小説「十二時」

数年前に描いた小説の一気読み版です。

賞に出す予定だったけど、色々あって辞めたので、ここに奉納しますね。



「十二時」
まただ。
また始まった。
何度も、何度も、繰り返される。
扉の向こう側で。
大きな声が聞こえた。
無意味と分かっていても相手を非難し続ける声が。
間違っていると分かっているのに自分を正当化する声が。
お父さんとお母さんは、また喧嘩を始めた。
大したことでもないのに。
二人は何で喧嘩するの?
お互いを愛し合って、違いを認め合って結婚し、一緒に住んでいるんじゃないの?
何かが壁に当たる音。
ガラスの何かが割れる音。
もう聞きたくない。
もう僕は何も聞きたくないよ。
僕は親たちの行き場のない怒りをぶつけられるのが怖いから、外に出た。
僕は十階建てマンションの三階に住んでいる。
階段を下りて、ロビーに入った。
自動ドアから出るとき、少し緊張に身を震わせた。
鍵を持っていないから、入るときはインターホンでお父さんかお母さんに開けて。とお願いしなきゃいけないからだ。
どんな言い訳をしようか迷いながら僕は自動ドアをくぐった。
空は月が見えないほど暗い青紫色の雲のカーテンが引かれていた。
低い黒い街灯が、黄土色のぼんやりした光で生垣を照らしていた。
マンションの裏にある坂を下り、その奥の坂を上り、広い道路を渡り、狭い歩道を歩き、
僕はコンビニの前に来た。
缶コーヒーを飲みながら煙草を吸う怖いおじさんが僕をじっと見てきたが、
気付いてないふりをして店に入った。
僕は濃いお茶と、シャケマヨのおにぎりを一つ買った。
店員さんは面倒臭そうに、眠そうに、僕を見て不思議そうに、おにぎりとお茶を素早く袋に入れた。
母の財布から黙って借りたお金を払って、袋を受け取った。
店員さんが何も話しかけてこなかったのは、面倒臭かったのか気を使ったのか分からない。
外に出ると、怖いおじさんは居なくなっていて、月の光がぼんやり雲の陰から見えていた。
おにぎりをすぐにたいらげてしまうと、僕は歩き出した。
行く当てもなく、真っ暗闇の中、ただ、歩いていた
その時、僕はなぜそんなことをしたのか分からなかったし、今もわからない。
きっとこれからも分からないだろう。
僕は住宅地の道路から伸びた軽自動車でも入れないような小道を歩いていた。
ふと視界の脇を見ると、酷い有様の家があった。
その家は二階建てだった。
塀には手入れのされていない木鉢が並び、魚がいない緑色の水槽がさびた鉄の棚の上に
ずらりと並んでいる。
もう一つの棚には二時二十七分で止まった時計が掛けてある。
他のところには穴だらけのタイヤが突っ込んである。
表札は朽ち果て、なんて書いてあるか分からなかった。
ポストには、ボロボロになったチラシがこれでもかというほど詰め込まれている。
小さな畑には僕の腰くらいの雑草が生えまくり、ちぎれたホースや陶器でできた馬や小人の人形があちこちに飛散していた。その奥には、青い大きな箱が置いてあった。ちょうど、電話ボックスくらいの大きさだ。
今にも崩れそうな鉄の柱の上には、ビニールハウスらしきものがあり、大きなはしごで上れるようになっている。
なにより驚いたのは、二階の屋根が崩れてそこから木が頭を出していたことだ。
こんな家に、近所の人は文句を言わないのだろうか。
そう思ってるうちに、僕はいつの間にか飛散したホースを踏みつけ、色あせたドアに向って歩いていた。
汚そうで入りたくなくても、僕の足は止まらなかった。
触りたくなかったが、蜘蛛の巣の張ったドアノブに手をかけ、中に入ろうとしていた。
この時、僕は喧嘩してる両親がいる家にいればよかったと思った。
しかし、僕の手は止まらなかった。
カギは開けっ放しのようだ。
ドアが鈍い音を立てて開いた。
中は何も見えず、暗闇の中で気持ち悪い化け物が潜んでいるんじゃないかという恐怖に包まれた。
昔、夢で見た体がズタズタにされた女の人とか、何千もの歯が並んだ大きな蛇とかが。
でも、僕の足は誰かに引っ張られているかのように一歩、踏み出した。
いや、踏み出そうとした。のほうが正しいのかもしれない。
僕の出した足の下には、床が無かった。
そのまま僕の体は倒れ、文字通り、真っ逆さまに落ちた。
僕は、すぐ固い地面に頭を打つと思った。
しかし、僕が頭を打つような地面でさえ、無かった。
どこまでも僕は落ちた。
視界が真っ暗になり、何も見えない。
ただ、体で落下しているのを感じ取っている。
ぐるぐるぐるぐる回りながら、勢いを増し、隕石のように、僕は落ちていった。
どれだけ叫び声をあげても、体制を変えても、勢いは留まることを知らなかった。
いつ地面につくのか、いつ命が尽きるのか怖がりながら、ただ、落ちていった。
もう諦めてお経を唱えようかと考え始めた時だった。
「これはまた騒がしい客が来たのう」というしゃがれた声が聞こえた。
気付けば僕は変に柔らかいようなぐにゃっとした木製の床に尻もちをついていた。
あんなに高い所から落ちたのに、死んでいない。
それどころか、全く痛みも無かった。
本に何かを書いている…カメ?
白い逆三角形のきれいに整えられた髭に少し皮がたるんだ禿げ頭。
硬そうな濃い緑色の甲羅を背負って、抹茶みたいな色の短い五本指で器用に羽ペンを持っている。
カメのおじいさんは書き物から一時も目を離さず、言った。
「さて、何の用かね?泊まるか?一休みか?冷やかしか?
それとも飯を食わせろとな?いずれにせよ、金は持っとるのかね?
この通り、経営が大変なもんでな。全く、最近の若い連中ときたら…」
このままだと止まりそうに無いから、思い切って口を挟んだ。
「誰」
と。
「やれやれ、若いモンは少しは口の利き方を…」
やっとこちら側に目を向けた瞬間、眠そうな目を皿のように見開いて、
小さな口をあんぐり開けて、顎鬚を前に突き出していた。。
「お前さんは…まさか人間かの!」
あまりにも凄い勢いでカウンターから出たので、
危うく甲羅にインクの瓶が落ちる所だったが、
素早く後ろ足でキャッチし元の位置に戻しつつ話しかけてきた。
「人間じゃあ…夢でも幻でもない本物の人間じゃあ!!!
おぉ、済まんのう。娘も妻も今出稼ぎに行っていてな…今日帰って来る筈なんじゃが。
うちは宿屋をやっておってな…まぁまぁ、ささ、奥に入ってくだされ」
カメのおじいさんはゴツゴツした手で僕の背中を押した。
この宿屋は二階建てのようだ。
一階と二階は吹き抜けのようになっている。
二階にはドアが沢山付いている。
恐らく客が泊まる部屋だろう。
一階は大きな丸い机が四つ並んでいて、広すぎず、狭すぎない配置だ。
壁は色あせたオレンジ色で、扉は鮮やかな緑色だ。
僕はカウンターの裏側の部屋まで連れていかれた。
僕からすれば、あまり広いとは言えない部屋だった。
天井は僕の頭すれすれで、両手を広げるとぎりぎり壁に届かないくらいの広さだ。
床はきれいだが、肌色の本棚に古そうな本が所狭しと本が積み込められている。
部屋の中心にはオレンジ色の丸いテーブルがあって、椅子が四つ置かれている。
そのすぐ横に窓がついた緑色の戸口と薄いレモン色のベッドが三つある。
「まぁまぁ、座れ座れ。今茶を淹れてくるからの」
僕はドアから一番近いオレンジの椅子に座った。とても低くて、ほぼ体操座りの姿勢だ。
カメのおじいさんは僕から見て左側にある部屋に消えた。
部屋には何と無く川のコケみたいな匂いが立ち込めている。
2、3分でカメのおじいさんはお茶を持ってきた。
「ほれ。人間様の口に合うかどうか分からんが」
熱いお茶をすすってみると、海藻みたいな味がしたが、不味くはない。
カメのおじいさんは僕の向かいに座り、落ち着いた口調で言った。
「それで…聞きたいことが山程あるんじゃが…」
話し出す前に、僕は言った。
「一体ここはどこなんです?それに、あなたは誰なんですか?
何でカメさんが喋れるんですか?僕は全く知らないんですよ…
ドアを開けたら当然穴に落ちて…」
「何?世界を繋ぐ穴とは本当にあるのか?」
「…?なんですかそれ?」
「知らんのかね?…人間様の世界はどうなっとるんじゃ?
まあ兎に角…ワシらの世界には伝説があってな。
この世には様々な世界があり…神はその世界を作る道を作った…
求めるを模索し、旅をする『探究者』はその道を通り、世界を旅するだろう…
と言う伝説じゃ。他にもいろいろあるんじゃがな…例えば冷血な鋼鉄の機械に世界は征服されるとか…」
ゲームでしか聞いたことが無いような伝説に、戸惑った。
「ち、ちょっと待ってください」
僕はカメのおじいさんの顔の前に手のひらを突き出した。
「何じゃ?」
「僕は何か欲しい物があるわけじゃないし、旅なんかしてないし、
そもそもここにも来たくて来た訳じゃないんですよ?」
「何?そうなのか?よっぽど人間様はその世界で幸せに暮らしているんじゃな…」
僕は何も言えなかった。
心の中に、突然重い岩がのしかかってきた気がする。
突然カメのおじいさんは身を乗り出して言った。
乗り出すというより、机の上に乗った、のほうが正しいかもしれない。
「人間が世界の破滅を目指しているとは本当か?
この国の王は国中にそんなことを言いふらしているのじゃが…」
僕は驚いて、目を見開いて亀さんを見た。
僕は両手を広げて言った。。
「何ですかそれ?僕はそんな話知らないし、そもそも別の世界があることも知らないんですよ?」
「そうか!そうか!そりゃよい事じゃ。
…おっと、すまん長話し過ぎたのう。
旅でお疲れだろうに。特別今日はタダで泊まらせてやるぞ。
そういえば、名前を聞いてなかったのう。人間様。名前は?」
「正悟ですけど…」
「そうか、そうか。ワシはジルトじゃ。
それじゃ、ゆっくり休むといい。正悟さんよ。二階の奥から三番目の部屋じゃぞ」
そう言って鉄製のカギをもらった。
何が何だか全く分からないが、ジルトさんはいい人そうだし、折角タダで泊めてくれると言ってるんだから、
今日はゆっくり休もう。
ギシギシときしむ階段を上り、二階に上がった。。
吹き抜けからカウンターが見える。
カウンターでは、ジルドさんが茶色のリュックをもってあちこち歩きまわっている。
買出しにでも行くのだろうか。
奥から三番目の部屋の前に立った。
鍵を開けた。
緑色の扉を開けるのと同時に、隣で音がしたが、何かしているのだろうか。
部屋に入り、扉を閉めた。
部屋のサイズは一人で居るには何の問題もなく、居心地もとても良い部屋だ。
埃っぽさはなく、何と無く潮の匂いがする。
壁は外と変わらず肌色だ。
何が何だか分からないまま、僕はレモン色のベットに横になった。
でも、あの同じことの繰り返しの日々から抜け出せたことは、僕にとっては
とても素晴らしい事だ。
目を閉じ、これが夢じゃないことを信じながら、眠りについた。


僕は、柔らかいベットの上で寝ていたはずだ。
何故冷たい石の上で寝ているのか、全く分からない。
あれは夢だったのか…?
いや、どうやら違うらしい。
目を開けると、ぼんやりと黒い柵が見えた。
床から天井までまっすぐに伸びた柵だ。おそらく鉄製だろう。
その外に誰かが立っている。多分人間ではなさそうだ。
体を起こしてようやく状況が分かってきた。
どうやら僕は牢屋に入れられているらしい。
石の上で寝ていたから、首が痛い。
柵の奥に立っている何かが言った。
「オイ、二ングェンガウォキタズォ。ヨンドゥエコイ」
変な発音をする何かは、どうやらトカゲらしい。
トゲトゲした兜以外は、特に何の特徴もない鉄の鎧を着ていた。
ゲームに出てきそうな格好で、ちょっとカッコいい。
鎧の隙間から、黄土色の肌が見えている。
しばらくすると、沢山のガチャガチャという足音が聞こえてきた。
そして、牢屋の前で沢山のトカゲ兵士と派手な赤色と金色の服を
何枚も重ね着して、金色の襟巻をして、金色の冠を被ったトカゲが足を止めた。
派手なトカゲはこちらを向くと、赤く細い長い舌で左目の横を舐めてから、言った。
「ニングェンヨ。ブキモモタヌニングェンヨ。ナン二ガモクテキドァ?」
独特の訛りに吹き出しそうになったが、何とか抑えた。
「モクテキ…目的なら、まずこのせまっ苦しい所から出してもらいたいモノですねぇ
何故こんな所に閉じ込められなきゃいけないんです?」
派手なトカゲの隣の兵士トカゲが突然割り込んできて、
「グググ…ニングェン。ジュウジュウシイズォ。クティノキキカタウォカンガエロ。
ダイ227ダイメノジョウオウ、フリダードサマのゴゼンゾ!」
と叫び出したが、派手なトカゲがシューっと言った瞬間に怒鳴られた小学生のように
大人しくなった。
フリダードとか言う奴が赤い目でこっちを睨んで言った。
「キサマノネライガナンドァロウト、オマエハキヨウシヌウンメイダ。
セイゼイノコリノミヂカイズィンセイウォタノシムンドァナ。」
と、大きな声で高笑いをした。
「サァコイツウォロウヤカラヒッブァリドァセ。」
フリタードが僕を指さした。
兵士トカゲが牢屋のカギを開けて、中に入ってきた。
「何で…そんな…僕は何もしてないのに…するつもりも無いのに…
お願いです…僕はあなた方を傷つけるつもりは全くないんですよ?」
兵士トカゲのゴツゴツした堅い手が僕の腕を掴んだ。
僕の細い腕が悲鳴を上げた。
「痛ッ」
その時、またフリダードが短くシュッと鳴いた。
兵士トカゲが手を離した。
「ワカッタ。イマスグニハコロサナイドェヤル。
ソノカワリ、アシタドァ。
アシタヒガノブォルトドウジニ、キサマノクブィウォキリオトス。
ソレマドゥエ二、カクグォウォキメテオケ。」
「ありがとう…ございます…」
そのまま、フリタード達は行ってしまった。
一体…僕が寝ている間に何があったんだろうか…
あの亀のジルドさんは?僕を罠にはめたんだろうか?
いや、とてもそんな亀には見えない。
そんな考えを巡らせている間に、日は沈んでしまった。
もう、明日の日が昇るころには、僕は首を切り落とされてしまう…
誰か助けてくれないかと考えていると、後頭部に何か当たった。
振り向くと、壁の高い所に小さな格子戸があり、外につながっているらしい。
格子戸の奥に何かが動いていて、喋りかけてきた。
「本当にごめんなさい…貴方を買収するなんて私本当に最低な鳥ね…
貴方を必ず助け出すわ。この後、私のお父さんが来るはずよ…
それまで待ってて…大丈夫よ。希望を持ってね。人間さん」
僕が何か言おうとした瞬間、バサバサっと鳥が羽ばたくような音がした。
恐らく、鳥の人だったのかな?
なにが何だか分からないけど、僕を助け出してくれるらしい。
それからしばらくして、僕の見張り役が交代した。
前まで見張っていたトカゲが行ってしまうと、交代したトカゲが喋りかけてきた。
「人間さん、人間さん?」
驚いてそのトカゲの方を見た。
見た目はほかのトカゲとほぼ全く変わらないのに、あの独特な訛りが全くない。
「大丈夫。落ち着いて…変化薬を飲んだだけさ。ただ、効果の切れは早いからな…急ぐぞ。」
「あなたがさっき言ってた鳥さんのお父さん…?」
「ああ。バードスだ。君の名前は?」
「し、正悟です」
「いい名前だ。さあ、行くぞ。」
バードスさんは牢屋の鍵を開けると、僕の手を握った。
見た目はゴツゴツしているのに、まるで羽根布団を触るような感触だ。
「残念ながら変えられるのは見た目だけなのさ…さあ、行くよ。」
僕は立ち上がって、牢屋を出た。
「いいか、物音を出さないように気を付けるんだぞ…
トカルジャーは耳が悪いが、見つかれば命の保証はないからな。」
僕は小さくうなずき、バードスさんと手をつないだまま後ろから付いて行った。
暗い部屋や明るい部屋。広い部屋や狭い部屋。
暖かかったり寒かったり、トカゲの声が聞こえたりする場所を、物陰に隠れながら
進んでいった。
そして、大きな樽の後ろで一旦止まった。
「いいかい。あそこが出口だ。」
そう言って、樽の陰から大きな門を指さした。
「あの大きな門は鍵が閉まっていて開いていないが、隣にある小さな扉は常に開いている。」
そう言って、大きな門の脇にある小さな木戸を指さした。
バードスさんは僕の方を向いた。
ごつごつした黄土色の肌に似合わない、まんまるで淡い空色の大きな瞳が、僕の目を見つめた。
バードスさんはまるで僕の心の奥底まで、全てを見ているような気がする。
「ハァ…かわいそうに。まだこんなに小さな子供なのに…すまない…怖いだろうね…
いつ殺されるか分からないから…」
バードスさんは眉間にしわを寄せて、誤るように地面に目線を落とした。
僕は言った。
「僕はそんなに小さい子供じゃないですよ。
それに、いつ最悪な目に合うか分からないなんて、いつものことですよ。
大丈夫です」
「君は強い子だな…君のような人間に会ったら、娘も喜ぶだろうね…」
「娘さんって、さっきの…?」
「ああ。娘はとてもかわいい子でな…」
僕は樽に背をもたれた。
その時だった。
僕がもたれた樽が突然に、傾き倒れてしまった。
なんと、大きな樽の癖に中には何も入っておらず、とても軽かったのだ。
そのまま蓋と共に転がって行ってしまった。
その場が凍り付いた。
歩いていたトカルジャー達が足を止めた。
座っていたトカルジャー達がこちらを見た。
喋っていたトカルジャー達が話すのをやめた。
バードスさんはいち早く状況を読み込み、立ち上がって喋りだした。
「イイか!ドゥシタチヨ!コノニングェンハフリタードサマのメイレイドェ…」
まで言いかけた時、バードスさんの鎧の中から突然白銀の鳥の毛が出てきた。
あのトカゲ特有のゴツゴツした体ではなく、綺麗な光った見事な毛並みの鳥が姿を現した。
「………しまった。薬の効果が切れたか…………」
沈黙。
空気が動かない。
時間が止まっているかのように思えた。
バードスさんはゆっくりと口を動かし始めた。
そして、早口で大きな声で叫んだ。
「逃げろ」
その瞬間、まるで急に時間が動き出したかのように一斉に全員が動き出した。
トカルジャーがガラガラ声で叫んだ。
「ニングェンガドァッソウシタ!ニングェンガドァッソウシタ!」
鐘をガンガンと乱暴に打ち鳴らす音が聞こえた。
僕とバードスさんは、走り出した。
「すまない…走るのは不慣れでな…鎧が邪魔で君を持ち上げて飛ぶこともできないし…」
急いで木戸から抜けたころには、大きな門が開き始めていた。
「ニングェンガドァッソウシタ!ニングェンガドァッソウシタ!」
大きな門の前にはつり橋があり、その奥にも二つ、つり橋がある。
このトカゲのお城は、三つの大きな堀に囲まれているらしい。
「さあ急ぐんだ!走れ!」
僕たちは全力で走った。
一つ目のつり橋を抜けた時、もう大きな門は完全に開かれ、トカルジャーの群れがこちらに向かってきている。
槍で反射する光や松明の光が僕とバードスさんの背中を照らした。
僕のあわただしく走るシルエットが、僕の一歩先に映し出されている。
「あそこに馬車がある!あの馬車に乗るんだ!」
三つ目のつり橋の向こうに、馬車があり、誰かが乗ろうとしているところだった。
僕たちは二つ目のつり橋を抜けた時、もうトカルジャーは二つ目のつり橋の前まで来ていた。
三つ目のつり橋の途中、バードスさんが急に立ち止まり、トカルジャーのほうを向いた。
「どうしたの!?早く逃げないと!」
「このままでは奴等に捕まってしまうだろう。私があいつらの足止めをするから君は逃げるんだ!」
よく見ると、バードスさんは翼の下に大量の赤いダイナマイトを付けている。
「嫌だ!そんなの…」
バードスさんは僕のほうを向いた。
「いいか!よく聞け正悟君!」
バードスさんは僕の両肩に手を乗せた。
「この世界は人間に対する恐れと怒りに満ちているんだ!」
バードスさんが僕の肩を強く揺さぶる。
「私は、人間も、動物も、すべての生き物が共存していける世界を夢見てきた!
私だけじゃない!多くの動物たちがその日を夢見て命を散らしていったんだ!」
バードスさんの優しく、鋭い眼光が僕の心を突き刺す。
「その夢を、正悟君。君が叶えるんだ。
さあ行け!私たちに、その世界を見せてくれ!!」
バードスさんは、僕の背中を翼で強く押した。
僕は走った。
あの馬車の元へ。
一歩一歩足が地面に触れるたびに、橋がガチャガチャと音を立てる。
バードスさんの声が聞こえた。
「我が名ラー・バードス!我々の未来の為、ここに命尽きたし!」
トカルジャーの悲鳴が聞こえた。おそらく、爆薬を持っていることに気付いたんだろう。
鼓膜を突き破るような爆音と、熱風が僕の背中を強く押した。
耳鳴りがする。
高温の風を感じる。
熱風は僕の横を通り過ぎていく。
足の裏が痛い。
橋が焦げる匂い。
炭やすすが飛んでくる。
もう地面に倒れこんでそのまま動かないでいたい。
だがダメだ。
僕は走らないと。
バードスさんは・・・
馬車に近付いていく。
トカルジャーの声は聞こえない。
「そこの馬車さん!僕を乗せてくれ!」
「人間さんで間違いないね?さぁ、行くよ!」
馬の後ろにつながれたワゴンに足をかけた。
馬車に飛び乗り、僕はバードスさんが居た方向を見た。
赤い炎で橋は焼け落ち、黒煙が激しく上がっている。
気づけば、僕の顔は涙でびしょ濡れだ。
馬車に揺られ、何をすれば良いかも分からず、ただ、泣いていた。

その頃。フリタードはイラついていた。
「ニングェンガ二グェタ!?ナニウォシテイル!ハヤクツカマエテワタシノマエニ
イッテコイ!!!」
トカルジャー達は胸に手を当ててしゅーっと言って敬礼した後、
ショボショボとフリタード女王に背を向け、部屋から出ていった。
フリタード女王は、窓から夜空に舞い上がる黒煙を見た。
「バードス・・・ブァカナコトウォ・・・」
そして、左目の横をなめなめ、金で飾られたベットに向かった。


最初に、ドライヤーの風のような熱い風を感じた。
その次に、体が汗で風呂上がりみたいにビシヨビショになっているのを感じた。
そして、自分がいつの間にか馬車の上で寝ていた事に気付いた。
顔を上げた。
その瞬間、視界が真っ暗になった。
そして真っ白になった。
立ち眩みだ。そう。それで前が見えないんだ。
ガラガラと音を立てながら、馬車は進む。
視界が戻ってきた。
目の前には、ひび割れた砂岩の地面と、砂色の細い草が所々に生えた荒野が広がっていた。
景色にあっけにとられていると、僕の右側から陽気な声が聞こえた。
「グッドモーニング!お目覚めかい?人間さん。」
僕の右側、すなわち馬車の前方に首を向けると、麦藁帽を被った猿が操縦席からこちらを見ていた。
「のどが渇いただろう?ここは暑いしな。ひとまず、コイツを飲みな。」
彼は木を彫って作られたひも付きの水筒を僕に投げ渡した。
確かに、僕はのどが痛い程のどがかわいている。
「僕はアープって者だ。よろしく、人間さん」
「ええと、僕は正悟って名前です。」
そして、彼は前方に向き直った。
僕は水筒の水を一気に飲んだ。
しかし、水筒の水は無くならなかった。小さいのに、何故だろう。
ふと左側を見ると、ぼくと同じくらいの伸長の鳥が座っていた。
その瞬間、牢屋にいた時の、格子戸から聞こえた声を思い出した。
「あら、おはよう正悟さん。まぁ、凄い汗ね。人間って毛が生え変わったりしないの?」
「ん?ああ、人間は毛は生え変わらないよ。その代わりに、服を着替えるんだ」
と、僕は答えた。
彼女の白銀色の毛の中に光る淡い空色の瞳は、好奇心でいっぱいに光っている。
しかし、何故だか分からないけど、表情が悲しんでいるように見える。
僕は、橋の上で爆発したバードスさんを思い出した。
確か彼女は、バードスさんのことをお父さんと呼んでいたな…
僕は思わず彼女の羽の先を握って言った。
「本当に…ごめん…僕のせいで君のお父さんが…」
「その話はしないで」
彼女は僕の手を振り払った。
数秒目をつぶった後、目を開いて言った。
「ごめんなさいね。あなたは悪くないのよ。お金に目がくらんで…密告なんてした私が
悪かったのよ…自業自得っていうモノよ。あなたを危険な目に合わせてしまって、本当にごめんなさい…」
僕は何も言えなかった。
「私はラー・バーデリーよ」
バーデリーさんが羽を差し出したので、それを握って握手(?)をした。
僕の前方には、見覚えのある姿があった。
「何故こんなことに…ブツブツ…」
あの宿屋のジルドさんが座っていた。
「人間さんよ。世の中は全く冷たいもんじゃな。
やっと妻子とゆっくりできる時間が来るはずなのに、どうだいこりゃ。
ちょっとそこまで送ってもらうはずがなんと大陸を横断してサバンナまで来ちまったとな。
甲羅が暑くてかなわんわい。水をこまめに体にかけんと、わしゃ干物になっちまうぞ。
渡る世間は鬼ばかりじゃな。全く、どうかしとるわい。このオッサンは…」
アープさんは話に割り込んだ。
「私はまだ8歳(後で聞いて分かったのだが、人間でいう32歳らしい)ですよ!おじーちゃんさんよ」
「誰がおじいちゃんだと!ワシは!ワシは、ワシは…」
「自分の年も忘れちまったのかい?おじーちゃんさんよ。」
「何を!」
アープさんはだんだん面倒臭くなってきたらしく、僕に話しかけた。
「そら、正悟さんよ。前を見てみな」
馬の頭の間に、大きな石造りの建物が見える。
「あれが砂漠の城塞都市、ライオネルさ」
「私も何度か行ったことあるのよ」
僕はバードリーさんの方に振り返った。
「え?何をしに行ったの?」
「私はお父さんと一緒に世界のあちこちを回ってね。商人なのよ。荷物はみんな宿屋において来ちゃったけどね…あそこは、こわーいライオンの王様が居ることで有名なのよ」
そんな話をしながら、馬車はライオネル城塞都市へ向かって行った。

「人間ってことがばれないよう、これを顔に巻いたほうが良い」
門から少し離れたところでアープさんは長い包帯みたいな黒い布切れを僕に渡した。
僕はその威勢のままどう巻けばいいのか考えた。
「ん?巻き方が分からないの?しょうがないなぁ。僕が巻くから、ちょっと貸して」
アープさんは器用に目を除く僕の顔をすべてぐるぐる巻きにした。
「きつくないか?」
「大丈夫です」
「よし、じゃあ行くぞ」
馬車は門の前まで進んだ。
門の前には、チーターが鎧をまとって長い槍を持って立っている。
「何の用だ?」
チーターは鋭い声で言った。
「はぁ、私たちは商人でありやして、あちこち馬車で走り回ってやんす
怪しいものではないんで、どうぞご容赦を」
と、アープさんが返した。
チーターは僕たちの方をちらっと見やった。
ゾッとするような、殺気立った目だ。
「武器・危険物は持っていないだろうな」
「へぇ、そんなモノは一切持っておりませんよ?何なら荷物の中を見てもらっても…」
「分かった。もういい。さっさとその汚い顔を引っ込めろ」
アープさんは話を止めた。
チーターはもう一度あの恐ろしい目つきでこちらをちらっと見た後、
「よろしい。入国を許可する」
と短く言って元居た場所に戻った。
アープさんは黙って馬車を進めた。
木を鉄で補強した大きな門を二回くぐり、僕達は町に入った。
町はあちこちに布をまとった動物たちが話し合ったり、買い物をしたり、走り回ったり、喧嘩をしている者も居た。
奥には大きな石造りの城が見える。
どうやら町は城を囲むようにできている様だ。
アープさんは、大きな道から少し外れた道にある馬小屋に馬車を止めた。
隣にとめられていた馬が喋りかけてきた。
「ちょっと~そこのターバンぐるぐるしちゃってる人~どしちゃったの~?
あなたどの種族なの~?見たことないのよ~」
「気にするな。さぁ、行こう」
アープさんは僕の襟を引っ張った。
「まずは何をするかゆっくり話さなくちゃぁならん」
正悟に話しかけた馬は正悟たちが乗ってきた馬に話しかけていた。
「ちょっと~あなたどこから来たの~?ここら辺の馬って感じしないし~
もしかしてトカゲの国で生まれちゃった感じ~?」
正悟たちが乗ってきた馬はこう答えた。
「ピピ…プログラム0110010110を起動中…はははははい。私はここで生まれました」

町はとても栄えていた。
小さなテントのような売店が大通りに沿って並んでいて、あちこちから動物たちの声がする。
果物屋や、八百屋、肉屋だとか、よろず屋、何かよくわからないものがたくさん置いてある店、サボテン屋もあるし、彫刻を売っている店もある。
どこもかしこも、たくさんの動物たちが集まって、やんややんやと声を上げていた。
図鑑で見たことしかないような動物ばかりだった。
縞模様のある細い脚で器用に二足歩行をするオカピや、背中に大きなこぶを持つラクダ、
大きなそりあがった角を持つ凄い筋肉の牛、美しいしましまのシマウマ。
僕の身長と同じくらいの長さの尻尾をもつ、腹の毛が白い猿。
「僕の研究所に行くんだ」
アープさんが肩越しに言った。
「僕はね…そう誰にでも見せられるような研究をやってないから…
ハハ、裏路地に入るよ」
アープさんは誰もが目にも留めないような狭い道を指さした。
なんだか、目の前にあるのにずっと見ていないと見失ってしまうような、本当に目立たない路地だ。
赤いレンガの壁に挟まれ、一列になって歩いた。
何回か右へ左へ曲がった後、突然目の前に現れたかのように、青い扉が見えた。
「ここだよ。入ってくれ」
アープさんは中に入った。
僕達もそれに続いた。

中は外見からは想像できないほど広い。
そこは丸い部屋で、中心には大きなガラスの柱が立っている。
ガラスの中では、白い円盤型の何かが上下に動いている。
「あら、綺麗な柱ね。これはなんのために動いてるの?」
「あぁ、この動いているモノには大して意味はないよ。
只のインテリアさ。センスいいだろ?」
「色んなものを見てきたけど、中身が動く柱なんて初めて見たわ…
ねぇ、凄いと思わない?」
バーデリーさんは僕の方を見た。
「ぁあ、そうだねぇ。」
正直、ゲームで見慣れていた。
僕はターバンを外した。息苦しさが消えた。
アープさんは車輪付きの大きな椅子に勢いよく座り込んだ。
ガラスの柱を囲むように、曲がったテーブルがいくつも並んでいる。
テーブルの上には書類や本や変な形の機械がたくさん置いてある。
奥には階段があり、テラスのようなものにつながっている。
「さて」
アープさんは大きな銀縁の丸眼鏡をかけた。
「君には話すことが…おおっと!爺さんそれには触るな!」
振り向くとジルドさんが掃除機のノズルみたいなのがくっついた箱型の機械から
手を引っ込めていた。
「一つ間違えればこの部屋はおろか、国ごと吹っ飛ぶぞ!」
バーデリーさんが口をおさえて瞳を大きく開いた。
「いや…ワシにはただの掃除機にしか見えんが…」
アープさんはその機械に駆け寄った。
「…ああ、そうだな、こりゃタダの掃除機だ。」
突然、その機械が爆音でしゃべりだした。
「シツレイな!ワタシはトースターだとナンカイイッタラワカルんデスカ!?」
「ああ、ああ、済まない。音量をマックスにしたまんまだったな」
アープさんはその機械の手前についているボタンを連打した。
「イツにナッタラワタシにパンをヤカセテクレルンデスか!?
ワタシはナンノタメに…あ!チョッと!デンゲンオトサナイデ下サイよ!
アナタホントウニ…」
音声はフェードアウトしていった。
「すまない。トースターに喋る機能を付けたら面白いんじゃないかと思ったんだが…
なかなか思い通りにはいかないものだ」
アープさんはトースターを見つめた。
「…さて、話を戻そう。まず君には、僕たちがなぜ存在しているのか。
を、話さないとな」
アープさんは戻って椅子に座った。
「その椅子に座るといい。長くなるからな」
僕達は机の下にある木製の椅子を引っ張り出して座った
「まず、原点から話そう。僕達はもともと人間だった」
「なんじゃと!?ワシもか!?」
アープさんは深くうなずいた。
ジルドさんは小さい声でブツブツ何かを言いだした。
「えぇ…どういうことなの?」
バーデリーさんが体ごと首を傾げた。
アープさんは話をつづけた。
「僕たちはかなり昔に…いや、そう昔でもないかもしれない。
もしかしたら数日前かもしれない。
それは分からない。だがはっきりしているのは…」
アープさんは席を立ち、ひと際大きい本の山の横にある試験管台の中から一本、
桜の塩漬けみたいな輝きを失ったピンク色の液体が入っているものを取り出した。
「ヘンゲウイルス…僕はそう呼んでいる。コイツがこの世界に散布した」
アープさんは席に戻り、僕の目の前にそれを突き出した。
「こいつはかなり悪質なウイルスだ。人間の体に感染すると、細胞の間にこいつらが
入り込んでいく。そして、細胞一つ一つの形状を変化させるんだ。
その時に放出されるエネルギーのみを食い物として、増殖していく。
コイツに、僕たちは感染したわけだ。」
アープさんは足を組んだ。
「私にはよく分からないわ。」
「要するに、バイキンが人間の体に入って、あら不思議!体が変な形になっちまった!
それが俺たち。」
「なるほどねぇ…」
「どうして動物の姿になるのか、どうして人によって姿かたちが違うのか…
僕にはわからないが、一つ分かっていることもある。
こいつらには、一度変化させた体を二度と変化させない特性があるんだ。
だから、僕たちを変化させた後、食い物がなくなり、こいつらは絶滅していったと
僕は考えている。
だが、ここで一つ疑問が浮かぶ。
何で人間の時の記憶を全く覚えていないのか?自分の変わり果てた姿に絶望し、混乱し、
現実を疑い自分の頭をお盆でぶっ叩く人が続出するはずだ。何故そうならなかった?
答えは簡単だ。君は本を読んだことがあるか?」
「あ、はい」
「そういうことだ。僕たちは今、本を読んでいると言ってもいい。
目の前に広がる今までとは全く違う世界、住人、ストーリー…
だんだんこれが本当の現実だったんじゃないのかと思い出す。
本を読んでいるだけだったら、この瞬間にお母さんにお風呂に入れと言われて
現実に戻る。
しかし、もしお風呂に入れと言われなかったら?誰も本を読むことを止めなかったら?
本を終わりまで読み続け、「完」の文字を見るまでその物語に生き続ける。
僕達は今、「完」を見ていないんだ。だから、自分がもともとこういう風に生きていたんだと思い続け、誰もが疑いを持たない。その方が幸せだからだ」
「私にはさっぱりよ…」
「要するに、変な形の体になったのに、何で人間の時の思い出が無いの!?
それは、僕達がもともとこういう姿だったと思い込んで、悩むことをやめたんだ。」
アープさんは天井を見上げた。
そして、僕を見た。
「君が何故ここに来たのか、知りたいだろう。教えてあげよう。
君は僕たちを夢から覚ますためにやってきたんだ。
タイムホールは僕が開けたんだ。」
………………
沈黙が流れた。こんなことになるなんて、考えもしなかった
もし普通の人なら、「おうちにかえりたい」と嘆くだろう。
でも、僕には帰る「おうち」なんて無い。
「分かりました…でも、僕は何をすれば…?」
「ヘンゲウイルスは、人間の姿を変えた。
ならば、僕達の姿も変えることができるはずだ。」
「え?でもヘンゲウイルス…って奴は、一度変化させたものは変化できないんじゃ?」
「ああ、それがだね…ヘンゲウイルスが突然変異したモノをあるカプセルに閉じ込めたものを、この国の王が持ってるんだ。」
「あのこわーいライオンの王様が?」
バーデリーさんが身を震わせた。
「そのウイルスには、どんな効果が?」
「ヘンゲウイルスと全く反対の能力を持っているのさ。
DNAの奥深くに刻まれた人間の設計図を掘り起こし、人間に変化させるんだ。
それを探し出さなければいけない。彼らはそのカプセルを何か神秘的なものと
勘違いしてあがめてるようだけどね…
まぁ、この無意味な争いを止めるには、やるしかないね。」
「無意味な争いって?」
「バードスさんが話していた…人間も、動物も、すべての生物が平和に生きていける世の中を作ると。」
バーデリーさんがうつむいた。
「この世界では、人間は伝説的存在になっている。人間は、いわゆる「神」のようなものだ。
その神は、この世界にやってくるといわれている。
その人間を歓迎するか、…あー…歓迎しないか、で、争いが起きた。
最初はただの言い争いみたいなものだった。だが、それに武器が伴うと、
事態はたちまち悪化していった。
バカみたいなものさ。戦争なんて。
最終的に、歓迎しない奴らが勝利したのさ。
バードスさんは…歓迎する派閥で、英雄ともいわれた一番親衛隊の隊長だったんだ。
敗戦したとき、彼はその場から逃げたといわれている…」
「そんなことないわ!」
バーデリーさんが勢いよく立ち上がり、涙が飛んできた。
「ああ、分かってるさ。」
「本当は、娘を守れと仲間たちに言われ、涙ながら逃げ出したんだがな…
彼はのちに戦場の恥さらし隊長とも言われた。彼は…自分の名誉とプライドを捨て、
娘さんを守る道を選んだんだ。
済まん。話がそれたな…とにかく、人間がやって来たとき、どうするかで争いがあったってことさ。」
バーデリーさんはゆっくり座った。
「…わかりました。やりましょう。でも、なぜ僕が?」
「あの世界の中で一番適任だったのが君さ。」
「ははぁ…」
ジルドさんの方を見ると、しわだらけのまぶたがぴったり閉じていた。
「ジルドさん!」
「ふがっ!?」
ジルドさんが座ったまま一メートルくらい垂直に飛んだ。
「ジルドさん!話聞いてました!?」
「…ああ、そうじゃった。ワシはもともと人間だったんじゃと!?」
「本当に!?信じられないわこの人!」
「やれやれ…爺さんにゃあ呆れたよ…さて、紹介したい奴がいるんだ。」
「紹介したい奴?」
「ついてきてくれ。」
アープさんは奥のテラスの方に言った。
「ここに立ってくれ。」
アープさんは床を指さした。
そこのところだけ、黄土色の金属でできている。
「なにをするんじゃ?」
ジルドさんが眉をひそめた。
「ちょっと静かにしててくれ…
合言葉プログラムNo.227を起動!」
右の壁と天井から金属か何かがきしむ音がした。
「クイズ!僕の好きな帽子は何だ~?シルクハット?キャップ?探検帽?
何を言ってるんだ。どんな帽子よりも趣味の良い、僕にぴったりの帽子がある。
皆さんご存じ、トルコ帽さ!ハハハッ!」
やる気のないブザーが鳴った。赤いランプ二回点滅し、僕達の目の前の床が開いた。
「ぴーぴー。おはようございます。
きょうもいいてんきですね。
かにざのうんせいはちゅうきちです。
きょうもいっしょにがんばりましょう。にゃん。」
「また語尾プログラムが故障したか…」
アープさんが後頭部をバリバリ掻いた。
床から上がってきたのは、白いショートヘアーでつぎはぎだらけの猫の形をした
ロボット。猫耳もついてる。
「彼女が、家事、戦闘、泥棒、悩みごとの相談から膝枕。星座の観測、ネットワークの接続。
絵画の下書きも手伝ってくれるし、揚げた魚とカスタードクリームセットも作ってくれる、
ミス・No.227だ!」
「ぴーぴー。ほめてくれてありがとう。
みんな、よろしくね。にゃん。」
バーデリーさんが眉間にものすごいにしわを寄せている。
ジルドさんは目を皿にしている。
「今回はこの子に手伝ってもらって、王様のヘンゲウイルスを奪取する。
さぁ、作戦会議だ。」

アープさんが曲がった机に大きな地図を広げた。
「これはライオンの王が住む城の地図だ。ここが入り口。ここが玉座。そしてこの玉座の真ん中にヘンゲウイルスが入ったカプセルが飾り付けをしておいてある。
他の部屋は…何の部屋かは知らない。」
ジルドさんが何かに撃たれたかのように突然のけぞって笑った。
「はァ!若造、お前さんは無計画すぎるぞい。そんな情報でよくあの城へはいれると思うがな。はァ!」
「ああ。彼女ならもう十分すぎるほどの情報が提供された。あとは計算だけだ。」
「ぴーぴー。ちずをよみこみちゅう。じょうほうしゅとく。
しばらく、おんがくをおたのしみください。」
No.227の口から南国風の陽気な音楽が流れ始めた。
「あら、私こういう音楽好きよ。」
僕はきいた。
「へぇ、音楽が好きなの?」
「ええ。お父さんと旅をしている頃は、世界中の色んな音楽を聴いて回ったわ。」
「ぴーぴー。けいさんかんりょう。けっかをはっぴょうします。」
「なんじゃと?もうできたのか。」
「いや、彼女は一秒間に一兆回の計算ができるんだが、ここまで遅いのは初めてだ。」
「このさくせんにおいていちばんだいじなのは…」
No.227がゆっくり腕を上げて、指をさした。
「かれです。」
No.227の指さしたのは、あの爆音トースターだった。

夜になった。夜でも市はにぎわっている。
それぞれ裏路地の出口に身をひそめていた僕たちは、アープさんの合図を待っていた。
みんな小型の無線機を持っていて、みんなの声が聞こえるようになっている。
アープさんが作ったもので、小型扇風機が装着されている。暑いときはこれで涼しむらしい。
うそつけ。
「ザザ…そろそろだ。」
スピーカから声が聞こえた。
「マイクチェック。マイクチェックじゃ。あーあー。聞こえるかの?」
「ああ。聞こえるから、爺さんは黙っててくれ。」
「なんじゃと!?ワシはこの機械を使うのが…」
「三・二・一…よし、行け!」
僕は裏路地を飛び出し、大通りを横断し、お城へ続く道のふちを走った。
お城の方へ行けば行くほど、動物も家も明かりも少なくなっていく。
「ザザザ…トースター準備完了よ。いつでも行けるわ。」
お城は水堀で囲まれていて、つり橋が一つだけある。
つり橋は荷物が運び込まれたり、馬車が外に出る一瞬だけ降ろされる。
その一瞬のスキを狙う。
つり橋の奥にはライオンやヒョウ、トラの兵士が待ち構えている。
つり橋の前まで来た。
城の堀の周りは静まり返っていて、家も少ない。僕は茂みに隠れた。
僕は無線機にささやいた。
「つり橋の前まで来たよ。あとどれくらいで馬車が出る?」
「ザザ…あと二十秒だ。健闘を祈る。」
「頑張るんじゃぞ。」
僕はアープさん作特性すっぽんを取り出した。
つり橋が降り始め、中からオレンジ色の光が差し込んできた。
馬車がつり橋を渡り始めた時、右側のずっと奥の方から声が響いて聞こえてきた。
「ハァイハイ!ミンナチュウモク!ワタシのハナシをキキナサイ!アッ!チョッと!
トツゼンサワンナイデヨハレンチな!ワタシはイツモ…」
これ以上は聞く暇がなかった。
見張りの動物たちが声の方へ走っていくのが見えた。
同時にバーデリーさんが塀から飛び立つ黒い影が見えて、
「ザザ…トースターを置いてきたわ。耳が痛いから、早くして頂戴。」
と無線機から聞こえた。
馬車が僕のいる茂みの横を通り過ぎると、つり橋が閉じ始めた。
僕は茂みから飛び出した。
つり橋が斜めになったところで、ジャンプし、つり橋にすっぽんをくっつけた。
つり橋はくっ付けたすっぽんにぶら下がった僕ごと上がっていった。


すっぽんの上に立ち、城壁から中をのぞいた。
ほとんどはトースターを見に行ったみたいで、二匹のヒョウだけになっていた。
城壁によじ登り、そのまま右側の丸い塔にむかってほふく前進した。


扉は開きっぱなしになっていた。
中は真っ暗なので、無線機付属のパープルライトを点灯した。
なぜパープルなのかは不明だ。
あちこちに弓や大砲が置いてある。
僕は壁に沿って作られたらせん階段を下りて行った。
アープさんの話では地下があるらしい。
遠くに出口を作っておけば、戦争になった時逃げたり敵軍の後ろに回って
奇襲したりできるから作られたものと解説していた。
らせん階段をずっと降りて、最下層についた。
この先に天守に続く道があるらしい。
左右に曲がりくねっている道だったが、一本道なので迷う心配はない。
途中二つのドアがあったが、確かめる余裕は無かった。
息がきれてきた。
もう一度右に曲がると、目の前に階段が現れた。
これが多分天守に続く道だろう。
後ろから鉄製の何かが落ちる音がした。
びっくりして振り向くと、ジルドさんが排水溝から顔をのぞかせていた。
今の音は、鉄格子を外した時の音らしい。
「ひどい匂いじゃのう。この国の連中はもう少し排水溝を敬った方がいいと思うぞい。」
ジルドさんは排水溝からのっそり這い出た。
「ジルドさん。」
「おお、正悟さんよ。元気そうじゃな。
コイツも元気そうじゃぞ。」
ジルドさんの後に這い出てきたのはあのNo.227だ。
「ぴーぴー。おはようございます。」
「このポンコツ、ずっと喋りおる。あと少しでヒョウに見つかるところじゃったわ。
若いころを思い出すのぉ。戦火を潜り抜け、鉄の雨の中、仲間と共に必死に走りぬいた…」
「ぴーぴー。さっさといかないと、おこられます。じーさん。」
「はいはい分かったわい。どうせワシの身の上話なぞ…」
あとは小声で、くちゃくちゃという音が混ざり何を言っているか聞き取れなかった。
僕達は階段を上った。
階段を登りきると、僕達三人がやっと入れるくらいの小さな部屋があった。
奥の壁にはしごが取り付けてあり、その上に開いている四角の穴は赤い布で塞がっている。
「なんじゃこの布は。」
と、ジルドさんが言った。
僕はその赤い布をつついてみた。
フワフワしている。
「多分シルク製の凄く上等なクッションだと思うんですが…」
「ぴーぴー。かいせきちゅう。」
No.227がクッションに触れた。
「かいせきかんりょう。けっかをほうこくします。
ざぶとん。」
「はぁー、座布団で蓋をするとは。変わった隠し方じゃのぉ。
どら、ちょこっとどかしてやるわい。」
と、ジルドさんが座布団を上へ押し上げた。
「気を付けてくださいよ。敵がいるかも…」
ジルドさんが穴から頭を出した。
そして、すぐ頭を下げた。
「おるぞおるぞ。数え切れん位おるぞ。」
「うそぉ!ここから出れないじゃないですか!」
No.227が頭を横に一回転させた。
「けいさんちゅう…けっかをほうこくします。
いまから2ふん26びょうご。
おもいきりざぶとんをおしあげてください。
あらーむをせっとしますか?」
「おお、頼むぞい。」
「ぴーぴー。じかんまで、おんがくをおたのしみください。」
今度はジャズが流れだした。


「No.227さん、あとどれくらい?」
「ぴぴぴ。あと1ぷん5びょうです。」
「本当に大丈夫かのぉ」


「ぴぴぴぴっ!十秒前です。」
「よし、一気に行くぞい」
ジルドさんと僕は、座布団に手を添えた。
何と無く手ごたえがある。
「三…二…一…せえぇぇい!!!」
座布団を全力で押し上げた。
それと同時に何か悲痛というか、情けない金属と金属がこすれるような声?がした。
頭を出すと、目の前に赤い布でできた壁があった。
「グゥァァアルル!!誰だ!」
と、太い勇ましい声がしたので振り返ってみると、そこにはまぶしい程キラキラした衣装や
飾りをつけてる大きな鬣のライオンが、しりもちをついていた。
どうやらこれは椅子らしい。椅子は椅子でも、大きな玉座だ。
大きな玉座のクッションの下が、なんと地下通路の出口だった。
「こ…このぉッ!!!」
ライオンの王様は声と体を震わせている。
マズイ。非常にまずい状況なのが分かってきた。
僕達は王様をしたから押し上げて、ひっくり返してしまったのだ。
周りには凄い筋肉の虎やヒョウの兵士たちが目を大きく見開いてこちらを見ている。
この部屋の中心に花や宝石で綺麗に飾られた二リットルのペットボトル程の大きさのカプセルが置いてある。おそらくあの中に…。
「兵士たちよ!この者をひっとらえよ!」
あっという間に僕たちは穴から引っ張り出され、ロープででぐるぐる巻きにされてしまった。
No.227はいつの間にかいなくなっていた。
王様は玉座にどっかりと座った。
僕達は王様の前にひざまずかされた。
「さて。時間はたっぷりある。貴様らの話を聞かせてもらおうか。
いったい何が狙いだ?」
「あーと…」
その時、王様の横に見覚えのあるおサルさんの姿があった。
アープさんだ。
凄くきらびやかな衣装を着て、すまし顔で王様の横に立っている。
どうやら、大臣に変装しているらしい。
「どうした、早く申してみろ。」
「僕は…えーとその、王様に大変珍しい物を献上しようと致しまして。」
と、その時、僕の話を割って、兵士の声が聞こえた。
「ライオネル様!外で叫んでいたものを捕まえました!」
振り返ると、三人の兵士に抱えられたあのトースターが部屋に入ってきた。
トースターは何かよく分からないことをしゃべっている。
「ほう…なんだこれは。貴様の珍しい物、と言うのはこれの事か?」
「え、ええ。そうでございます。」
王様は玉座から立ち上がった。
「ほう。確かに見たことのない生物だな。」
と、興味を持ったようで、兵士に抱えられたトースターに近付いた。
「よしッ!今だッ!」
と、大臣姿のアープさんが叫んだ。
すると、トースターから白い煙がシューっという音と共に出てきた。
「ぐっ!何だこれは!?」
アープさんは、僕達の縄を切った。
「No.227!夏の風物詩モード!」
「ぴぴぴ。了解しました。」
No.227が隣の部屋から壁をぶち壊して登場した。
「正悟、そのカプセルを持て!」
僕は飾りを払いのけて、小さめの炊飯器位の大きさのカプセルを持った。
「よし行くぞ!僕につかまるんだ!」
なんだかよく分からないまま、僕とジルドさんはアープさんにしがみついた。
「ジェロニモ(さぁ、行くぞ!)ォォォォォォォッッ!!!!」
僕達は思いっきり窓に突っ込んだ。
飛び散るガラスの破片。
空には星が輝き、地上には夜でもにぎわう市の明かりが見えた。
このまま落下するかと思いきや、体がふわっと浮くような感覚だ。
見上げると、アープさんがバーデリーさんの足をしっかりとつかんでいる。
「遠くまでは飛べないわよ!」
「いいんだ!堀の外に出てしまえば、何の問題もない。」
後ろから、大きな爆発する音が聞こえた。
振り返ると、僕達が割って出た窓から、カラフルな火の玉がいくつも飛び散っている。
花火だ。
夏の風物詩とは、花火の事だった。
「アイツには昔散々な目に合わされたからね。それのお返しって訳さ。」
と、アープさんは微笑した。
「いやぁ、こんな冒険なんて久しぶりじゃのう。いい土産話ができたわい。」
「いや、僕たちの冒険はまだ終わっていない。皆を元に戻さないとね。」
僕達は市の広場に降りた。
周りの動物はなぜか知らないけど、歓声を上げて僕達を迎えてくれた。
「みんな、王様が苦手だったのね。」
と、バーデリーさんが言った。
奥に見える城からは、まだ花火が打ちあがっていた。
色や形を変えながら、花火は美しく舞う。
僕は、お母さんとお父さんと一緒に、夏祭りに行ったことを思い出した。
その思い出の絵をかいて、夏の宿題の表紙になったことも。
そして、今のお父さんとお母さんを思い出した。
なんだか、とてもむなしい。
今のままじゃ、ダメなんだ。
「正悟、大丈夫?」
と、バーデリーさんに声をかけられてハッとした。
「ああ、ああ。大丈夫だよ。いろいろあって、疲れてさ。」
ガチョウの楽団が、テンポの速い南国風の曲を演奏し始めた。
アープさんを見ると、赤いドレスを着たワニと踊っている。
ジルドさんは、同じくらい年齢の動物たちと木製のジョッキ酒を飲んでいる。
動物たちは皆、歌って踊り、お祭り騒ぎだ。
オカピがボールの上でくるくる回ったり、象がタップダンスをしたり。
キリンがマイクを持って歌ったり、大きな牛がリズムに合わせてモゥモゥ鳴いたりしている。
フラミンゴの赤い羽根が舞うダンスは、動物たちの目を引き付けて離さない。
動物たちは皆一つになって、バカ騒ぎをしている。
「ねぇ、私たちもみんなと一緒に盛り上がりましょ?」
「うん、そうだね。」
僕とバーデリーさんは手を取り合い、お祭りに加わった。
祭りは夜通し行われ、みんな疲れて倒れるまで歌って踊り明かした。


僕は起きた。
まず、円盤型のモノが中で上下している柱が目に入った。
「やぁ。正悟。お目覚めかい?」
体を起こした。
ここは、アープさんの研究室だ。
僕は、長いソファの上に寝かされていた。
バーデリーさんは椅子に座ったまま寝ていて、
ジルドさんは甲羅の中に入っていた。
No.227とトースターは、全身真っ黒になっていて、あちこちから銅線が飛び出している。
「ひあそび…は…キ…キケン…」
と、No.227はつぶやいた。
「こいつらには無茶をさせ過ぎた。しばらく休暇をとってもらうんだ。」
「…あ、みんなは、人間に戻ったんですか?」
「いや、まだだ。これからそうするところなんだ。
しかし、おかしいな。カプセルが散布機と融合しない。」
「どういう事なんですか?」
「要するに、このカプセルの中身を取り出せないってことだ。」
「ええ!?ここまで頑張って取って来たのに…」
「なぁ、正悟。彼の城で何か変な物を見なかったか?
変な物じゃなくてもいい。何か、見過ごしたものを。」
「え、ええ?」
「いいか、君の潜在意識の中に潜む、小さな謎を…記憶の片隅に残る、小さな疑問を…
思い出せないか?」
「…あ、そういえば、お城の地下通路に何かの部屋がありました。
中は見ていませんが…」
「それだッ!」
というアープさんの声で、ジルドさんとバーデリーさんが起きた。
「ふがふが…いたた、昨日は飲み過ぎたわい。」
「ん…もう朝なの?」
アープさんはカプセルを横に抱えた。
「さぁ、行こう。」
と、アープさんは僕の背中を押した。
「待って!」
と、バーデリーさんが言った。
「どこに行くか知らないけど、私もついていくわ。」
そして、よろよろと立ち上がった。
「わ…ワシも…」
「君たちはゆっくり休んだほうが良い。
僕の予想だと、かなり危険だ。」
「…ええ。分かったわ。気を付けていくのよ…正悟。」
「やれやれ、僕の心配もして欲しいものだな。じゃ、行こう。」
僕は二人に手を振って、僕達は青い扉の外に出た。
しばらく赤いレンガの壁の裏路地を歩いた後、アープさんが言った。
「昨日の祭りの最中に見つけたんだ。別の…」
アープさんは壁の赤レンガをひとつ、奥へ押し込んだ。
「…入り口をね。」
そうすると、周りのレンガも一緒に奥へ入っていき、あっという間に地下への階段が現れた。
「さぁ、行こう。」
アープさんは紫のランプを照らした。
道は直線で、奥に階段が見えた。
「あれが城へ続く階段だな。問題の部屋は、その奥?」
「はい。そうです。」
僕達は曲がりくねった一本道を進み、二つの扉が向い合せにある部屋についた。
「…ふむ。まず、こっちの部屋に入ってみよう。」
アープさんは左側の部屋に入った。
中には部屋を覆うような大きな機械があり、太いコードがツタの様に床や壁を這っている。
大きな機械には赤いボタンが一つついており、それ以外はなんの操作盤も無い。
「ふむ…面白い。」
アープさんは銀縁の丸眼鏡を取り出した。
「これは…原子合成装置だ。それに…時間還元装置がつながっている。」
「な、なんですかそれ?」
「原子合成装置は、原子を合成し、新しい物を生み出すんだ。この装置は、生き物専用らしい。ここに二つのコードがあるだろ?これを材料に接続するのさ。コイツに接続されているのは、時間還元装置だ。一言でいえば、一方通行のタイムマシンさ。しかし、これは未完成だ。時間を巻き戻せば、恐らく何かしらの痕跡が残ってしまう。」
「な、何故こんなものがここに?」
「分からない…と、答えておこう。」
アープさんは僕を見た。
僕の目を見た。
「隣の部屋へ行こう。」

隣の扉を開けた。
そこには大きな黄金色の壁がそびえ立っていた。
周りは綺麗に真っ直ぐな壁なのに、正面の部分だけ少しへこんでいる。
「なんと!!!」
アープさんはその壁に飛びついた。
「この壁は…珍しい。実に珍しい。本でしか読んだことが無かった。
まさか存在するとは…」
「何なのですか?それは。」
「ヒューマニチウムだ。この金属は人間の細胞に反応して形を変えるんだ。
他の細胞に触れても変化をしない。しかも、時間の影響を受けないんだ。
まさに鉄壁だ。しかし、一体何故これが…」
「私よ。」
驚いて僕もアープさんも振り返った。
部屋の入り口には、あのバーデリーさんが立っていた。
「私は、その中にいるの。」
「何を言ってるんだ!?君はそこにいるじゃないか!」
と、僕は言った。
「私はただのホログラムよ。この映像は、彼女の脳データをもとにAIが作り出したものよ。」
アープさんはバーデリーさんに近寄った。
そして、銀縁の眼鏡をかけた。
「確かにそうだ…何故気が付かなかったんだ!」
「電力が足りている内は実態が保てたけど、今はもう電力が尽き掛けているわ。」
アープさんは彼女に触ろうとしたが、すり抜けてしまった。
「バーデリーさん…どういうことなんだ!?」
「私を助けてほしいの。私はその壁の奥にいるわ。」
「でも、この壁をどうすれば…」
「時間がないわ。もう私は消えてしまう。あなたならきっと分かるはずよ。正悟。
あなたはとても勇敢で、素晴らしい人間よ。私は、あなたがきっと助けてくれると信じているわ。」
声にノイズが入りだした。
バーデリーさんの体がだんだん薄くなっていく。
「私はあなたを信じているわ。私はあなたを…」
ノイズが激しくなり、これ以上は聞き取れなかった。
そして、バーデリーさんのホログラムは消えた。
「なんてことだ…」
アープさんは目を見開き、眉間にしわを寄せたまま立ち尽くした。
「この壁の向こうに…」
と、僕が壁に触った瞬間、大きなブザーが鳴った。
「人間を探知。人間を探知。消去します。」
という放送と共に、扉が勢いよく閉まった。
「そうか!ヒューマニチウム合金は人間の細胞に反応すると電気が流れるのか!」
アープさんはドアノブをひねった。
「開かないッ!この強情な扉めッ!」
アープさんは扉を蹴った。
ブザーが鳴り終わると、壁が開き、中から人の形をした銀色のロボットが入ってきた。
「なにッ!?…このロボットは…ッ!」
ロボットの手から、電気が流れているらしい。
バチバチと青い火花を立てている。
急にアープさんは慌てるのをやめた。
そして、僕のほうを見た。
「すまない…正悟。このような結果になってしまって。」
「え?」
僕はアープさんを見た。
「本当に済まない。心から謝るよ…このテレポート装置は一人用なんだ…」
アープさんは腕についている腕時計のような機械に触った。
途端に、青色の光と共にアープさんの姿が消えた。
この部屋には、もう僕と銀色のロボットしかいない。
ロボットは僕の方を見ると、ゆっくりと近付いてきた。
青い火花が飛び散る腕を向けながら。
「そうか…そうだったのか。」
僕は言った。
「お前のその銀色の顔・・・見覚えがあるぞ!」
僕は黄金色の壁に向き直った。
「バーデリーさん…僕が助けてやるッ!」
僕は拳を握りしめた。
僕は壁に向って一発、思いっきり拳をぶつけた。ボンと鈍い音が鳴る。
「あああああッッ!!痛い痛い痛い!!!」
ロボットのガチャンガチャンと言う足音が近づいてくる。
死が、近づいてくる。
「塵も積もれば山になるっていうけどさ!」
もう一度拳を握りしめ、壁を殴った。
「ああぐぅぅぅッ!痛い…、塵ってのは、簡単に風で吹き飛ぶし、努力をしても無駄になるときもある!」
壁を殴った。少しへこんだ様な気がした。
「でも…でもね!一見無駄になったと思うようなことになっても、
違う!どこかで絶対その努力は「自分」を形作るパーツになるんだ!」
もう一撃殴るには時間がなかった。
ロボットは、僕の肩を掴んだ。
「ああああああああぁぁぁぁッッ!!!!」
視界が真っ白になった。
そして暗闇に包まれた。
あたりが暗い。
とても暗い。
すごく暗い。
何も見えない。
自分が目を開いているか、閉じているのか分からない。
そして、僕は目を覚ました。
心臓が変な動きをしている。
授業で習った。確か、細動って奴だ。
自分の手を見た。
皮が裂け、血が流れている。
痛みは感じない。電流のせいかな。
やるべきことは分かっている。
僕の体、もってくれよ。
隣の部屋へ…
もう、この部屋の扉は開いていた。

僕は体を引きずり、半分転がるように隣の部屋に入った。
「原子合成装置…そして、時間還元装置…ハハ、簡単だ。」
僕は、二本のコードを頭に取り付けた。
「新しい僕が生まれ…、時間をさかのぼる…」
赤い大きなボタンを押した。
「体が…焼けていく…」
僕は死ぬ。
「バー…デ…」
そして、僕が生まれる。


まただ。
また始まった。
何度も、何度も、繰り返される。
扉の向こう側で。
激しい怒鳴り声と叫び声。
無意味と分かっていても相手を非難し続ける声。
お父さんとお母さんは、また喧嘩を始めた。
大したことでもないのに。
二人は何で喧嘩するの?
僕は外に出た。緊張に身を震わせながら。
コンビニでおにぎりとお茶を買った。
僕は夜道を散歩した。
そして、古い二階建ての家を見つけた。
庭に置いてある棚にかけられた時計は二時二十八分で止まっている。
僕は家の中に入り、そして落ちた。

宿屋の主人、ジルドさん。
彼は僕を見て、酷く驚いた。
そしてトカゲの女王に会う。
「グググ…ニングェン!ジュウジュウシイズォ!クティノキキカタウォカンガエロ!
ダイ228ダイメノジョウオウ、フリダードサマのゴゼンゾ!」
と、兵士が言った。
そして、牢屋の中で声を聞いた。「私って本当に、最低な鳥ね…」
バードスさんが助けに来た。
そして三つ目のつり橋の途中、バードスさんは僕を助けるため、自殺した。
ライオネル城塞都市につき、No.228に会った。
僕達はカプセルを奪い、夜空を舞った。
そして市はお祭り騒ぎに。
次の日。あの機械を見つける。
「原子合成装置は、原子を合成し、新しい物を生み出すんだ。コイツに接続されているのは、時間還元装置だ。一言でいえば、一方通行のタイムマシンさ。しかし、これは未完成だ。時間を巻き戻せば、恐らく何かしらの痕跡が残ってしまう。」
隣の部屋でバーデリーさんの「真実」を知る。
「一見無駄になったと思うようなことになっても、
違う!どこかで絶対その努力は「自分」を形作るパーツになるんだ!」
そうして、僕は死ぬ。そして生まれる。


まただ。
また始まった。
何度も、何度も、繰り返される。
棚の時計は三時で止まっている。
第三百代目女王、フリタードに会う。
「希望を持ってね。人間さん。」
牢屋から脱獄し、馬車に乗る。
僕の右側から陽気な声が聞こえた。
「HELLO!お目覚めかい?人間さん」
麦藁帽を被った猿が操縦席からこちらを見ていた。
門番のチーターは僕たちの方をちらっと見やった。
ゾッとするような、殺気立った目だ。
そしてNo.300と会い、カプセルを盗み、僕は壁を殴る。
「そしてその「パーツ」によって、人は成長していくんだッ!」
そして僕は死ぬ。
「バー…デリ…ィ…」
そして生まれる。

また始まった。
時計は五時三十二分。
第五百三十二代目、フリタード。
「我が名ラー・バードス!我々の未来の為、ここに命尽きたし!」
鼓膜を突き破るような爆音と、熱風が僕の背中を強く押した。
そしてNo.532。
壁を殴る。
「確かに目の前の惨状を見て、絶望し、立ち上がれなくなるかもしれない。
でもね。負けたらだめなんだッ!」
ロボットが僕の肩を掴んだ。

時計は七時十分。
壁には人一人が入れるほどの大きさにまでへこんでいる。
「負ければ、すべての時間、希望、チャンスが消え、「死んで」しまう!」

時計は九時三十分。
壁は削れ、薄くなっていく。
「だから、僕が思うに、「人」っていうのは…」

時計は十一時。
壁にひびが入り、光が差し込み始めた。
「「人」っていうのは…」

時計は、十二時になった。
渾身の一撃を壁に食わらせた。
壁全体に一気に亀裂が入った。
壁は僕の拳を中心に、崩れ始めた。
金属の粉や破片の雨が降り注いだ。
薄暗いこの部屋に、光が差した。
僕はロボットの方を振り返った。
「死んじゃいけないってことさ。」
ロボットは体の中から赤い火花を出して倒れこんだ。
僕は光の方を向いた。
1200代目の僕は、光に向って歩いた。

壁の奥の部屋には、いくつもの大きな機械があった。
部屋の右側には、筒形のガラスケースの中に、液体に漬けられて眠っている20歳くらいのこげ茶と薄い茶色のしましまの猫の女性が入っている。
ガラスケースの下の操作盤には、色とりどりのボタンが沢山付いていた。
左側には、同じような筒形のガラスケースの中にいるバーデリーさんが居た。
美しい白銀の羽根の一本一本が、下からコポコポと上がる泡に揺れていた。
この装置の操作盤には緑色のボタンが一つだけ付いている。
ちょっと怖かったけど、僕はそのボタンを押した。
ヴィィィィというブザーが数秒鳴り、プシューという空気が抜けるような音がした。
筒の中の水が抜けていった。
ドライヤーの様な音と共に、バーデリーさんの羽が風にあおられて揺れた。
体が完全に乾くと、筒のガラスケースのドアが開いた。
淡い空色の瞳が、まぶたの下から現れた。
「正悟…」
彼女はすべてを知っているかの様に、僕の名前を呼んだ。
僕達はほかに何も言わず、抱き合った。
バードスさんの手を掴んだ時感じた、毛布を触る様な感触が体全体に伝わった。
僕は誰かと抱き合ったのは、生まれて初めてだ。
まるで、この世界に僕たち二人しかいないような気持になった。
自然と涙がこぼれてきた。
頬を伝って、バーデリーさんの肩に落ちた。
僕は「愛」を感じた。
お母さんと、お父さんが、笑って、一緒に、手をつないだ。
あの「愛」を感じた。

離れると、バーデリーさんは言った。
「ありがとう。」
僕は言った。
「本当に頑張ったのは僕じゃないよ。」
「ええ。でも、あなただわ。」
「そうかな。」
「そうよ。」
「でも、僕は彼らの作ってくれた道を歩いただけの様な気がして…。」
「確かに、他のあなたは存在したわ。でも、それもあなたよ。」
「…はは。」
もう一度バーデリーさんの近くに寄りたくなった。
バーデリーさんはそれを知っているかのように、僕を白銀の翼で包んだ。
その時、廊下をものすごい勢いで走る音がした。
「誰かしら?」
「アープさんじゃないかな。」
僕の予想通り、奥の扉にカプセルを横に抱えたアープさんの姿が見えた。
「正悟君…!?」
アープさんはばらばらになった壁を見て、驚いている。
「まさか…時間還元装置…」
アープさんは僕たちの方に歩いてきた。
「正悟君…君は…僕の予想をはるかに超えた…いや、超えすぎている…」
「アープさん。」
と、僕は呼んだ。
「なんだい?」
「ちょっとこっちに来て。」
「ん?どうした?」
と、アープさんが近づいてきた。
僕は拳を握りしめた。
僕はアープさんの顔面を、思いっきり殴り飛ばした。
「ッッッ!!!?」
アープさんは吹っ飛んだ。
「1200回、僕を見捨てた代償だよ。」
「ああ…すまない。僕は…」
「いいよ。もう許した。さっさと、みんなを元に戻してよ。」
アープさんは顔を抑えながら、よろよろと立ち上がった。
「ああ。だが、その前に…」
アープさんは、もう一つの筒形ガラスケースの中にいる、猫を見た。
「彼女は…僕と一緒に旅をしていたんだ。」
「何でここに閉じ込められているの?」
「彼女は僕が閉じ込めたんだ。」
「え!?」
と、僕もバーデリーさんも驚いた。
「彼女は…ヘンゲウイルスに感染したんだ。体が猫に変わり…まだ感染していない
人間たちは…彼女を捕えようとしたんだ。僕たちは恐ろしくて、古い城の地下に隠れて、彼女が人間に捕らえられないように、この中に閉じ込めたんだ。
しかし外では、彼女の近くを通ったり、話したりした人が感染し、動物になって、僕も動物になった。だから、開けられなかったんだ。この壁をね。」
アープさんはばらばらになった壁の破片を見つめた。
「でも、私は何故ここに閉じ込められていたの?」
「それは分からない。僕達がここについた時には、既に君はここにいた。そして、ホログラムも。多分、君は初期に感染していたんじゃないかな。おそらくここで、ヘンゲウイルスについての研究がおこなわれていたんだと思う。」
「そうなの…とにかく、この猫さんを解放してあげましよ?」
「ああ。そうだな。」
と言い、アープさんは制御盤を色々と操作し、バーデリーさんと同じような事が行われた後、
ガラスケースの扉が開いた。
「…よかった。あなたがここを開いたってことは、全て終わったのね?」
「いや、まだだ。みんなを人間に戻さないと。」
猫の女性は、目を開いた。
「いいんだ。感謝の言葉は、あの人間君に言えよ。」
「ええ。人間さん。名前は?」
「正悟。」
「ありがとう。正悟。」
「それではッ!」
アープさんが、部屋の奥に行った。
部屋の奥には、円盤型の大きな機械があって、中心には小さな穴が開いている。
アープさんはいくつかボタンを操作してから、勢いよく振り返った。
そして、僕の方を見た。
「君のおかげで、この世界は救われる。だから、正悟。君がこのカプセルを入れるべきだ。」
と、アープさんはカプセルを僕に差し出した。
その時、後方から声が聞こえた。
「この世界が救われる瞬間に、ワシだけ置いてくとは何事じゃあ!」
振り返ると、ジルドさんが短い手足を振り回しながら走ってきていた。
「ぜぇ…ぜぇ…邪魔して悪いのう。ささ、人間さん、やってくだされ。」
「分かった。アープさん。入れるときの掛け声は、「アレ」で良い?」
「「アレ」か。良いぞ。」
心臓がバクバクしてきた。
体が熱くなってきた。
「それじゃあ、いくよ。せーのっ!」
僕はカプセルを振り上げた。
「ジェロニモォォォォォォォ!!!!」
カプセルを思いっきり差し込んだ。
視界が金色の光に包まれた。


目を開いた。
金色の光が消えていた。
「どうやら、成功の様だ。」
と、アープさんの声が聞こえた。
アープさんを見た。
背が高い。
顔の右側に髪の毛を寄せている。
ヨーロッパの人らしい。
茶色いスーツに、赤紫色の蝶ネクタイ。
少しやつれた顔で、顎が特徴的だ。
まるで、英国紳士みたいだ。
「ああ…すべて思い出したぞ!」
と、アープさんは手を振り回して叫んだ。
猫の女性は、やっぱりヨーロッパの人みたいで、ショートヘアーの茶髪で丸顔だ。
アープさんと何か話している。
ジルドさんは、日本人。
白いもじゃもじゃの髭と髪で、革ジャンを着ている。
「ほう…こりゃ、ワシがこんなにイケてるとは、思いもしとりゃあせんかったわ。」
そして、バーデリーさん。
少し茶色が入った長い髪の毛。
大きな瞳に、少し丸い顔。
変わらない淡い空色の瞳。
映画で見たことある、ロリータワンピースを着ている。
「私、変わった服を着ているのねぇ」
と、自分の服をまじまじと見ている・
「さて。」
と、アープさんが手をたたいた。
「外に行って皆がどうなったか、見てみようじゃないか。」


外に出ると、市の方から歓声が聞こえてきた。
ライオネル王様から逃げ出した時とは、比べ物にならない歓声だ。
市につくと、既にパーティーが始まっていた。
家や物はゲームで見たような古い物なのに、皆が着ているものが現代風なことがちょっと笑えた。
人間に戻ったみんなは、前よりも自由に歌い、踊った。
「皆が元に戻ったから、これからはきっとこの町も、この世界も、発展していくだろうな。」
と、アープさんは言った。
「さて、ワシは妻子のところに戻らねばならんなぁ。人間に戻ったあいつらが、どんな姿か見モノじゃわい。お前さんたちとは、ここでお別れじゃな。」
と、ジルドさんが言った。
僕は、ジルドさんの方を見た。
「ジルドさん。ありがとうね。長生きしてね。」
「当り前じゃろ。あと百年は生きるわ。わっはっは!」
「おじいさん。いっしょに冒険出来てよかったわ。またいつか会いましょう?」
と、バーデリーさんも言った。
「あー…爺さん。」
「なんじゃ、若造。」
「アンタ何にもしてない…いや、何でもない。アンタは素晴らしい人だ!」
「フン。まぁ、いいじゃろう。若造も元気でおれよ。」
と、笑いながらアープさんの肩をバンバンたたいた。
そのあとアープさんは肩の埃を払った。
「猫さんよ。アンタも元気でな。幸せに暮らすんじゃぞ。」
「ありがとう。あなたはきっと長生きするわ。私には分かるの。」
ジルドさんはまた、大笑いした。
そして、ジルドさんは皆と握手すると、通りかかった馬車を止めて、手を振りながら去っていった。
「さて、僕達もいかなきゃ。ね?」
と、アープさんは言った。
「正悟君。君を元の世界に返そう。」

人々の歓声は遠くなり、アープさんの研究所についた。
「正悟。君とはお別れだな。」
「ねぇ、私もついて行ってもいい?」
と、バーデリーさんが言った。
「もちろん大丈夫だよ。でも、君はこの世界にいなくてもいいの?」
「いいのよ。私を待っている人は、誰一人いないわ。」
「…分かった。一緒に行こう。」
僕はお父さんとお母さんを思い出した。
大丈夫なのかな…バーデリーさんに怖い思いをさせないようにしないと。
「改めて君に礼を言おう。ありがとう。正悟。
君のおかげで、この世界は救われたんだ。」
アープさんは少し間をおいて言った。
「それから…正悟君。もし君が、そのー…僕達と一緒に…旅をしたいなら」
「いえ」
僕はアープさんの話を切った。
「僕にはこれ以上家族に心配をかけられません。」
「そうか。そうだな。君の選択だ。うん。僕にそれを変える力も権利もない。」
猫だった女性が言った。
「二人とも。元気でね。」
「ありがとう。」
「それじゃあ行くぞ…準備は良いかい?」
「ええ。」
「うん。」
「それじゃあ…さよならッ!」
猫だった女性が手を振った。
アープさんは机に取り付けられているレバーを思いっきり引いた。
地面が無くなった。黒い大きな穴に、僕達は落ちていく。
バーデリーさんと手を取り合い、僕達は空を切って落ちていく。
今までの冒険を思い出しながら。
ずっと、下に落ちていく。
勢いを増しながら、隕石の様に、落ちていく。

地面に触れた。
細かい石が背中に触れる感触。
痛みなんて全くない。
僕は起き上がった。
バーデリーさんも起き上がった。
固く結んだ手をほどいた。
「ついたわね。」
「うん。ついた。」
空を見上げると、もうすっかり夜だ。
星の見えない空を、明るい月が照らしている。
あたりを見ると、あのボロボロの家の庭だった。
塀には手入れのされていない木鉢が並び、魚がいない緑色の水槽がさびた鉄の棚の上に
ずらりと並んでいる。
もう一つの棚には正常に動いている時計が掛けてある。
時計は今、十二時一分くらいを指している。
ほかのところには穴だらけのタイヤが突っ込んである。
表札は朽ち果てている。
ポストには、ボロボロになったチラシがこれでもかというほど詰め込まれている。
小さな畑には僕の腰くらいの雑草が生えまくり、ちぎれたホースや陶器でできた馬や小人の人形があちこちに飛散していた。
僕はもう逃げない。
「おうちに帰ろう。」
「ええ。」
僕達は歩き出した。
そして、お父さんやお母さんのことを歩きながら話した。
バーデリーさんは真剣に聞いてくれた。
僕は誰かに両親の事を話したのは初めてだ。
住宅街をぬけ、コンビニの前を通った。
コンビニの前には缶コーヒーを飲みながら、たばこを吸っているおじさんがいた。
「こんばんは」
と僕が言った。
バーデリーさんも、
「こんばんは」
と言った。
おじさんは、太い声で、
「こんばんは。こんな夜遅くにお前さんのような子供が歩いてて大丈夫か?」
「僕たちは家に帰るところなんです。ちょっと、冒険をしてて。」
「ええ。すごい冒険だったの!」
「・・・そうかい。お前さんたちのような、若い頃が懐かしいな。
気イ付けて帰りなよ。」
と、おじさんは笑った。
「はい、ありがとうございます」
「さよなら」
と、おじさんに手を振って別れた。
狭い歩道を歩き、広い道路を渡り、坂を下り、奥の坂を上り、
マンションのロビーの前まで来た。
「大丈夫。今まであなたは一人だったけど、今は私がいるわ。」
僕は小さく頷いた。
僕は、勇気を出してインターホンで部屋番号をおして、通話ボタンを押した。
お母さんの声がした。
「はい」
「お母さん、僕だよ。」
「…ええ!?外は寒いでしょう。早く入りなさい!」
と、ロビーのドアが開いた。
「…行こう。」
「頑張って。正悟。」バーデリーさんが僕の手を握った。
大丈夫。きっとうまくいくはず。
エレベーターの「3」を押して、上に上がった。
エレベーターはいつもと同じ速さで上って行った。
ついた。ドアが開いた。
エレベーターの外に出た。
扉が閉じた。
エレベーターは、一階に戻っていった。
マンションの廊下を歩いた。
ここは高い場所だから、遠くの町までよく見える。
赤や青、黄色や白の光が、あちこちについている。
夜の町は、美しい。
他の人の部屋の前を一つ一つ通りすぎるたびに、鼓動が早くなっていく。
目の前の問題から目を背けてはいけない。
いくら辛い惨状が目の前にあったとしても、もう僕は逃げ出さない。
そう。極限の状況から逃げず、トカゲに立ち向かったバードスさんの様に。
バーデリーさんが手を強く握った。
一歩ずつ、硬い床を踏みしめる。
体から汗が染みだす。
体が熱くなっていく。
体が震える。
足の裏が厚くなる。
息が荒くなる。
瞬きの回数が増える。
自分の部屋の前についた。
部屋番号を確認した。
扉の鍵は開いている。
僕はドアノブに手をかけた。
肘を曲げ、少しずつ手前に扉を開く。
少し後ろに下がる。
中から光が漏れだす。
バーデリーさんの顔を見る。
バーデリーさんが頷く。
そして前を向く。
玄関に立つお母さんとお父さんの姿が見える。
僕は顔を下に向ける。
バーデリーさんは手が痛くなるほど、僕の手を握っている。
お父さんとお母さんは優しく言った。
「おかえり。」
と。
僕は言った。
「ただいま。」
と。
僕はバーデリーさんの手を離し、お父さんとお母さんに抱き着いた。

THE END


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