見出し画像

熊と日本人

『FlyFisher』2016年8月号掲載 

熊である。
僕はいままで熊の存在は頭ではわかっているつもりであった。先月号で書いた東北釣行にあたっては熊対策に鈴だけでなく、ベアスプレー(熊撃退スプレー)も携行して熊対策はしたつもりであった。しかしそもそも熊についてなにも知らなかったのである。

 青森県の赤石川での釣りのついでに熊の湯温泉に立ち寄り、風呂上がりにのんびりと女将さんと話していて、このあたりは「熊は多いものなんですか」とふざけた質問をしてしまった。熊のいるところに我々が入っているので当たり前だと恥ずかしい思いをした。そしたら「熊なら裏庭で飼ってますよ」と言う。まるで「庭でニワトリ飼ってますよ」とおなじ調子で言われたので女将さんがなにを言っているのか理解するのに数秒を必要としたが、「熊を飼っているのですか!」とまたふざけた質問をしてしまった。
 裏庭に行くと、二重になった重厚な檻が建っていた。近づくと獣の匂いがムワッと鼻をつく。この匂いは憶えておくと山では役に立つと思った。檻の前まで近づくも熊が見当たらない。と下を見たら黒光りしたツキノワグマ二頭が目の前にいて驚いた。黒く、想像していたより大きかったためにそれが熊だとは気づかなかった。
二頭は静かに並んで座り、喉を鳴らしながらじゃれ合っていた、たまにこちらを檻越しに覗く。実際に見たツキノワグマは大きく、到底相撲で勝てる相手ではないと僕は悟った。
けどよく見ると、熊はとても愛くるしい生き物であった。
 熊の湯温泉のことは事前にまったく知らず、偶然入ったのだが、飾られた写真をみると錚々たる著名な方が訪れていて、帰ってから調べたら本も数冊出ている有名な温泉宿であった。
 
 と、まあ、そのくらい熊について僕は無知だったわけである。
 その翌日は秋田県の阿仁に移動して釣りをした。阿仁マタギの里である。それでも熊を意識することなく山中へ入り谷に下りて釣りをしたのである。寂しい釣果で終わり、納竿して近くの道の駅で休憩していると秋田の鹿角で熊に襲われて死者が出たというニュースが携帯に入った。
そして関連ニュースでは熊の目撃が昨年の二倍に上がっているという。
そこで強く熊を意識し始めた。

釣行から帰るとすぐに店の一角を熊コーナーにするために関連する本を選書した。今回はその中から本を紹介したい。

 まず、熊がとても身近に生息していることを実感できる本が『となりのツキノワグマ』(宮崎学/新樹社)だ。《一歩山へ入ればクマはいる、あなたの隣に》という惹句に偽りなく、本当に熊はすぐ隣にいることに驚く。著者の宮崎氏が無人カメラで撮影した写真には、昼は人々で行き交う遊歩道も夜になると多くの野生動物が行き来し、そして熊も当然現れる。人と獣は交わることがないが、同じ場所を共有しているという当たり前のことを忘れていることに自分が恥ずかしくなる。木の上で熊が食事をするときにできる「クマ棚」が民家の庭の栗の木にできていることにも驚く。
熊が我々と同じ場所で生息していることを実感できる本である。

 『山でクマに会う方法』(米田一彦/ヤマケイ文庫)では、フリーの熊研究家であり、鹿角の事故でもいち早くブログ等で現地の状況を報告していた米田氏によるツキノワグマ生態を解説した本である。特に本書は本州に棲息するツキノワグマに絞り解説をしているので、本州で釣りをする方には必読の本と言っていい。ちなみにツキノワグマは本州に生息し、北海道に生息しているのはヒグマである。ヒグマについては『熊のことは、熊に訊け。』(岩井基樹/つり人社)が詳しい。
 
 これらの本で熊の生態を知り、山中で熊と出会わないように、または熊と出会ったときの自らの行動を間違わなければ不幸なことにならずに済む。しかし大切なのは必要以上に熊を恐れてはいけないとも思うのだ。熊のいるところに人が入っていることを忘れてはいけないのだ。
 『クマにあったらどうするか アイヌ民族最後の狩人 姉崎等』(姉崎等・片山龍峯/ちくま文庫)はアイヌの狩人であった故姉崎等氏の聞き取りをまとめた本である。本書で姉崎氏は「わたしはクマを自分の師匠だと本気で思ってます」と語る。山でのクマの知恵から山を知ったというのである。また『熊を殺すと雨が降る 失われゆく山の民俗』(遠藤ケイ/ちくま文庫)を読めば、山の民がいかに熊と密接に関わってきたのかがわかる。

 昨日今日熊がいるところが作られたわけでなく、また人が熊から離れた場所に住みだしたわけでもない。古来から熊と人間はともに生きていたのだ。人は自然に対して謙虚になれと言う。その自然の象徴が熊なのだと、恥ずかしながらようやく僕は理解したのである。

となりのツキノワグマ
宮崎学/著
新樹社 2,376円 ISBN:978-4-7875-8605-6

山でクマに会う方法 これだけは知っておきたいクマの常識
米田一彦/著
ヤマケイ文庫 929円
ISBN:978-4-635-04727-2

熊のことは、熊に訊け。
岩井基樹/著
つり人社 2,052円
ISBN:978-4-88536-179-1

クマにあったらどうするか アイヌ民族最後の狩人姉崎等
姉崎等/著 片山龍峯/著
ちくま文庫 907円
ISBN:978-4-480-43148-6

熊を殺すと雨が降る 失われゆく山の民俗
遠藤ケイ/著
ちくま文庫 972円
ISBN:978-4-480-42288-0


最後までお読みいただきありがとうございました。 投げ銭でご支援いただけましたらとても幸せになれそうです。