『七色温度計』
雨が上がったみたい。少し明るくなってきた。
「ひかり、今年の誕生日プレゼントはこれだ。10歳の誕生日おめでとう」
パパの顔に張り付いた笑みは、私が喜ぶことを確信している。手渡してきたのは、シンプルに包装された手のひらサイズの箱。開けてみると、少し液晶が大きめなスマートフォン風温度計だった。
「はぁ? ワケわかんないし。もっとこう、あるでしょ。10歳の女の子が喜びそうなプレゼントが」
全然納得がいかない。我が家では誕生日プレゼントのリクエストはできない。いつもパパが決めて買ってくる。ちょっと前までは嬉しかった。パパのセンスは信頼していたし、私も幼かったのだろう。
「パパありがと、大好き!」
なんて言ってた。
でも、最近はパパのこと、分かんない。これで三年連続のハズレ。
帰りも遅い。ママともあんまりしゃべっていない気がする。
遠い。パパが遠い。
「まぁそう言わずに。悪くないもんだぞ。ほら、押してみろ」
無限の彼方からパパの声が聞こえる。
……ハイハイ。
言う通りにしないと後でどうなるか分かんない。
とりあえずタップしてみた。
ピッ
『がっかりしたよね』
喋った! 電子音の後に温度計が喋った!
しかも機械音じゃなくて自然で優しい女の人の声だ。よく見ると紫色に光っている。どういうこと?
「これは、七色温度計だ。持ち主の感情を色で表してくれる。しかも、解説つきの最新型だぞ。パパはこれを手に入れるのにとても苦労した」
ドヤ顔で語るパパは私が、今一番苦手なパパだ。おもむろに私の手から温度計を奪い、画面をタッチする。
ピッ
『ご機嫌ですね』
色は赤。
パパは私にウインクをしながら鼻歌まじりに風呂場へ消えていった。
ピッ
『気持ち悪いよね』
青色に鈍く光っている。
学校から帰ってきた。コートを脱ぎ捨ててカバンを玄関に放り投げる。誰もいない家、冷え切ったマイルーム。
「あーあ」
ひときわおっきな声を出してみたけど、どこからも反応なんてない。ベッドに勢いよく腰掛けると、昨日もらった温度計が視界の隅っこに入ってきた。
ピッ
『怒ってるね』
藍色。
うん、正解。
あいつ、許せない。
人のことぶりっ子とか呼びやがって。テメェの方がぶりっ子だっつーの。カッコイイ男子の前でだけ、大人しい女子のふりしてる。あの媚びている声、最悪。あームカつく。
憂さ晴らしにリビングでテレビをつけた。いきなり嵐の櫻井くんが大映し。
ピッ
『幸せだね』
黄色。
おぉ正解。ちょっと“おじさん”だけど、櫻井くん、好き。頭いいし。
結構やるじゃん、七色温度計。
日曜日だけど外に出る気はしない。とにかく寒いし、友だちともうまくいってない。でも、今日は家にいても居心地が悪い。パパ、いるみたい。
「どうだ? 温度計は楽しんでるか?」
パパが私の部屋に勝手に入ってきた。ノックもしないなんて、信じられない。
……楽しくなんかない。
こんなのいらない。
っていうかこれ持っていてなんになるの?
「パパの代わりなんだ」
えっ? どういうこと?
私の声は聞こえなかったみたい。
でも、出ていくパパの背中はちょっと小さくて、少しだけ懐かしかった。
ピッ
『良かったね。これで安心したね』
緑色。
うるさい。
いちいち言わなくていい。
そして、その言葉は私のものだ。
もういいや。
パパのプレゼント、もういらない。
私には不要だ。
放り投げると、クルクル回転しながら廊下を滑っていった。
ピピピッ
パパの書斎の扉の前で七色温度計が光った。
オレンジ色。
温度計は喋らなかった。
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