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政治家と新聞

 尾崎の政治的な活動は、中湧別から
網走の間に湧網線を開通させる
運動から始まりました。

 大正8年には、中湧別開発期成会を
結成しており、そこから道の関係機関に対し、
地道に陳情を重ね、全線が開通したのは
昭和28年となります。

 豪快で押しの強さばかりが語り継がれて
いる印象ですが、尾崎が兵役で
伍長となった際に、読み書きが出来ない事に
引け目を感じていたようで、兵役を終えると
郵便局員をしながら家庭教師を招いて勉強を
頑張るなど努力家でもあったのでしょう。

 一旗組の中でも成功者として語られている
尾崎天風ですが、そこまでの道のりを開く鍵
の一つには、「新聞」という世界に触れた事に
あると筆者は思います。

 この時代の新聞記者が
「古き良き時代の道政に参与した著名政客たちは、
新聞と密接な関係があった。今のような大日刊紙は
なかったが、或いは経営者として、或いは記者として
新聞社に席を持っていた。」と書き記しているのを
拝読した事があります。

 道議や、代議士として活躍した人々は
政党の機関誌的なものや、反政府運動など
手前勝手な論談を展開し虚勢を張っていたものであったと。

 当時の政党が小党分立であったように、
新聞社も小さな社がでも成立しており、一番お金が
かからず、しかも効果的な役割を果たす新聞という
メディアを武器にし、まるで日々喧嘩をしている
様な毒舌合戦が繰り広げられていたそうです。

 確かに、昔の新聞を手に取ると、言葉も荒く
今の新聞記事では考えられないような持論が
繰り広げられたものが多く、驚く内容だったり
もしますが、実に人間味があり面白い内容のものが
多く感じるのです。

 良くも悪くも、政治家たちが身近に感じられる
時代だったのだろうな……という感想で、

本日の投稿は,おしまいです。



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