見出し画像

今日は終戦記念日。
毎年この時期になると関係した記事や番組が目につくのだが、たまたま見た昨日のNHK BSの再放送が興味深かった。

タイトルは、「謎の商人と原子爆弾」
原子爆弾に必要なウランを、アメリカはどこから手に入れたかという内容。
ベルギー領だったゴンゴ民主共和国から、ベルギー人が運び出してアメリカ政府に売ったという。
深夜番組だったのだが、内容もさることながらゴンゴという国名で見続ける事にした。
何故ならば、留学時代ゴンゴ人と数ヶ月語学学校で仲良く過ごしていたからだ。

ゴンゴは元々1つの国だったが、その後ベルギー領となったゴンゴ民主共和国(ザイールという国名の方が馴染み深いがある)とフランス領となったゴンゴ共和国に分かれている。
知人のゴンゴ人は、ゴンゴ共和国の出身。
その当時のゴンゴ共和国は、内戦が劇化。
父親が政治の中心にいたため殺される危険が高くなり、家族と共に国を脱出したと教えてくれた。

ウィーンは音楽の都として有名だが、実はヨーロッパの中でも東欧に位置している。
そのせいもあって、旧ユーゴスラビアの人達や旧共産圏の人達など様々な人種が生活している。
たぶん、歴史的にハプスブルク家が東欧に力を及ぼしていた事実も関係していたと思う。
あまり知られていないが、ベルリンの壁が崩れたきっかけも、ハンガリーとオーストリアの国境をハンガリー側が解放したからだ。

さてそんなウィーンだが、アフリカには領土がなかったためかそこまでアフリカ系の人々は多くなかった。
領土があったフランスやベルギーと雰囲気が違うのは、それも関係しているような気がする。
そんな中で出会ったゴンゴ人の知人。
平和でのんびり生活をしてきた私は、頭で分かっていたつもりの事柄から実は何も分かっていないと痛感する事ばかりだった。
ウィーンでの生活で様々な国の人と知り合った事は、その後の私の価値観や歴史観に大きな影響を及ぼしている。
この知人が、初めてのカルチャーショックだった。
内戦が収まったら、帰国して国をつくっていかなけらばならないと話してくれた彼。
今は、60歳ぐらいのはず。
どうしているだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?