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「私は誰の役にも立ててない」と思ったときに読む話

「自分は誰の役にも立てないんじゃないか」
そんな風に思うこと、ありませんか?

あるっていう前提で進めますよ😎(笑

そんなアナタ。
安心してください。
立ってますよ❗❗❗

貢献ノックを進めるうち、「自分が貢献だと思っていたものが実は貢献ではなかった」という事例がいくつか発生しました。

自分は貢献のつもりでやっていても、相手にはそうでなかった場合(ありがた迷惑的な状況)が出てきたのです。

自分から「この人にはコレが必要なんじゃないか?」と思って動いてみても、実際にはぜんぜん必要とされてなくてトンチンカンなことをしていたり・・・。
どちらかと言うと空気読めない系の私には、ニーズの読み取りエラーも多く、貢献100本とか無理ゲーじゃないのかと思えてきました。

私なんぞが貢献できることってあるのか??
正直、全部自分の思い込みだったのでは??

そんな気持ちに陥ったとき、目の前に、貢献カウントするのがおこがましい(自分で自分を褒めてあげられない)という人が現れました。

正直、バンバン自己主張してもいいくらい、息をするかのように自然にいろんな人のサポートをしていて、心から褒められるべきだと感じた私。

「きっと陰徳をめっちゃ積んでるんですね。公にしなかった分、後からめっちゃ大きなエネルギー返ってきますね。」とウザいくらい全力で声をかけていました。

ご本人からはクールな反応が返ってきて、
「またつまらんことをいってしまった・・・(五右衛門風)」と1人反省会をしていたのですが。

なんと、そのやりとりを見ていた方から、私のコメントに感動したとのメッセージをいただけたのです✨

このたった一言で、私の現実認識は180度変わりました。
「やらかしてしまった」が「少なくとも1人の心には響くことができた」

1つの貢献ができてたんだ・・・と😍
メッセージを送ってくれた方もまた、私へ大きな貢献をしてくれたわけです。(←何様目線だよ

こう考えると、『貢献』の認識ってめちゃくちゃ曖昧ですよね。
誰かのたった一言で認識が変わってしまう。

だからこそ。

冒頭で私が悩んでいた「貢献になるのかどうか?」はたいした問題ではなく、「心から相手のためになることをしよう」という祈りの気持ちで行動することに、貢献の本質があると感じました。

そういう気持ちで生活することで間違いなく自分の心は潤い、そこから漏れ出した養分が周りの人にも何らかプラスのカタチで浸透していくはずです。

ついつい、お金に替わるようなものばかりを貢献と捉えがちですが、たとえば、誰かのサービスを購入することだって大きな目でみたら相手への貢献。

親にとっては子どもは生きてくれているだけで貢献。(たぶん)

こんな風に、気づかないうちに「貢献」って循環しているものなのだろうなと感じました。

なんだかまとまりのない文章になってしまいましたが、誰かのたったひとことで心がホッコリ潤う。
そんな言葉を紡いでいけるわたしでありたいと改めて思います。

今日も読んでくださってありがとうございました💕

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