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異色政客 尾崎天風


 さて、官有林盗伐事件により検挙されるという
ピンチの最中に、「木材取引」の利権を手に入れ、
国政進出へと、奇跡的な展開を見せた尾崎天風ですが、
彼の原動力というのは何処にあったのでしょうか。

 北海道という新天地にて一旗揚げてやろうと、
海を渡って来た人々は数多くいますが、皆が皆、
彼の様にと富や名声を手に入れた訳ではありません。

 政治家となった尾崎天風の彼の功績の一つに、
旭川と網走を結ぶ国道を実現したという事があります。
ですので、石北峠には尾崎の胸像が建立されているのですが、
銅像のポーズは、腕を胸の前に組んでいるという
聊か不自然な姿を見せています。

 聞くところによると、「抜く手は見せぬ。」
尾崎天風は、手の内は、相手には見せないという
凄味のある人物だったといったことも耳にしました。

 石北峠とは、石狩国と北見国と繋いだ道が通る峠という
意味を持ちます。明治以前のこの島の移動は、沿岸の航海か
河川を船渡るのが主な移動手段で、内陸部には道が無かったのです。
 安政時代から使われているような道道もありますが、
今のような道路では無く、皆が散策に利用する山道ともまた違い…。
シカ道をイメージして頂くのが一番よいかと思います。

シカ道とは、仲間が通った道を往来する習性を持つ鹿が
踏み固めた道で、人類が石槍を持ち、狩りしていた時代は、
鹿を追い獲物を取る人間も、
こうして出来た道を使っていたと云われています。

 明治に入り北海開拓の為に、多くの人々が移住して来ましたが、
船による移動の出来ない内陸部の移動ルートを確保する事が
必要不可欠とされていましたが、時として6月でも
雪が降るような険しい状況の山間部に、道路を通すととは、
そう容易には行きません。


 そこを、持ち前のゴリゴリの押しの強さで要請し、
石北峠開削運動に持ち込み、本拠地としていた北見の発展に
寄与したと云われています。

 この頃に北海道新聞社会部にいたとある記者は、尾崎天風の事を
「異色政客」と揶揄しており、彼の強引さは人々に傲慢な印象を
与えていたのかもしれません。

中山正男の自伝小説「馬喰う一代」では、
主人公の父親の敵役である、小坂六太郎という人物が
木材の盗伐、イカサマ博打、娼婦を扱う料理屋の経営……と、
「守銭奴」の渾名を持ち、
それはまるで、尾崎を彷彿させるものだったそうです。

中島公園1109

             2020.11.09 初雪 中島公園 撮影 石川圭子 

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