見出し画像

岩魚幻談

『FlyFisher』2016年5月号掲載 

釣りを覚えて数年が経った頃、すこし深い渓へと足を運ぼうと普段降り立つ渓流を通り過ぎ、山の奥へと車を走らせた。
 しかしこの日の釣行は調子がおかしかった。前日の準備は捗らず、車に積んだと思ったフライボックスとウェア一式を部屋に置き忘れ、車に積み直すとタオルや着替えも忘れていたことに気づく。何度も車と部屋を往復することになった。
 明け方に車を走らせていても、川へ向かういつもの高揚感はなく、冷めた気持ちで運転をしていた。
 以前より目をつけていた渓に到着し、車を降りて空を見上げると、雲ひとつない晴天で気分も上々・・・といつもならなるはずが、なぜか気持ちが盛り上がらない。タックルの準備を始めると、ロッドのガイドにフライラインを通し忘れたり、フライを何度結んでもティペットが切れたりと、またも準備が捗らない。そして最後にはカメラを自宅に忘れたことに気付く。この日は何かがかみ合っていない。なんとか準備を済ませ、入渓地点から一〇メートルほど急峻な崖を下る。といっても足場はしっかりしていて、谷底までの高さこそあるものの難度はそれほど高くなく、ルートさえ間違えなければどうってことは無い崖である。

 これは危ない。

この日の不穏な空気を考えると油断は禁物。ゆっくりと、神経質に足の一歩一歩を岩場に慎重に下ろしながら降りていった。
川岸に両足を着き、心地よい安堵感を得てから川を眺め、ようやく気持ちが上向いた瞬間に気付いた。
車に偏光グラスを忘れてきた。

 結局、偏光グラスを取りにまた崖を登り、また降りるという、もうここまでくると開き直っていた。なるようになれと。
 降り立った左岸から左手下流は滝のように大きく落ち込み、右手上流は開けていてロッドを振るのに障害物もなく、目をつけていた通り気持ちよく釣りのできそうな渓相である。
 ようやくロッドを振り始め、小さな落ち込み付近にフライを落とすと、すぐさま魚が出てくれた。
第一投から魚が出て、これまでのギクシャクしたなにかが一瞬にして霧消した。
 魚を手元に寄せると、20センチくらいのイワナであった。フックを外そうと手を口にもっていくと、全身にゾワっと毛穴が開くような感覚が襲った。イワナの右の目だけが真っ赤なのだ。
病気なのか、それとも寝不足なのか。そっとイワナを流れに放したが、しばし放心して気持ち悪さを切り替えようとした。結局、7時間も釣りあがったものの、釣果は第一投で釣れた赤い目のイワナ一匹だけ。

 それから一週間後、また同じ渓を訪れた。リベンジである。
入退渓の場所もわかると釣りにも余裕が出てくる。深い谷には人工物が一切無く、浮世から離れた心地よい隔絶感を改めて満喫しながら釣り始めた。
すぐにフライに魚が出た。先週と同じ場所である。魚を手元に引き寄せると、なんと先週と同じ右の目が赤いイワナであった。この川で僕に釣られてくれた、ただ一匹の魚である。しかも二度。釣れない僕を哀れに思った優しいイワナだったのだ。気味悪がって本当にごめんなさい。
 
 先日、東京の神保町で古書を物色していたところ、本棚に囲まれた獣道のような通路の古書店で、『岩魚幻談』という本と出会った。
イワナにまつわる釣り人の不思議な話を集めた本であるが、茶色くヤケたページの雰囲気と相まって、深山幽谷での不思議なイワナ話がまるで怪異譚のように僕を異世界へと導いてくれる。それにしても、イワナは不思議な魚である。どうしても釣りたい魚ではない。しかしとても楽しい釣りになるのがイワナなのだ。流れのない小さなポイントでフライに出るイワナがとても好きだ。かくれんぼをしているような釣りなのである。そんな魚だから、本書のように、狐や狸のような人を煙に巻く魚のような気がしてならない。
 
ああ、なるほど。
釣り人の話だから「話に尾鰭がつく」という言葉が生まれたのか。


岩魚幻談
湯川豊/〔ほか〕著
朔風社 1,888円
ISBN:978-4-915511-07-3
1983年5月刊(絶版)

最後までお読みいただきありがとうございました。 投げ銭でご支援いただけましたらとても幸せになれそうです。