。

 私が今、選択している仕事は電子書籍の執筆である。

 どのような読者に向けて、私は書いているのか?
 すなわち、誰に読んで欲しいのか?

 自分が発信する情報を必要としている人はどのような人なのか?

 それは「この世界を何かオカシイ、変だ」と感じる感受性を持った人が対象ということになる。

 私自身のこの数十年の苦渋の探究・・・真実を求めて彷徨い歩く流浪の民のような人生の始まりに「この世界に対する異和感」があったからだ。

 この世界の価値観、世界観、ものの考え方、それらに自分は馴染めなかった。
 「何かがオカシイ」と感じ、そして「何がどうおかしいのか?」 その元凶となっているモンダイの根源にあるものを突き詰める紆余曲折の旅が自分の人生そのものだった。

 それは同時に、「違和感を感じない=自分の心にフィットした世界観」の模索、探究でもあった。

 私が様々な宗教の教義や精神世界、スピリチュアル、思想哲学の世界を遍歴したのはそういう理由からだった。

 自分の探究の旅のベースには、20代後半に学んだカタカムナの潜象物理の世界観がある。(潜象物理とは、見えない世界と現象世界の仕組みや構造を解き明かす哲学である)

 私が上宮氏のチャネリング情報を信頼する根拠は、上宮氏がコンタクトしている統治者の世界観にカタカムナと共通の世界観が見られたからである。

 数十年の思想遍歴の結果、はっきり言えることは、そのような思想・哲学は他になかった。

 だから、私は、上宮氏のチャネリング情報に信憑性があると判断した。

(上宮氏のチャネリングの内容は、精神世界、スピリチュアル、陰謀論で語られているような情報も一部ある。と同時に、 精神世界、スピリチュアル、陰謀論では全く語られていない、より真実に近いと感じる情報が多くある。その考えは現代社会では、市民権を得ていない異端であるが)

 しかし、上宮氏の情報は、スピリチュアルものでも陰謀論でもない。なぜなら根底にある思想が、スピリチュアルや陰謀論の根底にあるものと全く異なるからだ。

 諸悪の根源、元凶としてあるものの〈特定〉(弁別)を間違えると、解決の方法論も全く異なるものになる。

 上宮氏のチャネリングが、スピリチュアルや陰謀論と一線を画す異なるものであると言えるのは、現在の文明社会の根源にある問題の特定の仕方が他の思想哲学の方法論や手法と全く異なるからである。

 氏のチャネリングの内容が提供する世界観は、他のどこにもない、全く独自のものである。唯一無二と言っていい。

 これまで、3年間、氏のチャネリング文書を読み込んで、最も近い思想哲学として思い浮かんだのは、やはりカタカムナの世界観や考え方だった。

 フトマニやマノスベと言ったカタカムナの重要概念について、現在、巷の本屋に並んでいるカタカムナ本は、一切、まともな説明をしていない。

 それに対し、上宮氏のチャネリングでは、フトマニやマノスベと言った概念にとても近い概念や考え方の言説が随所に見られる。

(なので、副次的なことではあるが、自分の探究心・好奇心の矛先には「なぜ、上古代の人間の哲学と、宇宙の管理層の哲学理念が共通しているのか?」という不可思議な謎の解明にも向けられている)


 ・・・長くなったので〈ビジョン〉につていはまた別の機会に書くことにしよう。

 しかし、この文章の締めくくりとして、
 「なぜ、私は自分の苦渋の旅の人生から解放されつつあるのか?」を整理しておこうと思う。

 上宮氏がコンタクトしている存在のメインは、宇宙の管理層に属すると思われる統治者、計画者、製造者などである。

 彼らの提供する情報によって私は、この世界の理不尽さの元凶はなんであるのか? のおおよそのことを知ることができた。

 そして、それによって自分自身の世界観を構築できた。これによって長年の疑念である「なぜ、自分はこの世界に異和感感じ、馴染めなさを覚えるのか?」の理由の半分がわかった。
 → つまり、この宇宙と地球の現状について解像度の高い世界観を持てた。

 もう半分は、「自分とは何者なのか?」という、自分の魂のルーツや、出自に関する疑問の答えのおおよその察しがついた、ということによる。

 
 ちなみに・・・唯物論的思想の人の考えでは、「〈自分〉とは、肉体を持って生まれてきてからの経験の総量から生じる分離意識に根ざした幻影」と考えている人がいる。(つまり、〈自分〉とは、主観性がもたらす幻影、という発想だろうか・・・)

 先に書いたように「真実は人それぞれ」なので、当人がその答えに納得しているのであれば、それはその人にとっての(また共感者にとっての)真実である、ということは否定しないが、私の世界観から言えば、見当外れの観念に過ぎない。(このような観念が、この世界で説得力がある説に聞こえるというのは、いわゆる精神世界の言説の背景に筋の通った思想哲学がないことによるのだろうと思う)

 意識体としての人間は、何十万年か分からないが膨大な時空間の転生の旅をしている。その固有の履歴性と志向性こそが〈自分〉の本質である。

 今生だけの人生で〈自分〉の本質など理解できるものはない。
 今生の課題というものは、いくつかの転生経験から、自らプログラムしている。
 つまり、この人生の青写真は、生まれてくる前にある程度決めて、それに応じた親や環境を選んで生まれてきている・・・というのが「宇宙REAL情報」的世界観である。

 「自分という、身体を持って存在しているものとは、それぞれの魂の課題、もしくはミッションを持ってこの世界に生まれてきた器」という考え方は、スピリチュアル系では珍しくない考え方だろうが、そのバックボーンとなる思想に確かさがないし、方便程度の解像度でしか語られていない、というのが私の感じるところである。

 私が苦渋の人生から解放された理由の整理に戻ろう。

 この宇宙の現実と本質的問題、そしてそれを背景にした地球の現状認識。それプラス、自己の本然の課題の明確化・・・これらによって、私は自分の苦渋の人生の意味を知ることが出来た。それによって私は解放された。
 
 これらの作業によって私は意識をスッキリさせることができた。

 と同時に、これからの過酷な時代状況の中で、どのように生き抜いていくのか? そして「向かうべき場所」はどこなのか? 割り出すことができた。

 そして情報発信者としては、「誰に(Who) 何を(What) どのようにして(How)  発信すべきなのか?」
 ・・・さらに最も重要な「なぜ(why)」という、使命、存在意義も明確にすることが出来るようになった。

 (もし自分が、唯物論思想のような自我観念の固定観念にとどまっていたら、こうした地平には辿り着けなかっただろう。唯物論思想が生み出す『雑多な想念』=ノイズに惑わされずに前に進めるようになったことも、宇宙REAL情報を読み込んだ成果と言えるだろう)

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