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シン・エヴァンゲリオンを見て感じたこと*ほぼネタバレ

はじめての人ははじめまして、
かみことと申します。
お気づきの方はいるかも知れませんが、名前の通り別アニメのカプ厨であった経験があります。
そうなんです、勿論エヴァにおいても所謂LAS厨と形容されるファンでありました。

ここで早速ネタバレを挟みますと、この映画でLAS厨への救いは完全に無くなります、未来永劫訪れることはありません、遡及的にもです。LASを表立って好きだと感じてる人、もしくはアスカとシンジが仲良くしているところが好きだという人、今すぐこのページを閉じてシン・エヴァのチケットを破きましょう。そして今後エヴァに触れず、エヴァの呪縛から解き放たれるのです。

貞本エヴァは救いだったから貞本エヴァに逃げようとしてる人は甘いです。残念ながら、シン・エヴァの内容は貞本エヴァのラストも包含してしまうものであるから・・・

話を戻しまして、私見ではありますが、簡単に点数形式でこの映画を評価したいと思います。


完結作として 120点

あそこまで広げに広げた風呂敷を畳む最適解を生み出した庵野監督には賛辞を送るしか無いでしょう。Qの出来の悪さも、シン・エヴァの後なら味に感じます。本来であれば三部作で終わるはずだったのもあり、シン・エヴァは正に3.0+1.0な作品でした。
Qのツッコミどころへのフォローに全てを注ぎ込んだと言っても過言ではないでしょう。特にミサトさんへのフォローが絶大で、株が上場廃止からいきなりストップ高です。今作はミサトさんのファンであれば見る外ないのではないでしょうか。

そして、前半の農業のシーンです。Qでシンジへ同情してしまったファン達はこの農業パートでやはり救われたのではないでしょうか。前回の悪意しか感じられない棘のある発言達は何処へ。皆が皆生き残ろうと必死にもがき、その状況でも尚他人に優しくする。3.11を経験した庵野監督が表現したかった人々の絆、暖かさ、そして成長をこの場面群では感じました。人々の優しさを受け、ドンドン人間らしく成長していくレイの姿に顔が☺になった人も多かったと思います。綾波ファンはこのシーンを見るためだけでも価値はあります。何度もリピートしましょう。

完結作として語る上で外せないのは、やはりゲンドウとシンジの親子としての結論でしょう。旧作と同じく、ゲンドウの原動力はユイに会うというものでした。しかし、貞本エヴァと違い、シンジに対する愛情は多少なりともあったのだと私は感じました。シンジを遠ざける事が贖罪であり、孤独を愛した彼の愛情表現だったのかもしれません。結果的に、シンジとの対話を(シンジの努力の甲斐あって)実現しましたし、シンクロ率無限大のシンジを軽く撚る事ができたのにも関わらず、手加減も行っていました。ラストシーンで、ゲンドウがやるべきだった最適解に気づきました。ゲンドウがホームに置いてきた過去のシンジのもとへ駆け寄り、抱きしめたのです。このシーンは、この映画の集大成であり、シンジとゲンドウとの捻れに捻れた親子関係に終止符を打ちました。エヴァという、ゲンドウとシンジの親子喧嘩が織りなす作品のラストとして、これ程綺麗なものはなかったのではないでしょうか。個人的にはエヴァ2におけるゲンドウとシンジの釣りエンドよりも涙腺に来てしまいました。この最適解にたどり着くまでに、シンジへの愛情は欠片も存在しなかったのか。それともユイへの喪失感に劣るとも多少は愛情を感じていたのか。残念ながらこれは推測しか出来ませんし、観客各々が感じたことが事実になります。

エンタメとして 80点

破を100点とするならば、それにはやはり劣ります。勿論ファンであれば、興奮できる点は山程あります、しかしこれは長期シリーズの完結作であり、一見さんお断りのような場面も多々あるので、破のような、初めて見た人を虜にするような作品ではありません。


私がエンタメとして素晴らしいなと思ったのは、やはり冒頭一時間に渡るDASH村でしょう。前述したとおり、コミュニティの素晴らしいところを余すことなく表現しており、三分の一を要してるにもかかわらず飽きるシーンは皆無です。離れ離れになったトウジ、ケンスケ、ヒカリなどの仲間との再会、災害で離れ離れになった人々を受けての表現だったのではないでしょうか。シンジへの餌付けで気分を害した人もいるかもしれませんが、些細なことです。庵野監督があのようなファミリー向けともなる教訓を表現を出来るとは思いませんでした。ジブリの後継者は庵野監督なのかもしれません。

エンタメといえば笑いは付き物です。笑える映画、それがエンタメに必要な要素なのではないでしょうか。であるのであれば、笑えるシーンはどれほど多くあったのか。私個人としては破より笑えるシーンは多かったと思います、勿論Qの時のような苦笑ではありません。しかし9割方ゲンドウ絡みになります。列挙していくと


メガネを外すとサイクロプスゲンドウ
脳を破壊されたのに普通に拾うゲンドウ
量子テレポーテーションではしゃぐゲンドウ
量子テレポーテーションをしてるのにも関わらず秒でシンジに捕まるゲンドウ
ビルの上でえらくイキった座り方をしてるゲンドウ
息子とアクタースーツでミサトさんの家を荒らしまくるゲンドウ
息子にレスバトルを挑まれて無意識にATフィールドを出してしまうゲンドウ
秒でSDATに貫通されるゲンドウのATフィールド

ゲンドウ絡みは話し出すと切がありません。ゲンドウを除くと爆笑できたのはリツコの秒速フラグ回収(4機居たはずだわ・・?→4機目にボコられる)ぐらいでしょうか。劇場ではゲンドウに気をつけましょう。BDの時に思い切り笑えばいいのです。

エヴァとして 60点

エヴァの醍醐味といえばわけのわからないところではないでしょうか。中盤我々は案の定よくわからない単語に振り回されたりしますが、全体を通してみると意外にスッキリと飲み込めてしまいます。些細な部分は考察を必要とするのかもしれませんが、事前にエヴァを通して見ているファンにとっては、あまりわけのわからない部分はなかったと思います。

その上に理不尽さも欠如していました。旧劇場版での量産型再起動などの理不尽さが足りないです。大団円が過ぎたとも言えます。まあ、もしそんな理不尽さがあったら我々はエヴァの呪縛から取り憑かれたまま、今もいるかも知れませんが。黒波が唐突にパシャっとLCL化する瞬間は、”庵野、やってくれたな”と感じました。ですが、今までのシンジくんはどこへやら、それが彼を立ち直らせるというエヴァとは思えないほどの青春っぷりを披露した結果、ファンへのダメージも軽減されてしまいました。従来の庵野監督を思えば、”唐突に黒波が発狂してツバメをキュッと絞め殺す”などの理不尽さを見せつけるかと冷や冷やしていましたが、そんなことは全くありませんでした。

その上、これは新劇場版に通じて言えるのですが、旧作には存在した理不尽さを引き立てる戦闘描写も欠如していました。量産機戦のような観客全員に爪痕を残すような派手かつ洗練された戦闘シーンが欲しかったと思います。新劇場版の戦闘シーンにはあまり魅力を感じませんでした。特にQ以降のSFになってしまうと。映画館の中では圧倒される描写ではありました、しかし旧作のようなDVDで見たとしても心に楔を打ち込むような描写とは言えません。何と何がどのようにして戦っているのか理解するのが困難であり、気がついたら終わっていた。そのような感じです。量産機VS弐号機のような明確な戦闘シーンが欲しかったと私は切に感じました。

やはりこの作品、完結作として完璧ですが、何か物足りないものをエヴァとしては感じるのかもしれません。まあ、残念ながら私カプ厨としては物足りないどころか、心にポッカリと穴を開けられてしまったのですが。

LAS厨として 無限大に近い0点

もう、これは言うまでもないでしょう。LASは終わりました。これからはLAS(ラブラブ相田式波)の時間です。そうなんです、アスカはケンスケとしっぽりしちゃいます。推測を含めると、Qの時からそうだったのではないでしょうか。ああ、もうめちゃくちゃですよ。なにが「どうにかしなさいよ、バカシンジィ!」ですか。「どうにかしてよ~ケンケン~」の間違いじゃないんですか?私が好きだったのはシンジのことが好きだったアスカなんだなと気付かされてしまいましたよ。

式波なんて知らない!惣流アスカが正義!と言いたかったですよ。惣流アスカの格好したアスカが、シンジに対して元カレにかけるような言葉を使わなければね。脳破壊もいいとこですよ。私達はゲンドウじゃないから脳は拾えないんです。

いやまあ、ケンスケの家に半裸のアスカが出てきたところから薄々感づいてはいましたよ。そうじゃなければいいと全編通して願い続けました。ケンケンって呼んでるのも何年も共に戦い続けてるからだろうなと。半裸をケンスケに見せても互いに動じないのは、アスカがエヴァの呪縛で性欲を感じなくなり、ケンスケは14歳に興奮しないからだと。

違いました。マトリョーシカアスカ人形からケンケンがひょっこりはんした時に完全に理解せざるを得なくなりました。何が悔しいって、ケンスケに欠点皆無なんですよ。シンジに対する気遣いが化け物レベル、皆から信頼されてて、毎朝6時に起きて村を守るために仕事をする。加持さんのような裏表感も皆無。超強化版加持さんが登場してしまったら、アスカが惚れるのも理解できるんですよ。惣流アスカの時から、父性を求め、加持さんで補完(貞本エヴァのみ)されるような感じでしたからね。

ケンスケを叩く理由が、LASに対する裏切りと嫉妬以外存在しない、そんな悲しいことありますか?間違いなくLASよりも将来性があるんですよ、この二人のカップリングは。悔しくてしょうがないが、公式の前に二次創作は絶対勝てないんですね。

これの悲しいところは、LAS作品を読み返したり、見返したりする時に必ずケンケンの顔が想起されてしまうところなんですね。逃げ場がないんですよ。貞本エヴァも公式ですし、LASエンドだったなと思い癒されに行ったら、ラストシーンに居るんですよ、相田ケンスケが。救いはありますか?
残念ながら何を言っても始まらないのでこの話はこれにて供養とさせてください。

エヴァファンとして 100点

前述したとおり、エヴァの集大成として、これほどの作品はありません。LAS厨だったとしてもエヴァファンであるならばしっかりと見届けるべき作品です。それがどれほど茨の道であったとしても。何と言っても、シン・エヴァは従来のどのキャラクターもしっかりと魅力的に描かれているんです。

キャラクターについて

ミサトさんはQでの失態を完全に取り戻し、Airですら描かれなかった母性とかっこよさを併せ持つとんでもない女性になりました。(あと、十四年経っても全盛期並みの美人)ミサトさんが髪を解いて特攻するシーンや息子同然のシンジと実の息子のツーショットを眺めるミサトさんに涙したファンは数しれないと思います。

加持さんも登場自体は回想でしかありませんでしたが、死を明かされると同時に死に際がとてもハードボイルドであったことが語られています。スイカの伏線も回収しました。息子も登場するのですが、彼も中々の人誑し、陽キャの王でした。加持さんの守った命は無駄じゃなかったとはっきりと証明してくれましたね。

リツコさんは全編通してチートキャラに近かった感覚を覚えました。ジョバンニが一晩でやってくれましたとか言う話じゃなかったです。見ただけのものを性質外見完璧に幾分かで仕上げる化け物ですよ。シンジよりも今作は冬月リツコのチートっぷりに魅せられました。余談なのですが、新劇場版においてゲンドウとの肉体関係は存在したのでしょうか?躊躇わずにゲンドウに発砲した割には目に未練が滲み出てたので、もしかしたら多少なりとも肉体関係はあったのかもしれませんね。

冬月副司令は、今作で世界最強のティーチャーあったことが発覚します。教え子であるゲンドウの縁の下の力持ちとなり、教え子であるユイの夢を叶えんとし、教え子であるマリに華を持たせる。とてもエヴァ2でシンジの女装に興奮してたおじいちゃんだとは思えませんね。その上に、キャラクターとしてもトップクラスに強いです。棒立ちでヴンダー×3を操作し、自身のLCL化を気合でなんとかする。とんでもないおじいちゃんですよ彼は。声優の清川元夢さんの声の劣化が心配されていましたが、冬月のおじいちゃん化にピッタリマッチングしていました。この作品は冬月が織りなす壮大な授業だったのかもしれません。

碇ゲンドウは、最後の最後に父親としての責務を全うし、シンジのもとを去りました。その上作品屈指の強キャラであり、ラスボスとしての役目も果たすスーパー父ちゃんでした。しかし、彼はこの作品の中ではギャグキャラの面もありましたね。前述したような行動や見た目、全てがツボです。貞本エヴァや旧作では描かれきれなかったゲンドウの魅力を感じられる(碇シンジ育成計画のゲンドウは除く)、そのためにシン・エヴァを見返してもいいんじゃないでしょうか?

旧オペレーター3人にはあまりスポットは当たりませんでしたね。日向マコトと青葉シゲルに至っては予告で見られるトレンディグータッチ以外の存在が抹消されていませんでしたか?血眼になって探しましたがあまり出番があったようには感じられませんでした。対してマヤさんは以外にも出番がありましたね。まあツンデレ教師キャラとなっていましたが。おしとやかな彼女が14年のうちに何があったのでしょうか。前日譚を早く出してください庵野さん。

新オペレーター4人ほどで一番スポットライトが当たったのは北上でしょう。彼女が居たおかげで私は終始安心してシン・エヴァを観ることができました。彼女がQではミサトさんに全振りだったヒール役を一心に担ってくれましたからね。その割に、常識人である一片を魅せてくれて、北上ミドリの魅力というのも深く言及はないにしろ感じられたのではないでしょうか。

残りの大塚明夫、長良、カウボーイビバップに関しては割愛します。北上程目立つ役柄でもなかったので、私自身キャラを捉えられていません。長良は多少活躍シーンが描かれてはいたのですが、それでも多少なので。

鈴原サクラは素晴らしかったですね、心情の起伏をしっかりと表現されていました。グチャグチャな気持ちになってシンジに向かって発砲してしまうあたり作品屈指のヤンデレキャラだったのかもしれません。その上、しっかりとQでの「エヴァには乗らんでくださいよ」の発言に対してのフォローもありました。この作品で株を上げたキャラクターの一人だったと思います。あと顔が可愛くてグラマラス。

鈴原トウジ、ヒカリ。この二人が夫婦になってるとは思いもしませんでした。というよりも、生きている事に驚きました。14歳の頃とは打って変わって落ち着いた優男に成り下がっていましたが、やはり彼の熱い一面も医者になるということで表現されており、庵野監督の愛を感じました。(Qの制服は何だったんですか?)しかし、ヒカリの老け具合には驚かされました。ミサトさんよりも一回り若いのにリツコさんのような風貌になってしまっていて、あの世界の苦労を体現していたかのような感じでしたね。アディショナルインパクト後は幸せになってて欲しいです。

相田ケンスケ、この作品における第二の主人公と言っても過言ではない、そんな役割を果たしていました。あのアスカを完全に屈服させ、自分は加持さんへと昇華する。とんでもない男が2-Aには眠っていましたね。彼が果たす役割は多く、シンジの救出から仲間への対面、彼を立ち直らせる一端、彼にアスカとの関係を認めさせる器量、この作品はシン・アイダケンスケだったのかもしれませんね。なにが彼をあそこまでハイスペックにしてしまったのでしょうか。

レイはなんというか、あまり出番綾波レイとしての出番はありませんでしたね。黒波がぽか波の一面を担ってはいましたが、レイと言われるとどうなのかという感じでしたし。しかし、最後では記憶を統合され、初号機のコアからの脱出を果たしたので、綾波レイとして復活も一応果たしてはいるんですよね。そこのところのフォローは少し薄かったかなと。しかしスーパーシンジになるための過程で彼女の役割は大きかったのだと思います。

カヲルも同様、回想シーンでの出番がほとんどでしたね。但し彼が梨花ちゃまもびっくりのループをこなした上で、シンジをシュタインズゲートに連れてく。もしかしてこの作品のヒロインは彼だったんじゃないか、そう錯覚してしまいます。余談なのですが、渚司令ってなんだったんでしょう。ゼーレネルフ?ヴィレ?ゲンドウ?ここらへんの説明責任は庵野監督にありますので、後日譚とかに任せましょう。

式波・アスカ・ラングレー、私はそんな人のことを知らないです。クローンってなんですか、ケンケンってなんですか。シン・エヴァに置ける彼女は観客を驚かせるための舞台装置かなんかだったのでしょうか。彼女の発言節々がLASを否定してて辛かったです。これは推測なのですが、最終的には別世界線に存在する惣流アスカとの融合が行われた様子もあったので、エヴァにおけるアスカは式波が基準になってしまったのでしょうか?後日譚で言及されなければ、この真相は闇の中です。

今作品の碇シンジは主人公キャラとしてお手本のような立ち回りをしていましたね。最初の一時間で仙人モードでも貯めてたのでしょうか?彼自身の成長が途轍もなくエグかったです。アスカから投げられたどうあがいても怒られる質問に最適解を出し、裏宇宙で彼女との関係に終止符を打つ。俺が知ってるシンジくんじゃないんですよね。その上父親を狼狽えさせ、言論で屈服させる。SSの世界のスーパーシンジがシン・エヴァには存在していました。CVは神木隆之介です。現場からは以上です。

最後に、真希波マリさん。今作の勝ちヒロインです。シンジを救い、ラストシーンで彼とともに山口に降り立ちます。何が起こったのでしょう。結局、彼女の正体に明確な言及は行われていなかったのですが、冬月の教え子であり、何らかの理由で成長が止まってしまったゲンドウ達の後輩です。もう一度いいます、ゲンドウ達の後輩です。つまり、彼女の実年齢は50前後なんじゃないでしょうか。その上、貞本エヴァにおいては彼女がユイ、シンジの母親に好意を持っていたことが明かされています。これはとんでもないことなのではないでしょうか。おねショタにも限度があります。この作品で一番とんでもないキャラクターはマリだったのかもしれません。

以上です。まだまだ吐き出したい事は色々あるのですが収拾がつかないので私個人の感想という名の拙文は以上になります。もし異議があれば教えて下さい、あとこんな考察があるよとかでも構いません。

お付き合いありがとうございました

追記: 2023/08/11 
私の中で、シンエヴァはLASだったという結論に落ち着きました。



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