見出し画像

迷う門には福来る

 『FlyFisher』2016年6月号掲載 

 僕はカーナビではなく、道路地図派である。先日友人と二人で群馬に釣りに行ってきた。自らのスマホにカーナビの機能があることを知った僕はその誘惑に負けた。
なんと目的地に簡単に到着できてしまった。
もう、なんちゅうかこう、ドラえもんの「どこでもドア」のように目的地までの過程が、道程が、プロセスが、必要ではなかったというショック。
僕は運転中、「今どのあたり?」「ここどこよ?」と助手席の友人に尋ねるが、友人は現在地を調べもせずに「そんなの気にする必要ないでしょ」と鼻を鳴らして答える。
そうなのだ。気にしなくていいのだ。右手に大きな国道があるにも関わらず平行している狭い農道を走らされても、「50メートルサキ、サセツデス」と言われたものの車一台通れるかどうかの道幅に入れと指示されても、気にする必要はないのである。目的地に向かっていればいいのである。

 その数日後、今度は僕一人で栃木県の北部へと釣りに出かけた。ナビは使わない。勝手知ったる地元の栃木県である。地図さえあれば事足りる。
場所は福島県との県境近くの山奥である。ぐんぐんと車を進め、県境ちかくの林道まできたところで道が無くなっていた。崩落していたのである。もしナビであったなら、「チョクシンデス」とうるさく言ってきただろう。
僕は諦めて引き返し、途中の川で竿を出すことにした。
正午過ぎまで川を歩いたが、釣果はイワナ一匹だけであった。空を見上げると曇が多くひと雨降りそうだったので、納竿として帰路についた。案の定、林道には霧が立ち込めて視界も悪くなりノロノロと狭い道を走っていた。
すると目の前に大きな四駆の車が止まっていて、突然霧の中からお爺さんが両手を振りながら僕の車の前に飛び出してくるではないか。スピードは出てないとはいえ突然のことに驚いていると、停車した僕のほうへお爺さんは近づいてくる。カウボーイハットを被ったアメリカンなお爺さんであった。
「この先に町あるの?」とお爺さんが聞いてきた。
あるわけがないのである。道は崩れているし、いまこの場所自体がかなり山深いところなのである。町、というか集落すらこの先に無いことを伝えると、「大きな道に出たいんだよ」と言う。
この先には無いので来た道戻ったほうがいいですよと僕が言うと、「どうやって来たのかわからないので、連れてってくれ」と言う。
なるほど、お爺さんは迷ったのだ。
結局、大きな道まで小一時間ほど僕の車でお爺さんを誘導して国道に繋がる集落へと到着した。別れ際、お礼とともに「お兄ちゃん道詳しいね!助かったよ!」と満面の笑みでブロロロローとディーゼルを轟かせながらお爺さんは去っていった。

 『迷う門には福来る』(ひさだかおり著/本の雑誌社)という本がある。
著者のこれまでの失敗談をまとめた本であるが、よくも今まで生きてきたなというくらいの道に迷うエピソードが満載である。なぜ道に迷うのか、ということに関して、「丘の上から急な階段を降りて街に行ったから、帰りは小高い方向へいけばいい」という迷うべくして迷う思考パターンはとても貴重な証言である。

間違ったら元の道に戻る。これがセオリーであるが、本書で久田氏は電話で夫に助けを請うものの、「元の道に戻ってください」との助言を「役に立たないアドバイスだ」と一蹴。迷った人に道を教えることが困難なことがわかっているからこその、これ以上ない簡単明瞭なアドバイス「元に戻ってください」が役に立たないと思われていたなんて!

道に迷う人間が、どう考え、どう行動しているのか、迷う人の生態がわかる珍しい本である。

最後に、僕から迷う人に清沢哲夫の詩を贈りたい。

「この道を行けばどうなるものか 
危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし 
踏み出せばその一足が道となり その一足が道となる 迷わず行けよ 行けばわかるさ」

迷う門には福来る
ひさだかおり/著
本の雑誌社 1,512円
ISBN:978-4-86011-273-8

最後までお読みいただきありがとうございました。 投げ銭でご支援いただけましたらとても幸せになれそうです。