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漣の果てに。 第11話


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「ねぇ、あなたならどうする?」

「え? 何が?」

「あのね、大学に向かう途中のバスに、毎朝、障がいを持った人が乗ってくるの。大体、三十歳前後の男性。雨の日も風の日も真夏でも。でね、その人は障がいでうまく言葉が話せないけど、必死で周りとコミュニケーションを取ろうとするんだ。見ず知らずのバスの乗客に対してね」

「うん」

「それが結構しつこくて、服を触られたり、握手を求められたりするの。毎日、誰か一人決めて、その人に何かを伝えようと、身振り手振り。それに加えて、必死で喉から絞り出して声を出すの。で、その声がお世辞にも気持ちの良いものとは言えないから、接触されたその人や周りの乗客は露骨に嫌な顔をしたりするわけ」

「はい」

「で、席が空いていれば、その人の隣に強引に腰掛ける」

「へぇ」

「反応は人それぞれ。ちゃんと握手をする人、迷惑そうにする人、スマホをいじるふりしてほぼ無視する人」

「ふーん」

「降りる停留所が近づくと、隙あらばハグをする。相手が女性でもお構いなし。そして、どんな反応の人にも、最後には満面の笑みでサムアップ」

満面笑わずの無表情で俺の方を見つめサムアップ。そして、上体を起こして悪戯そうに少しはにかみ、首を傾げて聞いてくる。

「さあ、あなたならどうする?」

「うーん……。多少、困惑するし、笑顔が作れるかどうか自信はないけど、最後のサムアップはするな。サムアップ好きだし」

「ふーん。なるほどね。……よし、いいでしょう。正解としましょう」

雫はまた体を寝かせ、目を閉じた。そして、満足そうに首をコクコク動かす。
君はその時、どうしたの? と聞きたかったが、黙っておく。


◇◇◇


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あの入札の日から一年半が経過した。大事な何かを失った気がするが、その代わりに白髪と体重と給料は激増した。

井沢ダムの工事は順調だ。
地元の雇用は潤い、巨額の金が岩手に落ちている。俄かに活気付く地方の街を見るのは悪い気分ではない。

畑だらけの田舎町。
二十年乗り続けたカローラがハイブリッドカーに変わり、耐震性も何もない平屋は二階建ての鉄筋新築住宅へと姿を変え、街の商店はコンビニに変わる。

町中、ビフォーアフター。地方が生まれ変わり、自然は失われ、刻まれた思い出は形を失っていく。だが、日本人は前ほど「土地」への執着がない。いとも容易く故郷を捨てる。

それゆえ、ダムを作ることで抱える罪悪感も昔ほどは、ない。
俺が変わったからか、日本が変わったからか、それは分からない。5億の賄賂が地元の人々の笑顔を生んだ。簡単に邯鄲の夢とならないことを願うばかりだ。

だが、盛り上がる地元の一方で、依然として無駄な公共事業への世論の反発は根強い。井沢ダムも御多分に漏れず、税金の無駄遣い論争の矢面に立たされている。そして、民意にあっさり流される民栄党は、着工して間もなく井沢ダム工事の凍結をマニュフェストに掲げて総選挙を戦った。

その時は、口をあんぐり開けるくらいには驚いたが、その筆頭だったSL好きの国土交通大臣はなぜだろう、いつの間にか要職を追われ、工事凍結の話題が新聞やニュースを賑わせることもなくなった。今では井沢ダムの井の字も口にしない。

つつがなく工事は進んでいる。


第二東京タワー〝スカイツリー〟の単独受注も決まった。日本中が注目するこの工事。小森の技術力を結晶した耐震免震構造の提案が最大級の評価をもらい、激戦となった入札に(正々堂々)勝利した。

ここ数年ほぼ横並びと言われていたゼネコン大手五社の中で、二つの大型国家事業を手がけた小森建設は業績と知名度で頭一つ抜け出た。清川組、鹿鳥を抜いた感触が社内に広がる。

社長がテレビに登場する機会も増えてきた。スカイツリーの営業担当ということで五條の露出も多い。悔しいが仕方ない。俺はテレビや雑誌に出たいわけではない。むしろ出たくない。しゃべりは嫌いだ。

社長の一声で、半年前に専務に昇格した。実利的な社長からのご褒美昇級だ。今回も執行役員どまりの五條には確実に差をつけた。秘書もつき役員室が与えられる。

部下や同期、仲間とは待遇・給与も心の距離も離れていく。常務から専務のあまりに早い昇級はやや不自然であり、社内でも俺の周りにあることないこと噂が流れるようになった。

これまでは着実、堅実を地で行く会社人生だった。地道に、目立たず、覇権争いとは無縁で歩んできたつもりのサラリーマン生活だった。部下にも慕われていたように思う。だが、社内での居心地は日ごとに悪くなっていく。少しずつ身体が大きくなっていく山椒魚のように。

今回の昇級で社長派筆頭として、周囲の目が変わった。媚びる者や敵愾心を明らかにしてくる者も雨後の筍のごとく現れる。権力を持つというのはこういうことか。俺は「杉森さん」から「専務」に改名された。

──孤独。
俺はまだ孤独になるのか。

井沢ダムを獲ったのは、あくまでも白尾副社長ということになっている。だが、白尾副社長が社長に昇格するという話は一向にない。現社長の評判が上がる一方だ。井沢ダム落札のために、俺が暗躍していたことを知るのは社長と副社長だけだ。他の誰もがその事実を知らない。

俺が実際にやったことは、岩手へ視察に一度行ったこと、黒さんと会ったことの二つだけだ。社内的にも俺に目が向くことはないはずだ。

が、不穏だ。
権力は身を滅ぼす。権力への欲は身を危うくする。

日差しはとうに弱まり、秋の夕暮れは短い。
役員室の椅子は柔らかすぎて落ち着かない。


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「もうすぐクリスマスだね」

「毎年思うけど、正直すごいよね。このクリスマスに向けての街の雰囲気作りは。〝きらびやか〟という言葉はクリスマスのためにある。侘びの精神はどこへ。千利休もびっくりするだろうね。無宗教日本は不思議な国だな」

「でも私はクリスマス、好き」

「俺も好きだよ。そして、偉大だと思う。やっぱりイエス・キリストはいたんだよ。毎年、なんだかんだ言ってもクリスマス前後の世の中は平和な気がする。クリスマスには、憎しみあっていた戦争だって止まることがあるっていうしね。12月25日というミラクルデイ。宗教なんてたくさんあるのに、不思議だ」

「うん」

「世界中が使っている暦の元になっているだけのことはある」

「クリスマスが近づくと、実際笑顔が多くなるし、多くの人がその一日を幸せに過ごそうと努力している。その努力というか幸せを願う気持ちが、クリスマスを本当の聖なる日にしているのかもね」

遠くを見つめ、彼女は一拍置いて続ける。店に流れるジャズアレンジのクリスマスソングは陽気だ。


「ねぇ、あなたは幸せ?」

君はどうなの? と聞き返したかったが、雫の目の眩耀がそれを許さなかった。しばしの無音の時は決して居心地の悪いものではなかった。

俺は少しだけ、でも出来るだけ確かにうなずいた。

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