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今にいたる経緯とわたしのめざす世界

こんにちは、発達凸凹系ママのかみちゃんです。

3月に12年の会社員生活にピリオドをうち、
いまは完全在宅で起業家さんのお仕事サポートをしています。

今日は、
私が今の生き方に至った経緯と、
人生のコンセプトについてお話してみたいと思います。

はじめに

私はつい最近まで、
毎日吐きそうになりながら会社へ通うOLでした。

集団生活が苦手だけど、
マイペースに動いて浮くのも耐えられない・・・

周りの人のささいな言動が
病的に気になり集中できない・・・

会社に通うのは死ぬほど苦しかったけど、
特筆するスキルもない自分。
会社以外で生活費を稼ぐ方法も分からず、
ここにいるしかない・・・

と毎日暗い顔をして過ごしていました。


私が発達障害と診断されたのはつい最近。

ですが、
幼少期から衝動的・自己中心的行動が多く、
自分の感情をうまくコントロールできない
こともしばしば。

人との距離感をはかるのも苦手で、
話がかみ合わないことも多く

知らないうちに、
嫌われて距離を置かれたりすることは日常でした。

特に熱中することもないし、
これといって得意なこともない。
いろんなことにチャレンジしてはみるけど、
何をやっても失敗ばかりでうまくやれない。

そんな自分が大嫌いで、
でも、
死ぬのも怖くてできないから何とか生きている。

そんな日々を送っていました。

そんな私の転機となったのは、3年前に息子が生まれたこと。

妊娠が発覚した時は、
自分の自由を奪う子どもという未知の生命体
恐怖と絶望しかなかったのですが、
日に日に大きくなるお腹を見つめているうち、
母性らしきものが芽生えたのでしょうか?

「子供にこんなかっこ悪い自分を見せたくない!世界はもっと希望と喜びに満ちた場所だと伝えたい!」

と一念発起。

数十時間かけて自己理解をし、
自分のできること・得意なことだけに集中。

働きやすい環境を整えたことで、
今では、毎日楽しくお仕事をしています。

「自分には生きている価値がない」と苦しんだ30年

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そもそも私が何に苦しんでいたのか、
少し触れておこうと思います。

私が、明確に自分のことを「社会のお荷物
だと感じたのは、中学生のとき。

テストで赤点をとり、
男子からは顔が地味だとからかわれ、
性格も変わり者の自覚があった私。


私は、社会に何の価値も与えていない・・・
生きていて、いいんだろうか?

そんな風に思うようになりました。

どうしたら皆に認めてもらえるんだろう・・・。

焦りの中で、ある日、
テストの回答が理解できず質問に行った私に、
科学の先生が投げかけた言葉で光を見出します。

「テストの答えってある程度覚えればいいみたいなとこあるからね。小学校で習った九九とかと一緒で、そういうもんだって覚えることも大事よ。」


私の中では、ちょっとした革命でした。

「なるほど!
正解は自分で考えなくてもいつも用意されているんだ!
ただ覚えるだけでよかったのか!」

私は、問題を解かずに大量の参考書や過去問を
ひたすら読みまくるようになり、
なんとなく正解の感覚がわかるようになりました。

もともと頭がいいほうではありませんでしたが、
しだいにテストの点数が伸びて
先生や友達にも褒められるようになりました。

「先生の言ったことは正しかった。
自分もこの方向でなら、
生きている意味を見出せるかもしれない!!」

そう感じて、とにかくひたすら勉強しました。

大好きな漫画やゲームも我慢して、
家族でのたまの外食にも参考書を持参、
頭の中はいつもテストの順位をどうあげるか
そればかり考えていました。

承認欲求にとりつかれ学年180番から京大へ合格した話

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努力の甲斐あってか、
勉強しはじめは学年で180番ほどだった成績が
みるみるあがり京大へ合格

自分にもようやく人に誇れるものができた気がしました。

でも、本当の地獄はここから始まります。

大学入学後、
これまでとちがい人間関係は一気に多様になります。

が、もともと
コミュニケーションが得意ではなかった上に、
人との関わりを極限まで削って勉強に打ち込んでいたので、

人とどうやって関わっていいのかがさっぱり分からない。

しかも、テストと違って
王道の解放パターンもなければ、
点数をつけるための採点基準もありません。

「今って何を言うのが正解なの?」
「このリアクションなら、合格点?」

正しい答えがわからなくなった私は、
パニックに陥り、
とにかく沈黙にならないようひたすらしゃべり続けました。

そんな私についたあだ名は、

「人間スピーカー」「KYちゃん」

でした。

一瞬自分を救ってくれたかのように見えた勉強も、
周りを見渡せば本当に優秀な人ばかり。

自分はテストで点数をとることだけはできるけど
地頭がない、中身空っぽの”ハリボテ”
であることに気づきます。

加えて、これまでは家族が自然としてくれていた
生活上のサポートがなくなり、
発達特性が原因での日常のトラブルが多発。

鍵のかけ忘れや電気の消し忘れは日常、
ひどいときは玄関開けっ放しで出かけ、
隣人が閉めてくれたこともありました。

お風呂を溢れさせたり、
火を消し忘れて鍋を焦げさせたり、
エアコン電気つけっぱなしで長期の海外旅行に行き、
片道300kmの距離を運転させて
親に消しに行ってもらったこともありました。

勉強も、人間関係も、うまくいかない。
ただ平和に日常を過ごすこともできない。

こんなに時間を費やして、
好きなことも、家族との時間も
犠牲にして頑張ってきたのに、
その結果がコレなんだ・・・

私はどんなに頑張っても
何をやってもうまくいかない・・・

完全に人生に絶望していました。

アイデンティティクライシス~過食症と恋愛依存~

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自分は生きている価値がない・・・
でも、怖くて死ぬこともできない・・・

悩んだ挙げ句、
現実逃避で走ったのは過食と恋愛でした。


先にも書いたように、
相手の気持ちを無視して話し続けるような
一方的なコミュニケーションしかできず、
なかなか同性の仲のいい友達はできませんでした。

サークルにイベントにと大学生活を楽しそうに
謳歌している周りの同級生と比べては落ち込み。

「どうして私はみんなと同じようにできないんだろう・・・
私は人の心が分からない欠陥品なんだ」
と自分を責める日々。

でも、幸か不幸か、
顔は美人な方ではなかったけれど、
黙ってれば素朴で清楚系な雰囲気がウケたのか?

声をかけてくれる男性はチラホラいました。

「なんだ、無理してしゃべらなくても、
おとなしくニコニコしてればチヤホヤしてもらえるんだ。」

勉強で承認欲求を満たせなくなった私は、
恋愛を介して承認欲求を満たすようになりました。

ただ、自分の本性を見せて
がっかりされるのが怖くて深い付き合いはできず、
深入りされそうになると別れては次の人と付き合う
ことを繰り返していました。。

短いスパンでころころと彼氏を変えていたので、
時には相手がストーカーのようになってしまったり、
男性同士でもめたり、恋愛関係のトラブルもしばしば。

それが原因でコミュニティでの居心地が悪くなったり、
相手への罪悪感にも襲われましたが、
彼氏がいないと自分には何の価値もなくなってしまいそう
で抜け出すことができませんでした。


そして、そんなストレスを解消するために、
頭がぼーっとして何も考えなくてよくなるまで食べる
ということが習慣になっていきました。

限界まで食べて眠るので睡眠の質も悪く、
いつもどんよりした顔をしていたし、
胃がムカムカして夕方まで起きられない
なんてこともよくありました。

もはや、自分でも何をどうしたいのか分からず、
ただただ人生が過ぎるのを待っている

そんな感覚でした。

いま思えば、被害者ぶっていれば、
シンデレラのように、
いつか誰かが助けに来てくれる

と夢見ていたのかも知れません。
(やばいヤツ 笑)

そうこうするうちに、
大学4年があっという間に過ぎさり、

過食症とも恋愛依存ともちゃんと向き合えないまま
社会人になりました。

承認欲求を満たすための結婚と離婚

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社会人になっても
特段これまでの生活は変わることなく、
集団生活になじめない自分を責め、
毎日を苦痛に感じながらも、
恋愛と過食に依存することで
なんとか日々を過ごしていました。

学生時代と違い、体調が悪ければ自主休講

・・・なんてことはできないので、

過食の翌日、
吐き気をこらえて半分気を失いそうになりながら
出社することもありました。

「何とかして、この地獄のような毎日を抜け出したい・・・」
「どうしたら、みんなと同じように無難に平和に過ごせるんだろう」


そう思って、
いろんな講座や自己啓発セミナーに通いましたが、
気持ちが盛り上がるのは一瞬だけ。

数日もすればもとの自分に逆戻りして、
やっぱり自分はダメなんだ・・・
と落ち込み過食するという
負のループを繰り返していました。

そんなとき、
当時付き合っていた彼氏が入院して生死の境をさまよいます。

親以外で自分のことを唯一認めて
承認欲求を満たしてくれる存在である彼。

最大の依存相手がいなくなる恐怖から、
私は車で片道1時間の距離を毎日お見舞いに通いました。

完全に自己中な理由でお見舞いにいってた
私の心のうちは知るよしもなく、
献身的なサポートに感動した彼に、
退院後プロポーズをされます。

正直、これまでデートの間だけ
偽りの自分を演じていた私にとって、
一緒に生活して手の内さらけ出すことになる
結婚は恐怖でしかありませんでした。

デートや旅行のあいだくらいなら
なんとかごまかせたけど、
過食からも抜け出せず、
人を思いやる心もない私が結婚なんて・・・

悩みに悩みましたが、
今後私なんかと結婚してくれる人は
現れないかもしれない
という恐怖と、

彼の希望が退職して自分の稼業を
手伝ってくれることだったのもあり、

今の地獄のような生活から抜け出せるなら
それもいいのかもしれない。

という浅はかな気持ちで結婚に踏み切りました。

でも、そんな気持ちで踏み切った結婚が
うまくいくはずもなく。

お互いに不信感を募らせた結婚生活は
2年で終わりを迎え、
また地獄の会社員生活に戻ることになります。

まさか私がヒトの親に!?自己改革のはじまり

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その後、無事に就職先も決まって彼氏もでき、
引き続き恋愛と食への依存をしながらも
なんとか日常を送っていたころ。

当時の彼(今の夫)とのあいだに
子どもができたことが発覚します。

もともと、多能性卵巣症候群という
妊娠しづらい体質だった私は、
なぜだか自分が母になることはないと思い込んでいて、
妊娠が分かった時は驚きと恐怖しかありませんでした。

「今の彼に自分のすべてをさらけ出して
一生を添い遂げられるのだろうか?」

「過食も完全に抜け出せたわけではなかったので、
果たして自分のメンタルで無事に
妊娠期間を乗り切ることができるのだろうか?」

「無事に出産までこぎつけても、
私が親では子どもを不幸にしてしまうのではないか?」

ただただ、不安でした。

でも、不思議なことに、
お腹が大きくなるにつれ自然と恐怖は薄らぎ、

「このままじゃだめだ!産まれてくる子どもにはイキイキ楽しそうに働いている姿を見せたい!」

そんな気持ちが強くなっていきました。

ここから、母としてカッコイイ背中を見せるため、
コーチングやさまざまな心理学を片っ端から学び、
自分をコントロールする方法や取り扱い方を知り
本当にやりがいが持てる仕事探しに全力集中します。


幼少期からの自分の経験や思考のクセをひもといて、
何十ものワークをして自己理解を深めていきました。

少しずつではあるけれど、
自信がつき、人を信頼できるようになり・・・

気持ちのアップダウンや
何かに極端に依存することも減っていきました。

でも、いざ自分のサービスをスタートしても、
周囲から自分の想像していたとおりの反応が得られないと、

「私なんかのサービスではやっぱりダメなんだ。」
「私ってほんと何してもダメ。」
「私が人の役にたとうなんて無理なのかも・・・」

と、すっかりやる気がしぼんでしまう。

そんな風に、
次々と新しい学びに手を出してはやめ、
始めては投げ出し・・・

結局自分が何をしたいのかよくわからない
そんな状態に陥りました。

誰かの可能性を切り開く存在でありたい。
悩んでいる人に気づきや変化のきっかけを与えられる場所を創りたい。

なんとなく自分の向かいたい方向性は見えているものの、
それが具体的に何なのかよくわからない・・・

こんなに自己理解に時間を費やしたのに、
結局私にはイキイキ働ける方法なんて見つからないのかな。

同じワークやプログラムを受けて、
さっさと自分の得意分野で仕事を作り上げる友人を
間近でみながら、悔しさと情けなさでいっぱいでした。

承認欲求地獄の終わり~自分が世界を定義する~

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そんなとき出逢ったのが、
文章で月収数千万を稼ぎだすストーリーライター、
大学の先輩でもある新田さんのコンテンツでした。

私にとって衝撃的だったのは、

「そのほうが自分が幸せだから、
今はそういう世界観を採用して生きている。
もしその世界観に矛盾がでてきたら、
矛盾も統合できる新しい世界観を採用すればいいだけ。」

という考え方でした。

”いつも絶対的な答えが外の世界にある”
”皆には私には見えない正しい答えが見えている”

そう考えて生きてきた私には、

<自分が正解を決めていい>
<そのとき正解としたことが変わってもいい>
<自己矛盾があってもそれをさらに1つ上の次元で統合できればいい>

という感覚は、
世界がひっくり返るくらいの革命でした。

今まで、
「周りと同じようにできない」
ことに強烈な劣等感を抱いてきた私には、

外の世界や周りの誰かではなく、
自分で正解を決めていいことは衝撃の事実でした。

改めて、
”自分をコントロールして常識に合わせる”
ためでなく
”自分が無理なく楽しくできることは何か”
に重点を絞った自己理解を
何十時間もかけて徹底的に行いました。

自分は、何が好きなのか?
どんなことに喜びを感じるのか?
どんなポイントで怒ったり落ち込んだりするのか?
何が得意で、何が苦手なのか?
どんな環境や関係性でなら強みを発揮できるのか?

とにかく、大切なのは、自分
自分がどうしたら幸せなのかを突き詰めて考えていきました。

そうして、

日々どんな人とどんな働き方がしたいか?

という具体的なイメージがクリアになるにつれ、
これまでは漠然としていた、

自分がどんな存在としてどんな世界を創っていきたいか

という抽象的なゴール(自分の目指したい未来)
が融合していくような気がしました。

以前は、
自分に合った天職のようなものがあり
それをみつけられず苦しい・・・

と感じていたのに対し、

今は、
何をしていても目指したい世界を
背中に背負って生きている
ような感覚があります。

たとえ受けいれてくれる人は少なくても、
それで私の存在が否定されたわけではない

私が私の正解を決めているんだから、
何より大切なのは自分が幸せかなんだから、
私がいいって思えるならそれでいいんだ。

そんな風に考えらえるようになると、

”みんなが自分らしく生きられる世界を創りたい”

という想いが体の底からジワジワと湧き上がっていました。

新田さんの考え方に出逢ってはじめて、
誰からの評価とも切り離して自分を客観的に理解し、
短所も含めてまるごと肯定的にとらえられた。

それによって、本当にびっくりするくらい人生が動き始めます。

私のめざす世界『自分らしさ全開で生きていく』

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いま、私は起業家さんの事務サポートをお仕事としています。

LINEやWordPressなどツールの新規導入サポートや、
既存システムのメンテナンスなどを中心に、
サービス立ち上げに向けたリサーチやコンセプト壁打ち相手、
業務効率化のための仕組みづくりをお手伝いしたりもします。

最初は、たくさんの起業家さんと関わるうちに
「圧倒的に時間がない」
「やりたいことはあるけどとても手が回らない」
というお悩みをもつ方があまりに多いことを知り、
自分でも何かできそうなことがあれば・・・
と本人でなくてもできるお仕事を
引き受け始めたことから始まりました。

お手伝いをしていくうちに、
自分がお仕事を巻き取ることで、
起業家さんたちにやりたいことに全集中してもらえる。

それによって、
素晴らしいサービスが世の中に送り出されていく
きっかけになれている。

ということに気づきました。

起業家さんの目指す世界観が実現し、
それが悩んでいる方の変化のきっかけとなる。

つまり、私の心に浮かんできた
「自分らしく生きられる」世界の実現
につながる道だということがクリアになりました。

しかも、
「日々新しいことをやりたい」
「基本は1人で作業したい」
「目標が明確になれば、達成まで全力集中できる」
という私の特性を、バッチリ活かせる。

つまり、私にとっても自分らしく楽しく働ける
『起業家さん・そのお客さま・わたし』の
三方ヨシな方法なのです。

起業家さんの専門領域によって依頼の幅も広く、
集団生活になじめずジョブホッパーしてきた
地獄の会社員生活での経験も役立ちます
(生産管理⇒接客販売⇒研究開発⇒経理⇒法務
という多様すぎる職種を経験してきてますw)

これこそ、
私のこれまでの苦しみと経験がすべて生きる道

ようやく私も誰かの役に立ってるって自信をもてる!
と確信したのです。

さらに、今のお仕事で素晴らしいのは
同じお仕事をしている数人でチームを組んでおり、
私の苦手な作業を気軽にお願いできる仲間がいることです。

自分が得意なことでお客さまを集中サポートし、
苦手なことはそれが得意な仲間にお願いする。

これができるようになったのは、
私自身が自分の得意・不得意を明確に理解し、
目の前の人のために自分は何ができるのか
逆に人に任せたほうがいいのはどの部分か
がクリアになったからだと思います。

いま、私は、自分のことを触媒だととらえています。

起業家さんの想いや目指す世界を共有し、
そこに直接つながる、
本人にしかできない仕事に時間を割いてもらうこと。

本人でなくてもできる作業を、私や仲間が請け負うこと。
自分が無理なく自然にできることでお手伝いできること。

それによって、
それぞれの理想の世界への道のりは加速するし、
予想外の副産物が生まれることもあります。

仲間と励ましあってお互いサポートしながら働けること
お客さまとも家族のようになれること

長年地獄だった人とのかかわり
今こんなに心地いいのは、
私が自分をまるごと肯定的にとらえて、
できないことはできないと正直に伝えたうえで、
自分らしさを大切に働くようになったからだと思います。

微力ながら、
私のサポートによって今日も1人でも多くのひとが、
素敵な世界観やサービスと運命の出逢いを果たし、

悩みやモヤモヤから自由になって
「自分らしさ全開」で生きていける。

そんな世界を想像し、
ニヤニヤしながらお仕事に励んでいます。

これが、私が今のお仕事をするに至った経緯と目指している世界観です。

長文にお付き合いくださり、本当にありがとうございました。


すべての人が「自分らしさ全開で生きられる世界」 この実現のため、「自分関係コーディネーター」として活動しつつ、発達凸凹オンラインおちゃ会を運営しています。 頂いたサポートは、理想の世界に向かう活動資金として使わせていただきます。 応援いただきありがとうございます。