やが君8巻および全体の感想

2019/11/27 23:20のふせったー

思い出すのはやが君の連載が始まったばかりの頃。
すごい百合漫画が出たぞ、と話題になった。1巻を見直すと確かに、めちゃくちゃすごい。
野暮とは思いながら、1話のあらすじはこうだ。

人を恋する気持ち(誰かを特別に思う気持ち)がわからない新入生の侑は、ひょんなことから生徒会の手伝いを提案される。
そこで、生徒会の先輩の燈子が告白されて「誰とも付き合うつもりない」と振るところを目撃する。
――恋する気持ちとかよくわからないという先輩は私と似ているんじゃないか。
侑は、中学卒業時に友達だと思っていた男子から告白されて、その返事を延期していることを燈子に相談する。
燈子から「君はそのままでいい」と言葉をもらい、男子に答えをする。
そして、「誰も特別にならないって言ったよね 私はあなたと違うみたい だって君を好きになりそう」と言い出したのだった――

何とここまでが約45ページの、一話だ。
とにかく構成が見事な一話だった。読み終えた時、なんだこれはと思った。
全然詰め込んだ感じはしない。コマ割りはむしろすっきりしている。舞台版でもここまでのエピソードはかなりのウェイトで描かれている。1話にやが君の要素はほとんど詰まっている。
『君はそのままでいい』と言った燈子を変えようとする侑と、特別であることを選ぶ燈子と――つまり二人して『やがて君になる』物語だ。
百合作品というカテゴライズをするとき、私は女子と女子との関係性を描いたものと枠をはめている。”百合を越えた何か”という表現が時折どこでもあるが、これは正しくは違う。なぜなら作品の様式としてのカテゴライズと、物語のありように対する感想は別次元だからだ。
なのでしいて言えば、『女子と女子の特別と恋を中心とした学園物語として、細かいところまで大変素晴らしく描かれた作品。女子と女子の関係性を中心に据えたものという点で、百合作品と呼ぶことが出来る』となる。さておき。

1巻を開いて、カラーを経て、1話を読んで8巻を読むと胸がすく思いがする。
1巻のカラーは二人がカーテンを持ってちらりと見つめあっている。ガラスに誰も映ってはいない。カーテンがあるからだ。
8巻の最初の40話『私の好きな人』では、夜の生徒会室――室内の灯りをつければ、ガラスに人の姿が映る。トーンの濃淡で表現された姿は、そのうち主線を用いて表現されるようになる。そしてカーテンを閉めて、お互いを見つめあうようになる。
カーテンはまるで舞台の幕のようだと思った。
物語のラスト、星が出てくる。夜の道を、二人は歩く。
暗転して、舞台が終わって、新しい幕が開くように。人生という物語の幕が。

最終話。船路は航路のことだが、空路と同じく海に道の線が引いてあるわけではない。それでも、船が通ったその後は、船跡(波跡)ができる。振り返って懐かしくなったりする。波が見えなくなっても、進んできたこと自体は変わらない。

人の心はマス目の形をしていない。でも伝えるために人は言葉にしようとする。言葉にするということは、気持ちを取捨選択するということだ。取捨選択するということは、特別にするということだ。誰かを特別にするということは誰かを選ぶことだ。
人の心はマス目の形をしていない。だから、あふれた想いは言葉以外で伝えればいいのではないか。誰かを選ぶことが、何かを捨てることになることもあるかもしれないけれど、そもそも本当に捨てることが必要かどうか。すべてを選んだうえで”あなた”を選ぶということも、きっとできるに違いない。だって心の形は四角ではない。いろんな隙間を埋めるように、高く広く広がっていったっていい。
それが誰かを大切に思うこととは何が違うだろう。

これが、今の私の記述問題記入欄。

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