タバコと僕の今日 / 先輩と僕とタバコ

2015/02/27

「タバコ、一本もらえますか?」
昼休み、先輩に声をかけた。昨日吸いすぎたんだ。ポケットに入っていた箱には、ライターだけが入っていた。酒と一緒に吸うと、次々吸ってしまう。酒がタバコを誘発して、タバコが酒を誘発するんだ。
いつも通り、先輩はタバコを吸い始めたところのようだった。まだまだ長いタバコが、口の先で揺れている。
「ん。」
先輩は右手のタバコの箱をほおってよこした。青っぽい物体が目の前を横切りかける。慌てて受けとった。ここは屋外の喫煙所。天気は風雨。春の嵐といったところ。落としたら中がべちゃべちゃになってしまうかも。この人は雑だなあ、こういうとこ。

先輩とは同じ高校で、同じ大学で、同じサークルだった。それで同じ喫煙者で、同じ時間にタバコを吸う仲だった。だからよく話したし、サークルでもよく絡んだ。一番仲のいい人だった。
手にした箱の銘柄を見る。この前出た新しいタバコだ。球をつぶすと味が変わるやつ。最近この種類多いなあ。
「ライター中に入ってるから。」
声をかけられてふたに手をやる。本当だ。パカリと箱を開けると、タバコに追いやられるようにして隅っこにライターがあった。丸い部分で火花を飛ばして着火するタイプのコンビニライター。
「ありがとうございます。」
右手に握っていた自分のライターをポケットにそっとしまう。こういうときは相手のものを使った方がいい気がする。
箱からタバコとライターを抜き出し、タバコを口にくわえて火を付けようとする。けれど、風が強いせいかうまく火が付かない。苦戦していたら、白い手がにゅっと鼻先に現れた。先輩の手だ。風を防ごうとしてくれているらしい。細くてきれいな指だ。
「あひはとふごはいます。」
タバコを加えているせいで変なしゃべり方だ。
「なにいってんのー。」
案の定からかわれた。やっとの思いで火をつけて、口から煙を吐き出す。
「ありがとうございます、って言ったんです。」
「どーいたしまして。」
先輩も煙を吐きながら、返事を返してきた。

二人して黙って煙を吐き出し続けた。やかましいくらいに雨の音が続く。ふと脇を見れば、大学と周りを仕切る格子越しに駐車場が見えた。丁度高そうな車が出ていこうとしている。運転手が機械に金を入れようとして、頑張って手を伸ばしていた。
今までのサークルのことを思い出した。先輩に引っ張られるまま入ったこと。新歓で潰れかけたこと。それをからかわれ、同期と話すようになったこと。次第に、先輩と先輩の代の人とも話すようになったこと。以外と人間関係が面倒だと知ったこと。一部の同期たちと距離を置き始めたこと。
そこまで思い返して、タバコのフィルターの球をかみつぶしたことに気が付く。そのまま吸うと、メンソールの風味が強くなった。
「タバコ、変えたんですね。」
まだばたついている運転手を眺めながら、僕は先輩に話しかけた。
「あれねー。飽きちゃって。」
隣の先輩はスマートフォンをいじっているようだった。右手にタバコ、左手にスマホ。
「そうですか。」
運転手があきらめて車から出てきた。あーあー雨でぬれちゃって。あっという間にびっしょりだ。
「あれくらいしか吸ったことないし、ちょっと冒険してみようかなーってこれ買ってみた。」
先輩の方を見る。ちょうどスマートフォンをお尻のポケットにしまっていた。ふと目が合う。
「どした?」
「…いえ。」
にこりとする彼女に、思わず視線がさまよう。先輩のタバコが短くなっていることに気が付いた。
「この前の追いコンは楽しかったですね。」
「この前の…土曜か。そうだね、楽しかった。サトルの奴ずっと泣いてるし、カナコは酔って説教始めちゃうし。」
彼女はあの日を思い出したようで、口元を緩めた。僕も一緒に笑顔になった。
「オグチさんに説教癖があるのは予想外でしたね…。あんなべろべろなオグチさん初めて見ましたし。」
タバコの灰を落としながら、あの日を思い出す。オグチさんは結構すごい剣幕で怖かった。けど。
「けど僕らのこと心配してくれてるからってのがわかってるんで、ちょっとうれしかったですよ。…そういや、タキブチさんはクラノに告ってましたっけ。撃沈でしたが。」
「あっはっはっは!私たち芽がないからやめとけって言ってたんだよ? けどあいつやってみないと分からないって言って、あの結果だったよ。」
仕方ない。クラノはタキブチさんのことを嫌ってはいないようだったが、ほかに好きな人がいるみたいだし。
「あの後あいつ慰めるために4年全員でオールしてたんだ。」
「らしいですね、ススキがガミさんから聞いたっていってました。」
フフフっと笑っている先輩の右手が動いて、タバコが吸い殻入れに吸い込まれた。ジュッという火が消える音がしたのかもしれないが、この雨音ではわからない。
タバコもう一本吸っていい?と言ってきたのでうなずく。
「僕にも下さいよ。」
というと、タバコを加えた先輩は、今度は箱を投げずに差し出してきた。礼を言って1本抜き出す。ついでにライターも抜き出して、
「はい。」
と先輩のタバコに火をつける。
「はひはとー」
という先輩に、
「なにいってんですかー。」
と返してやった。
彼女は思わずといった感じで、煙と笑いを一緒に吹き出した。
「なに、根に持っちゃったの?」
「いえ、この流れが気に入っただけっす。」
「あっそ。」

高級車はいつの間にかゲートを潜り抜けたようだ。雨音も弱まってきている気がする。
「確か1日は降らないんですよね?」
「ん?」
先輩は首をかしげた。灰がポロリと落ちる。
「雨っす。雨」
「あーどうだったかな、天気予報見てないや。」
「ずぼらー。」
「うっせ。」
どうでもいい軽口の応酬だ。今までもしてきた応酬だ。…ずっとすると思っていた応酬だ。僕はタバコを吸って、吐いた。煙が口から吹き出て、風に流される。灰になっていくタバコが、とてもいとおしく思えた。灰になどなるなと思った。

雨が小降りになってきた。
「…4年でオールしたっていったじゃない。あれさー、タキブチ慰めるって、誰からともなく言い出したんだけどさ。」
タバコの長さが半分を切ったころ。突然、先輩が思わず、といった感じで口を開いた。彼女の目は、暗い空に向けられていた。その視線は、言いたいことが定まっているけど、どう伝えればいいのかわからない、といった風だった。僕は、そんな目をした彼女の横顔を見ていた。
「なんかきっと、みんな別れるのが嫌だったんだよね。もうちょっと一緒にいたかったんだ。」
彼女の声はしっかりとしていた。強い思いを持った声だと感じた。
「そんなにうちの代、仲良かったとは思わないしさ、実際途中で仲たがいもしたし。けど、4年一緒にやってきて、もうちょっと一緒にいたいと思ったんだ。」
「……」
「あんたもさ、きっとそうなるよ。不安なことあるのかもしれないけど、きっと大丈夫。もっと一緒にいたかったって。…今まで一緒にいれてよかったって思えるよ。」
いつの間にか、先輩の視線はこちらに向いていた。まぶしい視線だと思った。思いやりと慈しみと強さにあふれた、引力のような視線だと。
「…それを伝えるために、今日来てくれたんですね。先輩、もう大学来なくてもいいのに。」
卒研終わった話は聞いたし、なんで大学にいるのかな、と思っていた。なんか書類出しに来たんだろう、くらいに思っていた。聞くほどでもない理由だと思っていた。
「久しぶりにここで見たんで、人違いかと思ったんですよ。」
僕に言葉を残すために来てくれたなんて、考えてもいなかった。
「その割にはタバコくれ、って言ってきたじゃん。知らない人にもそういうの言えるタイプだっけ?」
微笑みを浮かべて、彼女は軽口をたたいた。柔らかい笑みだった。
「いえ。見間違えるわけないって、気づいただけですよ。」
僕は軽口をたたけなかった。真摯に答えなければならないと思った。
「ありがとうございます。ここまで一緒にいてくれて。引っ張ってくれて。助けてくれて。大丈夫です。心配しないでください。確かに不安なこともありましたし、嫌なこともありました。同期のこともそうです。けど、大丈夫です。僕は、先輩の後輩ですから。」
先輩は驚いたようだった。けれど僕がそう答える事を知っているようでもあった。段々と笑いがこみあげてきたようで、最終的には肩を震わせて爆笑していた。
「さすが私の後輩!そーだよね!大丈夫!心配することもないよね!」
彼女はタバコを押し付けて火を消すと、勢いをつけて立ち上がって、こちらを見た。
「じゃあそろそろ行くね。なんかあったら連絡してきなよ。」
「はい。ありがとうございます。」
満面の笑みに対して、素直にそういった。どうでもいいことでも連絡してやろうなんて思った。
僕も煙草を消して立ち上がる。
「じゃあね、槻口。元気でね。」
「はい。崎廣先輩もお元気で。」
ひときわいい笑顔を見せると、彼女は背を向けて歩いていった。僕はその背中を見送った。いつの間にか雨は止み、厚い布地を貫くようにして、雲から日が漏れ出していた。彼女の足取りは軽く、力強かった。こっちを振り向くことなんてしなかった。
意外と心配させてたんだな、と思った。いつもは元気に僕をひきずり回してばかりで、そんな素振りは見せなかったのに。今度会うときは、心配なんてかけらもさせたくないな、と思った。それでまた引きずり回されよう、そう思った。

しばらくぼんやりと見送っていると、いきなりUターンして、先輩が戻ってきた。
「どうしたんです?あんだけいい感じにさよならしたのに。」
僕が軽口をたたくと、
「忘れ物してた。」
彼女はウソみたいに悪戯っぽい顔でそういった。
「忘れ物?何も残ってない…」
僕は最後までいうことができなかった。ずっと眺めてきた顔がすっと目の前に現れて、言いかけの言葉を彼女の唇でふさがれたから。
めちゃくちゃタバコ臭くてめちゃくちゃ甘い、さよならのキスだった。
その時の雨音を、僕が忘れることはないだろう。

これで僕と先輩の話は終わり。

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