1000人の研究者が集まった──IFTRに参加して
マニラに行ってきた。
初めてのマニラは、街を歩いていると、とんでもない交通量や排ガス臭さに辟易したり、あり得ない量の電線の束に漏電の心配をしたり、いわゆる貧困エリアのような場所でも人々は温かく微笑んでくれるのに犬に追いかけ回されたり、汚い屋台のハエのたかった焼き鳥みたいなのが抜群に美味しかったり。と、5分に1回くらい常識の斜め上を行く光景を目撃して、ひっくり返されすぎた価値観が天地を見失うくらいには刺激的だった。バイクタクシーとジプニーには乗った方がいい。
それはさておき。
なぜマニラに行ったのかといえば、IFTRに参加してきたのだ。
IFTRとはInternational Federation for Theatre Researchの略で、つまり「国際演劇学学会」というようなもの。世界44の国々で活躍する数多くの演劇研究者が加盟するこの団体。年に1度の大会が、今年はマニラのフィリピン大学ディルマン校で開催された。昨年、Japan-Britain Contemporary Theatre Exchangeと銘打って、私と学習院女子大学の内野儀先生を呼んだランカスター大学のベリ・ユライチさんが声をかけてくれて「Practitioner's Voices: Coping with Crisis」と題されたパネルの中で30分のワークショップを行うことになった。昨年、この作業部会であるアジア演劇ワーキンググループの集まりでもワークショップをしたのだけど、IFTR本体の大会は初めてである。実際の人数は定かではないが、ベリさんによれば1000人くらいが参加しているらしい。
5日間ある大会初日の朝から2番目のプログラムという時間。このパネルでは、花崎攝(せつ)さんがPeace Cell Projectとしてイラクで行ったワークショップの活動について紹介したり、舞台美術家としても活躍していてエコセノグラフィーの研究と実践を行う大島広子さんが彼女の実践を発表したりした。
これに続いて、私が行ったのが自分の作品である『俺が代』の手法を応用して、テキストを身体化するための手がかりとなるワーク。国連憲章の主語を「I/my」に変えて、これをペンでなぞってもらう。そして、他の人には、これをなぞっている姿を見てもらう。
今回、このやり方は初めてだったので、もうちょっといろいろ改良したほうがよかったなあと反省する部分も多かったのだけど(「自分の言葉として引き受けて」ということを強調したのだけど、なかなかどうして自分の言葉として引き受けるのは難しく、どうしてもさっさと書いてしまう。そして書く手元を写したビデオが見えづらかった)、概ね、自分の考えについては伝えられたのではないかと思う。シンガポールの研究者が、ぜひこの方法を使いたいと声をかけてくれたのと、サンパウロの研究者が『俺が代』に興味を示してくれたのでビデオを送ったりした。
と、まあそんな感じでワークショップはつつがなく終わったのでもう帰ってもいいのだけど、せっかくマニラまで来たのだから、会期の最後まで滞在した。
IFTRのパネルはジェネラルパネルと呼ばれるセッションと、それぞれの作業部会であるワーキンググループ、そして博士課程の学生が発表するニュー・スカラー・パネルなどに別れており、この他、演出家のオン・ケンセンなどを招いた基調講演や、上映会、セレモニーが行われるなどイベントが目白押しである。
ワーキンググループには、「アジア演劇」「フェミニズム」「政治」「ニューメディア」「サミュエル・ベケット」「翻訳とドラマツルギー」「舞台美術」「クィアな未来」「エンタメ演劇」「パフォーマンスと政治」「パフォーマンスと宗教」「パフォーマンスと障害」など、ほんとうに多岐にわたるテーマが用意されていて、各研究者はどれかひとつの部会に所属しているらしい。
500ページほどのプログラム(!)を一瞥して驚くのはそこで語られる話が尋常ではなく多岐にわたること。なにせ、1000人の研究者が、それぞれの視点からそれぞれの研究領域を掘り下げているのだ。こちらの部屋で「ベケットにおける笑いの意味」という発表をしているかと思ったら、あちらの部屋では「ホーツーニェンのVR作品について」の発表がなされていたり「リラックスドパフォーマンスについての概念的フレーム」が発表されている。あっちの部屋でもこっちの部屋でも、古今東西さまざまな演劇の話をしているわけだ。そんな(悪)夢のような空間がIFTRである。ちなみに、日本の現代演劇としては、跡見学園女子大学に在籍していてドラマトゥルクとしても活躍する横堀応彦さんが贅沢貧乏についての紹介をしたり、東京大学のBARBARA GEILHORNさんが豊岡演劇祭について、明治大学の萩原健さんが自身でも翻訳した、築地小劇場の『海戦』について、そしてベリさんが神里雄大さんの作品についての発表を行っていた。
私の場合、アジア演劇グループに加入しているわけではないので、興味深そうな部会にいろいろ出入りしていた。私は、修士号すら持っておらず論文の1本も書いたことがないのだけれども、プラクティショナーとして参加して、現場の目線からの話をすると、意外なほど喜ばれた。特に、ベケット部会に参加したら、わたしたちの活動にとても興味を示してくれて『福島でゴドー』『しあわせな日々』『NOT I』などについてプレゼンテーションをさせてもらった。後で聞いたところ、彼らとしても研究者だけでなく、実作者を呼びたいのだけど招聘するお金がないのでなかなかそれが叶わないのだという。パネルを聞いていても、特にベケット作品などは、実作者の視点からは違うことが言えるんじゃないかと思えるパネルは少なくなかった。
さて。
こういったアカデミックな議論に参加することがアーティストにとって現場での創作にも役に立つ、と言いたいところだけど、実際のところはそんなにうまくいくものでもない。「マレーシアの15世紀の英雄を巡る表象」というパネルに参加したところでおそらく私の創作は1ミリも変わらないし「19世紀のインドのサーカスにおけるマスキュリニティ」の話からは、なかなか影響を受けられない。やっぱり、創作のテーマとかコンセプトにガチッとハマっていないと、直接的な意味で役立てるのは難しい。けれども、演劇を巡る生態系にはアカデミアというカウンターパートがいて、彼らは謎の熱を持って演劇に彼らのとんでもなく優れた知性を注いでいる。この謎の熱量には刺激を受けるし、それを受けた後では演劇というものの見え方も変わってくる。その意味で、とても刺激的だし、影響を受けた5日間だった。
来年はじめに、埼玉大学でアジア演劇部会の集まりがあるらしいので、東京近郊に住んでいるのであれば覗いてみるのをおすすめする。おそらくここでアナウンスされるでしょう。
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IFTR 2024 Manila, Philippines
Conference
IFTR Annual Conference 2024
University of the Philippines Diliman
Manila, Philippines
15 – 19 July 2024
Our States of Emergency: Theatres and Performances of Tragedy
Asian Theater Working Group
PRACTITIONERS' VOICES: COPING WITH CRISES
15.July.2024
Chair/Moderator:
BERI JURAIC
University of Lancaster, UNITED KINGDOM
“How Scenography Can Contribute at the State of Climate CrisisPotential of Ecoscenography”
HIROKO OSHIMA
Independent Artist-Scholar, JAPAN
“Peace Cell Project (PCP) In Iraq For Peace-Building”
SETSU HANASAKI
Independent Artist-Scholar, JAPAN
“Democracy as a Verb: Thinking about the Tragic and ‘Public’”
(with workshop elements)
YUTA HAGIWARA
Kamome Machine Theatre Company, JAPAN
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