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私なりの武装

美人の気持ちは知らんけど知らんことが問題ちゃうか。

そんな一行で終わる内容をつらつらと前回書いた私が今度は美醜の後者について考えたいと思います。

今回記事のトップ画像は(サイズの問題で一部しか映っていませんが)
Adoさんの「ギラギラ」という曲を聴いて作った私のコラージュ作品です。

初めて聴いた時の率直な感想としては
「曲の雰囲気お洒落やしかっこいいけど
いや、とにかく卑屈すぎやないですかあなた」でした。
ちなみに作詞はAdoさんではなくてにをはさんという有名なボカロPの方なのですが。
もちろんお二方や関係者の素晴らしいお仕事によって綺麗に世界観が作り込まれた、
今ではとても好きな曲ですが最初に聴いた時は正直そう感じました。


“Ugly 正直言って私の顔はそう神様が左手で描いたみたい
必然 この世にあるラブソングはどれひとつ
絶対私向けなんかじゃないでしょう”
 _Ado:ギラギラ 1番Aメロより引用

たったこれだけの文字数で背景理解を詰め込む、てにをはさんはやはり凄い方だなぁなどと
かつては音楽活動の最中に作詞作曲の真似事をしていた私には小学生並みの感想しか述べられないです。

私がなんと言おうと実際に聴いていただくか歌詞全文を読んでいただく方が話は早いのですが、この曲は自分の容姿をただ嘆くだけの曲ではないのです。


”メラメラ火を噴いて私は夜の狼
Rap Tap Tap Tap
そこで見てろこの乱舞
強くおなり あなたなりの武装(メイクアップ)で
Flap up Flap up”
 _同曲2番サビより引用


いや圧倒的にメンタルは強いな!
私の心の中の霜降り明星の粗品さんはそう言っています。


これを聴いてふと、昔は確かビューティーコロシアムだったか
整形番組を特番でよくやっていた時代があったなと思い出しました。
まだ幼かった私が見たあの番組の司会者は確か和田アキ子さんで、
確かに世間的にいわゆる不細工と分類されがちな特徴を持つ人々が整形手術を受けることで自信を取り戻す。そんな番組だったと思います。

番組に出てくる方々はほとんど皆口を揃えて
”この顔のせいで”周囲と打ち解けられない、冷遇される、不幸だと訴えていました。
泣いている人も割合多く、その声をアッコさんが受け止めながら整形を受けた後には前を向いて生きるように諭す
そんなシーンがよく出てきて印象的でした。

あの番組に勇気を持って出演し手術した方々は是非幸せなその後を送ってほしいとは願うところですが、私たちはその後を知る術はありません。
御伽話がハッピーエンドで終わって、
その後の暮らしについて一瞬だけ思いを馳せかけるような、あの感覚に似ています。

気付けばその手の番組も放送されなくなりました。
時代の変化に合わせた結果なのでしょう。


そう、時代や状況や環境が変わってしまえば苦悩自体は取り払えなくてもどれぐらい苦悩するのかなんていくらでも変わっていくのです。
平安時代などの大昔の美人の定義は現在と随分違ったものだったと聞きます。


”もしも神様が左利きならどんなに幸せか知れない“
 _同曲Cメロより引用

そう、神様が左利きだった時代もあるのです。
そしてその神様とは聖書のゴッドではなく、
ただのその時々の世間の感覚です。

大体、前回あれだけ自分の顔への自己評価が高くないことを綴った私も幼少期は
「私には一生彼氏ができないんだろうな」なんて考えていましたが普通に何人かの彼氏は今までにできました。
意外と世の中にB専は多いのか?と思った時期もありましたが。
人の数だけ美醜の感覚があるのだから、
支持する人が多いか少ないかだけの違いで大抵は誰かには刺さるのです。
これを読むあなたが好むの容姿と、友達の持つ好みの容姿が違うように。

ちなみに私は髭が生えていてアーモンド型の死んだ目をした男性が好きです。
長めの逆まつげで長髪ならもう最高です。
すみませんって、聞いてないなんて言わないで。

容姿に問わずありのままで在ることに重きを置くことを叫ばれがちな昨今ですし概ね私も賛同派ですが、生まれ持った全てを受け入れろというのは酷な話にも思えてしまいます。
そのために誰かが、自身の何かを変えようという努力は誰にも否定する権利はないのです。

あの番組に出ていた人の中には、
個人的にはそれはなんでも顔のせいにしすぎじゃないかと感じる話もありました。

彼女たちが容姿を変えることで全く違う輝かしい人生を送ったのか
それとも、全てを容姿のせいにしてきたので見た目以外の何の変化も得ることができなかったのか
はたまた、多少生きやすくなったなと改めて自分の人生を模索しているのか

私たちは知る由もありませんが、ここで一つの持論を展開させていただきます。

見た目って結構大事です。
変えたいなら性別問わずダイエットなりメイクなりすればいいし
それでどうにもならないなら整形もええんちゃうかと。
ただ前回も書いた通り人生は美人でもありふれた顔でも不細工でもわりとハードモードです。
太鼓の達人のように丁寧に難易度選択を提示してくれません。

美醜に限ったことではないですが
もし自分は”おにモード”になる特性を持って生まれたならすこしの勇気を持ってハードモードや通常モードに下げる権利は間違いなく本人にあります。あなたなりの武装で。

ただ、前回も書いた通り人は老います。
その武器は“老いた時に何を残せるのか”
そのために時に振い、時に守るためのものとして使うのが重要だと思います。


私はこの後少し散歩をして好きな花でも眺めに行こうと思います。
アラサーですからさすがに化粧はします。
今日も私はKATEのダブルラインエキスパートで二重ラインと涙袋を描くでしょう。手放せない愛用品です。
でも目が霞むのでカラーコンタクトと、それからつけまつ毛も最近はしなくなりました。
昔からの知人と会う日だけはやっぱりフルメイクしちゃうんですけどね。


Instagramにて今回載せているコラージュアート画像のフルサイズが見れますので良ければ覗いていってやってください。

https://www.instagram.com/p/CoXK1ZShaZH/?igshid=ZmZiYTY5ZDNhOA%3D%3D

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