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服と育つたのしみ

「ファッションが好き」「服が好き」という気持ちが今まであまり分からなかった。衣食住の中で、一番、優先度が低いのが服だった。もちろん、服を買った時の高揚感、別の自分になった時のワクワクした感じがないかと言われれば、嘘になるけれど、それはどちらかというと瞬間的な消費の楽しみに近いかもしれない。旅行前には都市部にあるZARAでちょっと変わった形のワンピースを買ってみたり、デートの度に古着屋でちょっといい感じのトップスを買ってみたりする。

わたしには、服というのは、ただ「着られたらいいもの」「たまに気分が上がるもの」くらいでしかなかった。人生におけるカンフル剤というような感じだろうか。ZARAの変形ワンピースやCOSに並ぶ変わった服たちは、あまりパッとしない自分を簡単に「何者か」に変えてくれる気がした。

丁寧につくられたものは好きだし、2万円くらいするシャツなんかも買ってみるけれど、正直、ユニクロとの違いは、デザインがいいから、希少だからくらいでしかお金を払っていなかった。

なぜ服を着るのか、服が好きってどういう感覚なんだろうかとずっと疑問だった。

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そんな矢先、ひょんなことから、2020年末、お気に入りのワンピースを藍染めしてもらうことになった。

藍染のイメージといえば、無知で恥ずかしいけれど、マダムが地方の藍染体験でストールを染めているみたいなことしか知らなかった。(たまにFacebookで見かけるなくらいの認識でしかなかった。)

きっかけは、広島県福山市山野町にある「藍屋テロワール」さんに出会ったこと。初めて、藍というものの奥深さを知ることになった。

実は藍染の液は、全然青くない緑色の葉っぱからつくられているということ。藍染の染める工程はほんの一部で、その液がつくられるまでに、何ヶ月もかかるということ。微生物たちの機嫌をうかがいながら、毎日毎日かき混ぜなければいけないということ。

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苦労しているからいいものだと言いたいわけではなく、こうして文字通り手をかけないと出せない、人の生活のなかにある菌と微生物たちが出会うことではじめて完成する色があることを知った。

まだ、季節を一周していないし、大変な作業を一緒にしたわけではないから、やっと藍色が出た時の感動は計り知れないけれど、きっと、畑を耕し、葉っぱを育てて、1年後にきれいな藍色になった時の感覚は、なにものにも変えがたいんだろうなと思う。

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ワンピース

そうして、藍に触れるなかで、わたしにとって、自分が「何者か」になるためでしかなかった服が、徐々に「そのままの自分に寄り添ってくれるもの」になっていく。

そのワンピースは、別に変わった形もしていない、どこにでもある無印のコットンのワンピース。だけど、着心地が良くて、初めて、値札ではなく、素材のタグを見て買った服だった。

23歳にもなって青臭いなと思うけれど、フリーランスとして生きていくなかで、ずっと何者かであらなければいけない、何かしらの形で社会の役に立たなければいけない、結果を出さなければいけないという焦燥感があった。それに反するように、何もしたくない、ぼーっとしたいという背反な葛藤を抱えながら生きている。

何も進まないと思う日も、代わり映えない日常のなかでも、藍色のワンピースは、少しずつ色を変えて、日焼けや生活の癖、いつもの匂いを纏って、わたしが着ることでしか出せない色と柔らかさになっていく。

何者かになるために瞬間的に消費する服も楽しいけれど、毎日袖を通すものくらい、いちいち何かを目指さなくてもいいなと思った。どう見られるかを気にして買う派手な服もいいけれど、地味で手がかかるけれど、数年後に好きになる服も悪くない。

藍染をした服は、大袈裟な表現かもしれないけれど、無機質だった服に、生命が宿るような楽しさを与えてくれた。今までにない形で、少しずつ服との関係性が育っていくようで、今年1年、どんな服を育てていくのか、そして服に育てられていくのかが楽しみだ。

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今回、服を染めていただいた藍屋テロワールさんの藍染サービスは、こちらの紺屋 | koyaから注文しました。






友人とシーシャに行きます。そして、また、noteを書きます。