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自民党総裁選:小泉進次郎が象徴する政界の「逆学歴社会」は変わるのか?

小泉進次郎氏が、自民党総裁選への出馬を表明した。その記者会見での「小泉進次郎構文」を封印した(?)、小泉氏の対応が評価されているようだ。

例えば、フリージャーナリストが「小泉さんが首相になってG7に出席したら、知的レベルの低さで恥をかくのではないかと、皆さん心配している。それこそ日本の国力の低下にならないか。それでもあえて総理を目指すのか」と、問いかけた時の対応だ。

小泉氏は、「私に足らないところが多くあるのは事実だと思う。完璧でないことも事実だ。しかし、その足りないところを補ってくれる最高のチームをつくる」「(初当選からの)15年間、野党の経験、与党の経験、積み重ねてきた。そういったことを国際社会の舞台でも発揮して、国民の皆さんに大丈夫だなと安心感を持っていただけるように最大限努力していきたい」と発言し、批判にも余裕のある対応をみせたのだ。

これは、なかなか他の政治家にはできない対応だ。小泉氏とよく対比される石丸伸二氏ならば、「まず、あなたの言う知的レベルの定義は何ですか?」から始まり、フリージャーナリストとの間で売り言葉に買い言葉が延々と続いただろう。

石破茂氏ならば、不快感を顔に出して、フリージャーナリストを睨みつけるだろうし、河野太郎氏は烈火のごとく怒るだろう。

私は、「小泉構文」と「石丸構文」が比較された時、「小泉構文」がなんとも癒し系だと思った。それは、今日の記者会見では封印されていたが、この余裕のあるところは、小泉氏の指導者としての1つの資質なのかもしれない。

「足りないところを補ってくれる最高のチームをつくる」という考え方もいい。これは、他の総裁選候補者からは聞かれない言葉だ。

小林鷹之氏を除けば、総裁候補のほとんどが90年代に政界入りし、「政策新人類」と呼ばれた世代だ。この世代は、自民党系も野党系も、エリート意識が高く、「自分が一番賢いので、皆、自分の言うことを聞くべきだ」的で、仲間を作る意識が弱い。

その中で、唯一と言っていい例外が、安倍晋三元首相だった。おそらく、安倍氏は自分が賢くないことを自覚し、そのかわり、政治の名門家に生まれ毛並みがよく、人をまとめることができることを知っていた。

この資質を自覚していたことが、同世代の政治家の中で、安倍氏が長期政権を築き、「一人勝ち」した理由だと、私は思う。

ちなみに、この世代で安倍氏の次に「賢さより、人をまとめること」の大切さを理解していたのが、岸田文雄首相だとも思う。

小泉氏も、同様の自覚があると思われる。小泉氏は、4代続く政治の名門家に生まれ、父親は戦後最も人気があり、国際的知名度も高かった首相だった小泉純一郎氏だ。

その存在感と発信力を生かし、全国の選挙区で、特にまだ選挙基盤が固まらない若手の応援演説を多数引き受けてきた。

また、ある若手議員から聞いたことがあるが、言いたいことがあれば、小泉氏に主張してもらうのだという。若手が党幹部に物申したりすれば、人事で干されたり、資金で冷遇されたりが怖い。そんな時、圧倒的な選挙基盤があり、父親の威光がある小泉氏ならば、なにも恐れず幹部にも直言できる。

若手は小泉氏を頼りにしてきた。だから、小泉氏が次期総裁の有力候補とされるのは、単に大衆人気があるからだけではない。党内に、小泉氏に感謝し、頼っている議員が多くいるからだ。

ちなみに「小泉進次郎構文」だが、私は日本政治の伝統芸(?)である「言語明瞭・意味不明瞭」の一種であると理解している。

普段は非常に頭脳明晰、明快に話すのだが、国会やテレビの前だと、何を言ってるかわからない政治家の代表として、「アーウー宰相」大平正芳、元祖「言語明瞭・意味不明瞭」の竹下昇がいる。

小泉氏自身はどうかといえば、「一言でも間違えたら死ぬ」と発言している。非常に慎重に発言している結果があの構文だというのだ。子どもの頃から、結論をわからないように話すように、ある種の訓練がされてきた結果なのかなと推察する。

つまり、小泉構文とは「天然ボケ」ではなく、慎重な言い回しを続ける結果、何を言ってるのかわからなくなっているということだ。

コバホークの時にも言ったが、小泉進次郎もまた、実は「古い政治家」なのかもしれないということだ。

また、小泉氏は日本政治にある「逆学歴社会」という現象を象徴する存在だということも重要だろう。

「逆学歴社会」とは、私の造語だが、現在の政界は、成蹊、成城、学習院、関東学院などを出たお坊ちゃま・お嬢さまを、一生懸命勉強して東大・早稲田・慶応などを卒業した一代で成り上がった政治家や官僚が支える構図になっているということだ。

これは、安倍首相の世代に顕著に表れた現象だが、次世代を担う若手も変わらない。小泉氏をリーダー格として、彼らを官僚、ビジネス、マスメディア、弁護士などを経験して一代で政治家になった議員たちが支える構図も同じなのだ。

小泉氏の「学歴」がよく議論になるのは承知している。私は「逆学歴社会」を象徴する政治家という扱いでいいと思う。コロンビア大院を修了しているが、普通に考えて、小泉氏が学士を得た大学から、コロンビアには入れない。父親の威光があったというのが妥当だからだ。

ただし、断っておくが、私は学歴が政治家の資質だという思うわけではない。また、欧米の大学は「入学は簡単だが、卒業は難しい」という定評がある。入学後の小泉氏の卒業への努力を否定するつもりはない。

私が言いたいのは、世襲議員のほうが政界でより指導的な立場になりやすいという、明らかな有利さがあるということだ。

そして、それは自民党の長期政権で、年功序列システム(当選回数至上主義)が完成したことと強い関連がある。

自民党の年功序列システムが完成していくと、若くして国会議員に当選すると、それだけ党内での出世に有利となった。そして、強固な選挙区(地盤)、政治資金(かばん)、知名度(看板)を引き継ぐ世襲議員の初当選年齢は若かった。

たとえば、小泉純一郎氏・30歳、橋本龍太郎氏・26歳、羽田孜氏・34歳、小渕恵三氏・26歳である。ちなみに、史上最年少の自民党幹事長だった小沢一郎氏は27歳での初当選だったのだ。

これに対して、官界やビジネス界で成功した後や、知事などを経験した後に40~50代で政界入りした場合、この人事システムではその経験や実績はほとんど考慮されない。初当選時はただの1回生議員扱いである。

そして、このシステムでは40~50代で政界入りすると、初入閣するのは 50代後半か60代前半となる。そのとき彼らと同年代の世襲議員は、すでに主要閣僚・党幹部を歴任したリーダーとなってきたのだ。

このシステムで、次第に「逆学歴社会」が形成されてきた。

小泉進次郎氏は、28歳で父親の地盤を継いで初当選。30代で環境相になり、若手のリーダーとなった。その若手とは、多くが小泉氏より年上で、4-50代なのだ。

しかし、このシステムは昔からあったわけではない。かつては、歴代首相の初当選年齢とキャリアは、池田勇人・50歳(1期目に蔵相就任)、 佐藤栄作・48歳(当選前に官房長官、1期目に自由党幹事長、郵政相)、 岸信介・57歳(戦前・商工相、1期目に自民党幹事長)、福田赳夫・47歳(4期目に政調会長、幹事長)、大平正芳・42歳(5期目に官房長官)であった。当選回数至上主義が確立する前の自民党は、財界や官界で出世した人物が40代以降に初当選し、即幹部に抜擢される実力主義だった。ちなみに、彼らは非世襲議員。一代でキャリアを積み、政界に進出した人たちだ。

このように整理すると、小泉進次郎氏は世襲議員が有利な制度で形成された「逆学歴社会」の代表であり、小林鷹之氏は官僚から政界入りし、当選3回で閣僚に抜擢された「逆学歴社会以前の政界キャリアシステム」の代表といえるかもしれない。

小泉VS小林を、こういう視点でみてもおもしろいかもしれない。












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