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“今こそアームチェアフィッシング 釣り好きが出会ったこの1冊”|【レビュー】世界魚類神話

『月刊つり人』‬2020年7月号掲載

“今こそアームチェアフィッシング 釣り好きが出会ったこの1冊”

 初夏のある日、まだ乾いた青空が覆う奥会津の渓流を眼下に見下ろしながら僕は恐る恐る斜面を降りていた。片手にはフライロッドを持ち、靴底がフェルトのウェーダーシューズでは乾いた石面で容易に滑り、何度も足元を踏みしめながら慎重に両の足を下ろしていった。ようやく渓の底に両足を下ろすと、緊張で高鳴っていた僕の鼓動を川音が洗い流してくれた。
 川の中へと緩やかに一歩足を浸すと渓流の冷水がぐるりと足首を包み、遮られた流れは音を立てて弾け続けた。顔を上げ大きな石が作り出した複雑に混じり合う川の流れをしばらく眺めると、魚のいそうな場所に目星をつけて釣り上がるルートを頭の中で思い描いていった。

 ロッドを振りながら、まずは手近なポイントから毛鉤を落とした。すると流れる毛鉤のすぐ下に黒い影が現れた。その影は毛鉤に鼻先をつけながら50センチほど毛鉤と一緒に流れると、興味を無くしたように上流へと戻っていった。
 イワナだ。
僕は一投目からイワナの姿を見られたことにまた鼓動を早めた。
二投目、先ほどと同じ場所に毛鉤を流す。またイワナが姿を現し、毛鉤に鼻先をつけながら体を流れに対して横向きに器用に毛鉤とあわせて泳いでいた。イワナが毛鉤を咥えたらいつでもロッドを立てられるように身構えるもののイワナはまたぷいっと毛鉤から身を返して上流へと戻っていった。
 僕は何度か別の毛鉤に換えて流したものの、結局イワナは毛鉤を眺めては引き返すだけで最後には僕に構うことにも飽きたのか毛鉤に姿を見せることもなくなった。
 
 フライフィッシングをする僕は渓流解禁の春を前にすると普段でも“魚”という字が一瞬でも目に入ればすかさず“魚”を探し求めてしまう。ある日、魚っ気のない書店の人文書コーナーを物色していると突然“魚”という一字が視界を通り過ぎた。慌てて“魚”という文字の所在を探すと『世界魚類神話』(篠田知和基/八坂書房)に辿り着いた。まったく釣りとは関係ない本だったが“魚類”にまつわる神話やおとぎ話に興味を惹かれた。 

 ヨーロッパではギリシャ神話にイルカが登場し、北欧神話では雷神ソーが牛の頭を餌に海蛇ヨルムンガンドを釣り上げる。また聖書にはクジラに飲まれたヨナの話や、キリストが4千人の飢えた民にパンと魚を分け与えた(マルコ伝第八章)話が登場する。
 アメリカの先住民には「もしも人々が必要とした以上に(サケを)つかまえ、あとでその魚を捨てたり、いじめたりしたら、霊界からの報復があるものと思わなければならない」という物騒な、しかし今の釣り人や果ては水産業に向けた教訓としても使えそうな神話があったりする。
 日本では食としての魚の言い伝えが多く「ハモは百病によし、アジ・カマスは五臓を補い、イワシは中風に効き、コイは腎精、乳の出をよくし、コイのキモは熊胆の代用として消化促進、タイはインポテンツを治し、トビウオは不老長寿」と信じられていたという。
 下野では長者の美しい娘が国司(地方行政のトップ)の嫁に指名されたが、すでに娘には恋人がいて懐妊していた。両親は苦肉の策として娘が死んだと偽って棺桶にコノシロを詰めて火葬にした。以来「子の代」と呼ばれるようになったという。
 また柳田國男の『山の神とオコゼ』では、山の神は自分より醜い魚を見て喜ぶというので猟師や山人がオコゼを山に捧げたが、漁民もまた山を登ってオコゼを捧げたという。山が鎮まれば川も静かで河口の水も澄んで魚がよくとれるからだという現在で当たり前となっている山と海との密接な関係がすでに信仰として伝えられているのも面白い。

  
このように神話と伝説を眺めると、魚類は人々から恐れられ、崇められ、人間に助言をし、また吉兆を示す存在であったことがわかる。
今となっては毛鉤を眺めては引き返すイワナを思い出すと、実は僕が魚に遊ばれていたのかもしれないと思えてくる。
それでいて別の日には僕への同情か哀れみか知らないがなんともあっけなく簡単に釣れてくれるときがあるからタチが悪い。そんなときはもう“魚さまに釣られていただいた”というくらいの感謝の気持ちを僕は抱くしかないのだろう。時に優しく時に知らんぷりをきめるのはいつだって魚のほうで、嫌われたら最後、諦めるのはいつだって釣り人のほうなのだ。
 もうこれからは魚さまが釣られてくれたら「これからもよろしくお付き合いください」とお願いするしかなさそうだ。


『世界魚類神話』
3,080円(税込)
発売日 : 2019年06月
著者/編集 : 篠田知和基
出版社 : 八坂書房
ISBN : 9784896942620


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