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「潤い」のための投資 ~ 私たちはなぜ投資をしたほうが良いのか(4)

第1章(3)から続きます)

さて、次に「潤い」のための投資について考えていきましょう。

この家庭においては、「収入=月40万円」から「消費=30万円」を差し引いた、残りの月10万円のうち、生命保険(2万円)と社会保険(4万円)に計6万円使っているので、「消費しない額」は差し引き4万円(年間48万円)となります。
このいわば「余裕資金」が「預貯金=500万円」に上乗せされていきます。この家庭の世帯主は40歳と仮定していますので、仮に定年の60歳までだと、20年間×48万円(=960万円)が上乗せされていくことになります。

さて、ここで「いくら投資して、その結果いくらを手に入れるか」を決めるのではなくて、「どれだけ必要なお金を確保し終わっているのか」を先に考えましょう。

老後の「最低限」の文化的生活は、驚いたことに(笑)実は年金でかなりカバーされています。第1章(3)でも述べたとおり、年金受給開始後、夫婦で毎月だいたい24万円ほど期待できます。

よくあるアンケート結果では、老後の支出額は月およそ35万円だそうです。年金収入との差額(11万円)が平均余命(25.8年)分必要だとすれば “3744万円足りない” などと指摘されることがよくあります(「不足分を株でもうけて補充しなければ」などと早合点しないように!)。

引退時に住宅ローンが終わると仮定すれば、その後の住居コストは固定資産税と修理費です。修理費は家の大きさによりますが、マンションであれば管理費などとともに毎月払うでしょうし、戸建てであれば自分である程度貯めておくことになるでしょう。いずれにせよこれは月々の年金からの支払いとしておきましょう。成人した子供が居候したりしてその生活費を負担したりせず、また、介護費用については当人が負担できるとすると、夫婦ふたりの生活だけが「最低限」の「文化的な」水準で実現できそうです。

将来の出費のイメージを作っておこう

長い人生にはお金の準備が必要なライフイベントがたくさんあります。
結婚や出産、こどもの教育資金、住宅の購入、などなど。もちろん、これらの出費を株式などへの投資で賄おうというのではありません! 例えば、教育資金や住宅ローン、最低限の文化的生活(年金)、住居の修繕などは、その時々の収入フローで賄うべきものです。一方、医療や突然の子への生活援助、葬儀などは貯蓄から賄うべきものでしょう。そして、「潤いのある生活」のための出費、これこそ投資成果で賄うとよいと思います。例えば孫の結婚や住宅のための資金援助、自分の旅行などは「潤いのある生活」に含まれます。

上で述べた「成人した子供の生活費を負担したりしない」という点については、前にも述べたようにリスクがあります。たとえば、親夫婦の子(成人)が、小さい子供を抱えて働きにくい時期に、何らかの事情で働き手を失って実家に戻ってくるなどというケースでは、実家の親夫婦も引退後で収入が少ないのですから、本来なら生活保護などの対象となるのかもしれません。ただ、現実的には、そこそこの年金を受け取っている両親は、ある程度は自分たちで面倒を見たいと思うでしょう。このように、さまざまな事情により生活費が増加するリスクは意外に少なくありません。思いのほか医療費がかかるケースなども同様に考えてよいでしょう。

このようなリスクに対応できるよう、退職金の1000万円のうち300万円ほどをその「備え」のための資金とすることにしましょう。退職時点では、預貯金の500万円+「消費せずに貯めた余剰資金」の960万円+退職金1000万円から「諸事情による生活費の増加への備え」(300万円)を差し引いた額(700万円)、の合計が「潤い」にあてられるという想定になります。合計するとおよそ2160万円となりますね。

「潤いのある生活」のために使える余裕資金を想定してみる

40歳の時点で60-65歳の状態をこんな風に考えるのは「ちょっと楽観的過ぎる」ようにみえるかもしれません。生活費が思いのほかかかる(例えば、2人の子供が私立の医学部に入学するなどして、生活費を切り詰めても退職時の資金が不足する)といったリスクを想定しておきたい方もいらっしゃるかもしれません。子供の学費は現役時代の生活費の中でカバーできるという想定ですが、退職時の資金総額を減らしている可能性はあります。そのあたりを考慮して、退職時の余裕資金合計を1500万円くらいに見積もってもいいかもしれません。この1500~2160万円が「潤い」にあてる資金ということになります。

さて、あらためて「潤い」とは何でしょうか。

引退後の文化的生活には、地球温暖化で厳しい夏になっても過ごせるエアコンやその電気代程度は想定されていますが、それ以上の楽しい旅行などは含まれていません。孫の教育費を一部みてあげて満足を得るような幸せも含まれていません。最低限の文化的生活はそこまでの「十分な生活の満足度」を保証しないのです(さらにいえば、大きな地震などの自然災害に起因するコミュニティの破壊による文化的生活の回復の難しさなど、カネで解決できないことを投資についての考慮に含むことも困難です)。

しかし、「潤い」部分は、最悪の場合、「なくても生きていける」ことも自覚する必要があります。これが「リスクを取ってよい」ことの根拠となるからです。「潤い」部分が「まったくない」のは悲しいことは確かです。が、多少の増減があっても生きていけるという理解が、リスクを取ることのスタートライン、つまり「リスクを取っても良い」理由となります。絶対に必要と思われる資金はだいたい押さえているはずですから、あとは「潤い」を「増やす」ことに興味を持っても良いというわけです。

つまり、投資をする前に、「最低限の文化的生活」、そして「生活費増大リスクへの備え」、それに「上乗せする潤い部分」、という切り分けを考えておくことが大切です。最低限の生活はおおむね保障されているのですから、どうしても自分が気になる生活費の増大の可能性を考慮してお金を分けて貯蓄しておく。その残りを、引退後の「潤い」を「増やす」ために投資に回す。だから、適切に「良い」リスクを取り、その報酬を受け取ることは正当(そうしてもよい)、となるわけです。

リスクを取ることでその報酬を受け取るという仕組みが証券投資です。
いろいろな「投資話」のすべてが怪しいとまでは言いませんが、人間関係を壊すリスクなどをも考慮すれば、怪しくない世界でリスクを取って、そのリスクに見合った報酬を獲得しようとすることがとても大事に思われるはずです。

投資信託を使うことで、自身が投資の専門性などを持つ必要はほとんどなくなります。特に現役時代は忙しいので、常に株式や不動産の投資先を監視するなどことはできないでしょう。投資信託を通じてプロに証券投資を任せる(面倒なことに手間賃を払う)ことにしても、リスクの報酬は残るでしょうから。

ここまでのポイントをまとめましょう。

そもそも、投資の目的は、引退後の生活の「潤い」を獲得することです。退職とは、やや過激な言い方をすれば、社会から引退を宣告されることです。もう働けない状態になるという想定です。年金制度などで、文字通り死ぬまでの最低限の生活は、ほぼ保障されています。しかし、引退後に「最低限」ではさみしいから、潤いのある生活のための資金を置いておく。しかし、この資金は多少減っても生きていけないわけではない。上述の例でそれなりに悲観的な状況を考えてみましたが、現役時代の普通の生活の成果で「潤い」資金は残るはずです。「潤い」は増えれば増えるほどより潤いますから、この「潤い」を増やすために投資をしようというわけです。投資した結果、減ることもあり得ます。もしそうなってしまったらそれは悲しいことですが、その可能性を考慮して、投資目標を年3%程度と抑えておいて、大きすぎるリスクを避け、そう簡単にはゼロにならないようにもしておきましょう。想定通りであれば10年で30%、20年で60%増える算段です。この程度は、過去の超長期の世界的傾向としてピケティも報告しています。年10%とか20%とかを目指そうとすれば、投資先は限られてきますし、取らなければならないリスクも大きくなり、結果として当たりも外れも大きくなります。3%という目標のちょうどよさは経験的にもしっくりきます。しかもそれが「長期」投資なら、これはやるに値します。

投資で報酬を得るための「リスク」


さて、投資で報酬を得るための「リスク」とはなんでしょうか。競馬や競輪などといった賭け事とは違います。ここがとても重要です。

ここで、投資としてリスクを取り、報酬を期待するということのさらに深い意味は、「他の人に働いてもらう」ということです。賭け事で増やすのは、興奮して楽しむという点で「消費」です。「投資」は人の努力で「増えると考えられるはず」の目的に資金を投じることを言い、「消費」である賭け事とは決定的に異なります。

事業のリスクは典型的です。たとえば、新しい飲料水や服といった商品や新種のサービスを作る、といったことは、本当に当たるかどうかは分かりませんが、人の努力と専門的な知識などが適切に行われればうまくいくことが多いと考えてよいでしょう。いま良いアイデアがある経営者にそれを実行に移す資金がないとすれば、資金を与え、事業で増やしてもらい、配当などで返してもらう、これが投資です。競馬や競輪も人や馬の努力はありますが、「上位であるかどうか」に賭けるだけであって、努力の成果の分配ではありません。

違う面から見ると、引退世代は社会から引退を強制されているわけですが、例えば株式投資をするということは、その会社の経営者に資金を託して働いてもらうということです。自身が会社員や経営者などとして働いていたころは、それなりにリスクを取りながら、商品開発や販路開拓にお金やリソースを投じたりしたでしょう。引退後、それを自分ではやれなくなった代わりに、他の人がそういう努力をすることに余裕資金を投じるのです。

こう考えると、投資とは、他の人に働いてもらい、リスクを取る代わりに、それに応じた報酬を期待するということになります。「他の人」とは、買った株の会社の経営者やREIT(不動産投信)で物件を選ぶマネージャーなど、様々な人々です。

さらに、引退世代・現役世代にかかわらず、ほとんどの人は金融市場の専門家ではないでしょうから、株式やREITなどへの投資について、まとめて専門家に任せることが得策となるはずです。

株式やREITの良いところのひとつは、一口(1株)の最低単位が誰でも参加できる程度に小口だというところです。個人が自分ひとりで500万円や1000万円といった金額で世界中の株式に分散投資するのは難しいかもしれません。また、仮に社債を買おうと思えば、一口の金額はとても大きくなりますから、個人が銘柄を分散して保有することは難しく、ひとつかふたつの銘柄に集中してしまうことになります。投信のメリットは、たくさんの銘柄に投資しても一口が小さいことです。このあたりの投資の実際については後の章で考えていきたいと思います。ここで大事なことは「専門家が働いてくれる」ので、投資家は「潤い」のある生活の資金のために「リスク」とその報酬の期待を考えておけばよくなったということ、そして、その方法があるということです。

(第1章(5)に続きます)

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