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#6 解剖学者 養老孟司氏から学ぶ「草木に葉が『成る』ように、自然体で生きていくことの大切さ」

 鎌倉に生まれ育ち、若い頃は鎌倉のまちをたくさん歩いたものです。僕は特に妙本寺が好きです。日蓮宗のお寺はたいてい街中にあるのですが、妙本寺は山の中にあって、自然に囲まれており居心地が良いです。

 鎌倉は、少し移動すれば山にも海にも行けます。ですが、こういうまちは日本中至る所にあって、鎌倉特有の魅力とは言えないのではないでしょうか。

 それでは、なぜ鎌倉が地元民にこれだけ愛され、観光客をこんなにも惹きつけるかということを追求してみると、鎌倉が醸し出す雰囲気にあるのではないかという答えに行き着きました。

 近頃は若い方々は「パワースポット」と呼んでいらっしゃいますが、それはつまり、神社仏閣が創出する雰囲気のことです。昔の人たちが神社仏閣を建てる時、然るべき理由があって場所を選定したはずです。そういう特別な場所ですから、そこにいると不思議な力を与えられる感覚になります。この、神社仏閣の雰囲気に魅了されるというのは、京都や奈良もそうですし、イタリアのフィレンツェなど世界各国の観光地にも共通しています。

 鎌倉のまちはどんどん変化をしていますが、これはローカルなものではありません。全体的な日本の変化、世界の変化と並んでいます。小町通りのお店が典型です。僕が子どもの頃に見ていた普通のお店は無くなり、スーパーやコンビニなどになっています。お菓子屋さんなどにしても、全国展開、世界展開しているものが鎌倉土産として売られています。まさに、戦後の日本の姿です。いわゆる、グローバリズムといえます。鎌倉の変化は、戦後の日本を表しています。

 鎌倉時代は、死者をいちいち火葬することはできないので、死体がそこら中に転がっていました。そんな中で武士も平民も生活をしていたわけです。現代人とはまったく異なる感性で生きていたことになります。それが文献の上で表れるのが、平家物語や方丈記です。そこには、諸行無常が書かれています。現代人は死体から目を背けますよね。ですが、人というのは必ず死ぬので、それを見たくないというのは、自分自身と折り合いがついていない証拠です。

 「人間力」という言葉は、人に何か力があって、人は何かをすることができるという前提のもとにつくられたのだと思います。ですが、僕はそういう前提を持っていません。物事はなるようにしかなりません。成り行きです。草木の葉が茂る、そういう感覚です。「成る」という考え方を、日本人は昔から持っています。この歳になって思うのは、人は力を持つと何かをしようとするけれども、それは無理ということです。どうしても問題が生じます。そうではなく、じっと待って、ゆっくりと地固めをして、機が熟した時に自然と「成る」のです。近代になって、欧米の考え方が入ってきてから、努力をすればしただけ、その分目標に近づく、叶うという論理が日本人に浸透しましたが、僕はそうは思っていません。成り行きに任せれば良いという考え方です。

 日常を前向きに、といって暮らしている日本人も多いですが、前向きに暮らしていても、ありがたいと思えることは、そうは起きません。滅多にないことだからこそ、ありがたいわけです。前向きに暮らしても日常で良いことがなかなか起きないので、ありがたいことに気がつかなかったり、大切にできなかったりするのでしょう。

 将来的に、南海トラフに大地震が来ると予想されています。それが現実に起これば、鎌倉にも大津波が襲ってくるでしょう。そのような大災害は、いつ起こるかはわかりません。備えも大事ですが、もっと大事なのは、大災害が起きた後にいかにして日常を取り戻していくかということです。

 若い方々や子どもたちには、どんな状況に置かれても、無理だとかダメだとか思わずに、知恵を出し、元気に力を出せるようになる、そんな訓練をしてもらいたいです。


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