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「働く」のとらえ方が変わった幸せ

ふだんは鹿児島に暮らしているのですが、

ただ今、とある理由から長野の雪国で生活しています。

 

 

ひょんなことから雪国暮らし。

 

 

 

きっかけは、

 

16歳の息子が、

スノーボード(略してスノボー)をしたいと願ったこと。

(さきのオリンピック、スノーボードで優勝した、平野歩夢(ひらのあゆむ)さんをご存知でしょうか。)

 

 

 

雪のない南国鹿児島ではスノボーを出来ない彼は、知人から

「スキー場で働きながら、夜はスノボーがし放題だよ」

という話を仕入れてきました。

 

リゾートバイトというものがあるらしいのです。

 

 

 

自分でお金を稼ぐことが出来て、しかもスノボーを毎日出来る!!

 

 

 

息子はアルバイト募集をしているスキー場をくまなく探し、

人事担当の方と交渉をしていきます。

 

 

しかしながら、

 

16歳、未成年であることから

「なにか起きた時に責任を取れませんので・・」と断られ続けました。

 

 

それでもあきらめ悪く食い下がっているうちに

とあるスキー場の人事の方から

 

「じゃあ保護者付きならOKです」と条件付きで許可をもらえたので、

私が傍で暮らすことになったという次第です。

 

 

「・・それならついでに、お母さんもここで働いてもらえませんか?

いまシーズンなので、一人でも人手があったら助かるんです!!」

と話が展開し、私までスキー場のレストランで息子と働くことになりました。

 

 

 

息子は人生初のアルバイト。

私は30年ぶりの飲食店でのアルバイト。

 

 

会社から社員住宅をあてがっていただき、

そこからスキー場まで毎日、息子とトコトコ雪道を歩いていきます。

 

こんな雪道を、ツルツル滑りながら歩きます。

 

 

 

そういった理由で、

ひょんなことから長野県の白馬村という場所に暮らしております。

 

 

こちらは絵にかいたような白銀の世界で

美しい写真のなかを歩いているようです。

 

 

先日の休日にはゴンドラで山頂まで登り、

高いところから日本アルプスの連山を眺めてきました。

 

 

巨大つららが目の前に

 

 

 

それにしても、

 

ただ保護者として息子のそばにいるのではなくて

 

いろんな年齢層の人たちとレストランの厨房で食材の準備をしたり

スキー客を相手に料理を提供したり、

 

膨大な洗い物や配膳をするのは

新鮮で刺激的で面白いものです。

 

 

 

一緒に働いているスノボー目当てで働きにきている大学生の男の子の背中からは、

「あーー早くバイトの時間終わらねーかなー。。。

スノボーしてーー!!」というオーラが漂っており、

お皿や鍋も放り投げるような置きっぷり。

 

見るからにやっつけ仕事です。

 

 

・・私も彼と同じくらいの年の頃は

働くという意味が分かっていなかったので、似たようなものでした。

 

いま思うと、もったいない時間の過ごし方をしていました。

 

 

久しぶりに「どこかの組織に所属してお給料を頂く」

という働き方をしてみると、

働くことはこんなに新鮮で面白いものかと思います。

 

 

テーブル拭きも気持ちいい。

 

テーブルがピシーっときれいになっていれば、

そこを使うお客様の状態も気持ちよく調うことでしょう。

 

 

昨日よりも早くお皿を拭いて片づけまで終わらせるには、

どこを工夫したらいいか?

いまこの動きをするとどうなんだろう?

 

 

調理担当の人が取りやすい鍋の置き方は?

 

 

あ、この方のお客さまへの声のかけ方、

ムダにせかせかせず、きちんと誘導されてる。

真似してみよう!

 

 

・・など、

 

どんな仕事に取り組む時も、

いや、何をしていようが、

よりいい状態にしていくことっていくらでも出来るんだなと思います。

 

 

「働くとは、“傍(はた)を楽”にすること。」と言われますが、

 

すべての「働く」という行為は、

既に誰かが作り上げた仕組みを使って、縁ある方を楽にする

(たとえば お腹空いた人に、レストランにておいしいものをすぐに提供、など)か、

 

自分で誰かの困りごとを解決する方法を考え出して提供するか?の違いでしかない。

 

 

 

何であっても誰かにとっての“いま、これが必要”に役立つので、

自分のリソース(資源)がすぐに誰かの役に立てることはたくさんあるんだ。

 

 

働くことで誰かが嬉しくなったり、

楽になったりすることを感じられるのは、

 

そこに誰かとの心の交流が生まれるので

シンプルに嬉しいものです。

 

 

私は少し前まで、“自分でその価値を生み出すこと”に

執着していましたが、

 

自分の目的に沿うことであれば、

何をしていても充実感と幸せを味わうことはできる

ということに気づきました。

 

 

 

・・ただ、

 

もし、人生の最後にやり残して後悔することがないかな?

と考えた時に、何かをやってみたいのであれば

 

それを成し遂げるために

あと自分にはどのくらい時間が残されていて

 

何に取り組まなければそこに辿り着けないのか?を

よく見極めることが必要だなとは思っています。


 

 

 

 

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