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感動。

「感動って言葉はあるけど、理動って言葉はないでしょ。」

すごくすごく響いた。ロジカルにならなきゃって、知らず知らずのうちに感情を無視していた時期だったので、いい具合に力が抜けた。

心の底から心が動くような体験をもう何年していないかな?小さい時は、もっと心が震えるようなそんな自分が居たんだけどなあ。

世間を見渡すと、「証拠は?実績は?論理的じゃない。」なんて言葉をよく耳にする。私も、仕事を始めてからそういった思考に寄りがちだった。思いだけではビジネスとして成り立たないから。インターンを始めた頃は、結果を出す人が全てだと盲信している時期もあった。

勝ちパターンが全てなのか

人の採用だって、実績を元にすれば失敗した時に言い訳がつく。だから、資格とか数値的な実績があれば"勝ちパターン"としては、選考なんかにも通りやすい。

だけど、本当に大切なのは、勝ちパターンを掴むことじゃなくて、なぜそれをやりたかったのか、選考に通りたいのかという一番初めの感情に向き合うことだと思う。

勝ちパターンに関しては、ありがたいことに、昨年は、G1 collegeとmakers universityの2つに受かった。近年は、一部学歴社会が終わろうとしていて、勉強の成績だけじゃない部分で評価してくれる制度が充実している。奨学金や、入試に関しても、成績だけで判断できない本人の思いや将来に投資してくれる制度。

もっと広まればいいなあと思っている。(学校の勉強では"バランスよくなかった"のであまり成績は芳しくなかった。)

だけど、ここに少しばかり違和感を感じている。結局、これも勝ちパターンを掴めるようになったもの勝ちだ。少なくとも学生界隈では、それだけである程度のフィールドにいけてしまう。だから、だいたいどこのイベントに参加しても顔なじみばかりだ。

そこで、やっぱり私が大切にしたいものは、なぜそれをやりたいのかという心の底の声を無視しないこと。だから、トビタテの応募に踏み切れない。私は自分に納得しないと受けたくない。そこそこのことを話せば、多分受かると思う。それなりに内面的なバックグラウンドと今の実績と、それを踏まえた将来の展望。数字のスパイスも加えて。

だけど、それでは意味がない。「自分自身に心が震えるような感動ができるか。」をもっと大切にしていたい。

「夢・感動・挑戦」

感動に関しては、小学生のバレーボールをやっていた頃、「夢・感動・挑戦」という言葉をよく鬼スパルタコーチが言っていた(笑)

「感動は、感じて動くから感動させられる。夢があって、感動して、挑戦する。」

社会的成功だけじゃなくて、自分に納得できるかどうかは「感動」で判断してみようと新たな軸ができた。

「感動って言葉はあるけど、理動って言葉はないでしょ。」



友人とシーシャに行きます。そして、また、noteを書きます。