
テレビを捨てて16年、感じたメディアと世代の隔たり
新聞・テレビから得る情報への疑問
私は16年前からテレビを持たず、新聞も購読していません。
それ以来、日々の情報は主にネットから取り入れております。ネットの情報にはフェイクやデマも含まれるため注意が必要ですが、多様な情報源から得られる知識を総合的に判断することで、より客観的な事実が見えてくると考えています。
報道の現状と、人々の思考への影響
ネット上に漏れてくる切り抜かれた動画からの判断となりますが、最近のテレビ報道、特にご年配の方々がよく見るワイドショーなどを見る限り、自分たちの過ちを認めず、必死に現状を正当化しようとしているように感じます。このような姿勢は非常に危険であり、メディアに対する信頼を失わせます。
しかし、私の周囲の年配者の多くは、テレビや新聞の情報しか信用せず、ネットの情報は「全てデマ」だと決めつけている人が多いように思えます。彼らは多様な情報に触れる機会を自ら閉ざし、与えられた情報のみを鵜呑みにしているように見えます。
若者たちの変化と、世代間の意見の対立

かつては、若者たちは年長者に対しても自分の意見を率直に述べることができました。しかし、今の若者たちは、年長者の意見に異を唱えることをためらいがちです。
これは、情報過多の時代において、若者たちがより慎重になり、安易に意見を表明することを避けるようになったためかも…と思うようになりました。
情報格差が生み出す「あきらめ」
情報が少ない人々に対して、異なる意見や情報を伝えても、彼らがそれを受け入れることはとても難しいと感じます。彼らは、与えられた情報のみを基に思考し、多角的な視点を持つことを拒否します。
このような状況下では、議論は成立せず、ただただ相手を呆れかえらせるだけになってしまいます。
私も先日、そのような人が会話している場に遭遇してそう感じましたので、何も口出しせずに話を聞いて、否定も肯定もしませんでした。
メディアとの戦いではなく、達観した視点で
今後、ネットと従来のメディアとの間で激しい情報戦が繰り広げられることは間違いありません。しかし、私は若者たちの姿勢に学び、この戦いに直接関わるのではなく、一歩引いた立場で事態を見守りたいと考えています。
多様な情報源に触れ、自ら考えることの重要性
情報過多の時代において、私たちは多様な情報源から得られる知識を総合的に判断し、自ら考え、行動する必要があります。テレビや新聞といった従来のメディアだけに頼らず、ネットの情報も積極的に取り入れ、客観的な視点を持つことが重要だと思います。