【最近のマンガ話#1】「チ。地球の運動について第4集」または、ルールを守らせる側になる面倒くささ

メインのブログに書いた記事からの転載です。


最近読んだいくつかのマンガについて語りたい事が溜まってきたので、ラフに連続記事にしてみようかなと思う。

まずは「チ。地球の運動について」の第4集。このマンガの主題については以下の記事で以前紹介したので省略する。

巻を重ねても相変わらず面白いのだけど、特にこの4巻を読んで、本筋とあまり関係ないサイドストーリーの設定にものすごく感心した。

このマンガの「悪役」として、C教の教義に反する思想を取り締まる「異端審問官」という職が登場する。この4巻には、新人として初めて異端審問の職に就く2人の青年が登場する。

異端審問の仕事は、異端者に拷問を行うダーティーワークだ。彼らは、学生ノリが抜けない新卒社員のように、自分たちの仕事にいまいち自覚的になれないでいる。そんな彼らに、教会の有力者が演説を行なって、秩序と道徳を守る異端審問の仕事の重要性を説く。入社式でスピーチする社長のように。新人2人はその話に感銘を受け、「弱音を吐いてる場合じゃないな」「身を粉にしてこの仕事を全うしよう」と使命感を抱く。

ここまでの描写だけでも、ある組織が個人に対して、よく言えば教育、悪く言えば洗脳をする様子がリアルに描かれているのだけど、よりスゴいのはここからだ。新人2人組の前に、マンガ全体のメインキャラクターである異端審問官のノヴァクが教育担当として現れる。

そこで彼は、「この仕事 ひじょ〜〜にめんどい」とぶっちゃけて、異端審問の仕事における「出世までの効率的な働き方」を語り始める。

つまりノヴァクはC教の信念や教義などは本当はどうでもよくて、出世の道具として官僚的に異端審問の職をこなしているだけだと明らかにされる。新人2人組は困惑する。

想像してみよう。崩れかけの秩序や権威や組織を守る側に回った人間って、いったいどんなモチベーションで仕事をするのだろうか。自分の使命感や正義感を守るといった内面的な信念を根拠に働くのだろうか。それとも、ノヴァクのように完全に仕事と割り切って働くのだろうか。例えば昨今であれば、効果の挙がらないコロナ対策が批判を受けている事を知りながら、飲食店が自粛要請に従っているかどうかを監視して回る行政担当者は、どんな気分なんだろう。

おそらくほとんどの人間は義務と実利と惰性の間で揺れて葛藤しながら働いているのだろうけれど、不確実性が増して絶対的な権威や絶対安定な組織が揺らいでいる社会では特にそういう葛藤が強いかもしれない。

マンガの中では、さらにダメ押しをするように、ノヴァクに対して不平を言う役職者が登場する。「ただでさえ異端審問官の維持に金がかかるのに、新人採用なんてバカバカしい」「審問官風情は身の程をわきまえろ」と彼は言う。つまり、実は教会という組織の中でも異端審問官という役職は不人気で信用も低いポジションだと明らかになるのだ。

・・で、そこまで目撃してしまった上で、新人2人組は異端者を拷問する「実習」に臨まされる。何たるアイロニー展開だろう。この2人組が今後もマンガに登場するのか不明だけど、彼らの葛藤を主題にしたスピンオフとか作れそうだと思う。遠藤周作の「沈黙」の変なバリエーションみたいなものになるかも。もっとも、中世ヨーロッパでなく現代でもいくらでも舞台が作れそうだ。霞ヶ関の20代官僚の離職率は、6年で4倍超になったらしい。

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