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自分の意志ではないが自分でやったことをどのように考えるか?

 

 第16回 小林秀雄賞を受賞した「中動態の世界 意志と責任の考古学 」の著者であり哲学者の國分功一郎さんの「中動態」という考え方が、とても興味深い。

こちらの記事の中では、

「昼食に自分はラーメンが食べたかったが、友人はソバがいいと言うので仕方なくソバを食べた」――。「ソバを食べる」行為は自分がやったことだが、自ら進んでしたわけではない。これは「能動」か「受動」か。

という問いを用いて、中動態について考えるきっかけを与えてくれている。

「自分の意志ではないが自分でやった」ことは、能動態と受動態の間という意味で「中動態」と定義できる。例えばコロナ禍で強いられた自粛生活は中動態と考えることができる。

そして、國分功一郎さんが指摘するように

「意志」や「責任」という言葉だけで人間の行為を説明するのには限界がある。

一人一人が責任を持って行動することは重要であり、他者の行為に対して責任問題を明確にしていくことが重要になる場面ももちろんあるだろう。

しかし、例えば、今自分がある人の何らかの行為に対して非難する時、果たしてそれは本当にその人の「意志」や「責任」のみが問われるべきことなのだろうか?

その非難の裏には自分自身の不安やストレスが隠れてはいないか?

常にその時の自分の感情や状態に”気づき”ながら、自分の中にある恐れやその他の感情を起因とした過剰な反応にならないように注意することは、このコロナ禍で改めて重要になっていると感じる。

 

 下記の社会心理学者の村山綾先生の記事でも取り上げられているが、コロナによる生活困窮者・感染者への「自己責任」バッシングにもそのような問題が隠れているケースが多い。


村山綾先生は、
「自分には悪いことは起きない」と信じたいから被害者のせいにしてしまう、といったバッシングの裏にある自身の不安やフラストレーションを自覚することの重要性を指摘する。

そして、一人一人、自分の中にある「弱さ」を自覚し、受け入れ、他者の中にある「弱さ」に寛容になることは人間が社会生活を営む上で大きな意義をもたらすものである。

 

 30年以上にわたって「大人の発達と成長」を研究してきたハーバード大学 教育学大学院 教授のロバート・キーガン 博士は、著書『なぜ弱さを見せあえる組織が強いのか』の中で実在の世界的に成功している企業3社を取り上げ、3社に共通する以下のような成功要因を分析して、「弱さ」を受け止め合える組織の可能性を提唱している。

一人一人が自分と他者の中にある「弱さ」を自覚的に受け止め、お互いに個人の課題を解決するための支援を惜しまず、誰もが自分を取り繕う必要がなく「本来の自分」で職場に来ることができる


この本で説かれていることは、会社などの組織だけでなく社会全体にも当てはまるだろう。


 「弱さを見せ合える社会の強さ」の可能性を見出し、実現していくためには、自分も他者という存在も能動態と受動態の間の中で生かされている「中動態」な存在であることに”気づく”ことがまず大事だ。

それと共に、その”気づく力”を促すための”自分の思考の基盤を提示する”、哲学的考察も日々の中でぜひ大事にしていきたいものである。

※参考:國分功一郎さんの著書:
「中動態の世界 意志と責任の考古学」


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