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シャニアニネタバレ感想 #6

どうも、かめちゃんと申します🐢

この度は、公開初日にシャニアニ2nd season第3章を観てきました!
つきましては、その感想をnoteにまとめたいと思います!

⚠️当然ながらネタバレしかない感想です⚠️


9話

7話から続くユニット回のストレイライト版。
中心として描かれるのは。

和泉愛依

元となるコミュは「The Straylight」。
アイドル愛依のバックボーンであるコミュたちです。

2nd season全体に共通するテーマ、アイドルとしてどうありたいか、つまり【アイドルアイデンティティ】。

1章で懸念として挙げていた愛依の掘り下げについて。
話を動かしやすいあさひや、冬優子と違って、少ない話数では目立ちづらい和泉愛依の”うち”と”あたし”の物語です。

ストレイライトとしての活動を始めた愛依は、ステージの上であがってしまうことをカバーするために、Pの発案でミステリアス路線になりました。
いつしか愛依サマと呼ばれるようになり、場数を踏んでいったことで、愛依は少しずつステージでの緊張を克服していきます。

そして、この話はそこから。
ステージに立つ愛依サマでいることと、本来の明るい和泉愛依でいることのギャップ。その間で悩みを抱え始めます。

いつもの和泉愛依としてステージに立つことについて、冬優子に意見を求める愛依。
あっさりと「いいんじゃない?」と言われます。ただ、愛依の中には愛依サマ=あの子が離れていってしまうことにも葛藤を抱えていました。

あさひはあさひで、ミュージカルのオーディションに向けて着々と進んでいきます。
冬優子はリーダーとして2人の状況を鑑みて、ストレイライトとしてのブランディングや、どう動いていくのかを模索していきます。

今回の話は、3人がそれぞれの方向、方法で、アイドルとしてどうあるかの過程の話でもあると思いました。
大人というか、冬優子ですらリーダーとして確固たるものというわけではなく、模索中という感じの印象も受けました。

その中で、とあることから、愛依はツイスタに”気の良いギャル”としての姿を公開されてしまいます。
冬優子も、”いつもの愛依”でステージに立つことは許容しても、すっぱ抜かれるのはNGと言っていました。それもあって、愛依はそこをすごく気にしてしまいます。いや、当然ですけど。

というか、配信者まじで許せん。盗撮やから犯罪やで。
こいつ。マジで法で裁かれてほしい。悪辣。許すまじ。

冬優子も、あさひも。”いつもの愛依”で歌うことは迷惑ではないと言うものの、愛依はこれまで作り上げてきた【ストレイライト】のブランディングを気にします。周りからの期待。そして、愛依自身もPと作り上げてきた”あの子”のことも。

そこで、きっかけになったのがあさひ。
オーディションを受けていく中でのPとの会話を愛依に伝えます。
曰く、ステージではありのままで良いという旨だったかと。

これね、たまたま直近でやってたヴイアライヴの配信なんですが、中村先生が言っていたことがあります。
それが”嘘”について。文脈的にはトークやコミュ力について言及しているのですが、役者として役を演じる時と本来の自分で話すときのこと。

まさに今回のテーマに近い部分だったかなと。あとは、最近で言うと、学マスの清夏もそんなエピソードもありました。
両者のアプローチは異なりますが、今回の愛依も。

どちらの自分も自分自身。いつもの”うち”も、Pと作り上げた”あたし”も。
どちらも愛依だからこそ、胸を張って誇りをもって。
歩みだした物語の先は、シャニアニよりも少し先の話。


個人的に、冬優子のスタンスに少し疑問符をもつ場面がありました。
が、よく考えたら、冬優子はここをクリアしているからこその視点だったのかなと思いました。

ちなみに。
今回、愛依のこの部分に焦点を当てるにあたって、他にも良さそうなコミュとして【メイ・ビー】のさなぴーとの絡みがあったと思います。
ただ、やはりストレイライトの愛依として、2人に支えられる形をとることが出来たという意味で、今回のチョイスになったのかなと思います。いつかそちらの世界も見てみたいところですね。

見たよ、特典の愛依

10話

放クラ回です。
今回、話の中心になるのは、智代子でした。

特典の智代子

智代子もまた、今回の全体的なテーマである、アイドルとしてどうなりたいかに向き合うことになります。
ライブのパンフレットのアンケートのその欄の記入をめぐってのお話でした。

果穂はすぐに書きあげていましたね。
智代子は思いを巡らせますが、なかなかすぐには出てきません。
果穂ほど純粋に勢いで決めきれない年齢に差し掛かっているのもあるかもしれませんが。

カメラマンとの話でも、小さいころからなりたかったものの話になります。夢。

智代子は元からアイドルになりたい女の子ではありませんでした。
友人(あすみちゃん)の代わりに受けたオーディション。そこで合格したことが今に繋がっています。

ただ、それが智代子にとってはそれが、後ろめたくもあったようでした。
つまり、他のメンバーほど真剣になれていない(という錯覚)ということ。自分事になりきれていないところがあったのかも。

智代子はあすみちゃんとのやりとりを回想し、少しずつ思考をまとめていったのだと推察します。そして、メンバーたちに想いを告げるのです。

智代子の口から出たのは謝罪。
自身の後ろめたさからの言葉でした。
そんな智代子を放クラのメンバーたちは受け入れて、包み込みます。


この回、夏葉をはじめとしてメンバーの誰もが智代子の変化を感じ取っている描写が随所に散りばめられています。
言葉をかけはしますが、智代子の想いを待っていて、誰も押し付けなかった。

7話や8話で見られたユニットメンバー同士の愛は、ある種のぶつかり合いでした。
それに対して、放クラは受け止める。アンティーカは浜辺で抱き合いましたが、放クラは肩を寄せ合った。

これのどちらがどうということではないのですが、受け止める温かさに心が浄化されたんですよね。


あと、この回はメンバー以外にも、あすみちゃんとカメラマンという存在からも影響がありました。
CVにも驚かされましたね、私は。


11話

SNSでバズる透。
公式のあらすじで笑いました、文言が他に比べてシンプルすぎる。笑

この回では、10話最後から映り込みでバズった透の話を軸としながら
イルミネ(特に真乃)の動きを織り交ぜた回でした。

SNSのいいねと心拍を掛け合わせる演出。

きっかけは本当に不意なもので、実力云々ではなく駆け上がっていく透。
様々な仕事が舞い込んでいく中で、私にはその姿が刹那的に消費されているように映りました。

これは本当に昨今のメディアにあるような感じで。一過性のブームになりかねない消費スピード。
透の様子を見ているとアイドルとしての血がまだ通っていない人形のような。

雛奈からの質問で注目されて嬉しいから聞かれるシーンがありましたが、透はあまり自覚的ではないようでした。

透と真乃は6話のように屋上で話します。
6話では漠然と見えなかったものが、少しずつ見えてきました。

"頑張る"こと。
息をすること。

決して言葉にすることが得意とは言えない2人。彼女たちが織りなすやりとりは、抽象的で。でもアイドルって具体ではないですからね。概念。なんせ偶像ですから。
どんな偶像になりたいか。

浅倉透は走り始めます。
ノクチルにとって、浅倉透の存在は「走り出すのに十分」なエンジンです。
透自身のエンジン。アイドルとしてのエンジン。


普段、自分の心拍なんて意識しないですよね。
当たり前のように息をして、そこに意識を向けることはそうない。
だからこそ、"生きていること"は無意識。知らず知らずのうちに事は進んでいく。

今回の物語はそこに意識を向けた2人のお話たいうか。誰かの存在が自分の呼吸に気づかせてくれる。
アイドル浅倉透のRe:startとして映りました。


12話

アルバムを提げたライブツアーが描かれます。

この回は、各ユニットがそこに臨む姿を描きつつ、やはり中心には11話を経たイルミネとノクチルが印象的に映る回でした。

それはライブとして、パフォーマンスシーンが描かれたという意味でのインパクトもあると思います。

背中を押すイルミネ、アイドルとして走り始めるノクチル。
特にノクチルは唯一新曲ではなく「いつだって僕らは」という最初の曲を披露しました。

5話では炎上したように口パクすらしなかったパフォーマンス。あの頃のノクチルはまだアイドルにはなりきれていなかったと思います。
大して、12話のノクチルは消費されるためではなく、海という"生"を求め輝きます。

浅倉透が走り始めます。その姿は、等身大のアイドル。透が走れば、メンバーたちはついていきます。
生きている、そこにノクチルが。輝いている。


そして、6つのユニットのアイドルたちが並び立ちます。奈落からのせり上がり。
個人的に思い返したのは、ムビマスのマスピ。アイドルのシルエットは美しい。

プリズムフレアは本当にいい曲だと思いました。
アイドルたちが本当に輝いていました。動きを見ていると、過去に自分の眼で見た光景と重なりました。アイドルを感じました。大団円。


全体的な感想

2nd seasonを通して。
アニメとしての見やすさがあって、テンポ感含めてわかりやすく楽しむことができたなと思います。

まずはオリジナル要素。
ハロウィンライブや新曲。この辺りはすごく新鮮に、アイマスアニメとして楽しみにしていた点だったので満足度が高かったですね。
特にハロウィンの方は、普段見れない関係も見えましたしね。

対してユニット回は既存コミュをベースにしているだけあって、自然なアイドルたちの動きを感じることができた上に、なぜアイドルたちがそのようにあるのかの骨子が見えやすかった。
もちろん、尺的にはもう少し欲しかったエピソードもありましたが、動きのあるアニメという利点も活かしてよくまとめたなと感じました。

1st seasonと明確に違うのが、ユニットの中の個人を通して周りを描いた点。
これによって視聴者としては話の視点を定めやすかったということと、結果的にユニットの雰囲気だけでなくメンバーたちの個性が伝わりやすかったような気がしています。
取り上げられたアイドルたちも、真乃と透以外はセンターではないアイドルたちということでよりバランスよく見れたなという満足感もありました。
特に特に和泉愛依!これに関しては感謝しかありません。


そして、それらを受けて全体的なテーマであるアイドルアイデンティティについて。
我々とて、アイデンティティの確立は青年期の発達課題として言われているわけで、若い彼女たちにこれを具体明確に見出す事は難しい課題だったのだろうと推察できます。
自分がそもそもなんたるかはっきりしないのに、アイドルとしてどうかなんて二重に難しい。
自分に立ち返った時、高校生の時に自分が何になりたいかなんて、まだわからなかったですもんね。

その中で、彼女たちは自分なりの未来に歩み始めました。それがアルバムの曲にも反映されてた感じですよね。表題に"未来"のようなワードが多いのもそうしたところにに現れていたと思います。

そのような意味で、シャニアニ2ndは未来への一歩を踏み出し始めたアイドルたちの物語であったと感じました。


ただ、やはり抽象的な部分が多いという点において、新規層に刺さるのかどうかはわかりません。昨今の事情的にわかりやすさは重視されがちだし、片手間にアニメを見ていたら何のことかさっぱりわからないまま進んでしまうようなところもあるかも。

例えば愛依も、後の物語を知ってるから納得できるけど、アニメだけ見てる層にとってはモヤっとする部分もあるだろうなと。
具体的には配信者に晒された後の顛末とか、アニメの中でクリアにならないのは人によって意見変わるのかなと思いました。


ただ、やはり取り上げてくれたこと自体に最大限の感謝がありますし、
先にもあげたように特典もめっちゃいい!ので満足感はあります。

9/30の北原さん登壇キャストトークも現地行く予定なので対戦よろしくお願いします👊
今回はこの辺で。

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