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ただ家族の話をしたかった

マルタの語学学校に通い始めて3日目、先生に「あなたの話には夫がよく出てくるね」と笑って言われた。

結婚していかつい苗字に変わったという話や、夫も仕事でよくヨーロッパに出張していることなど、確かにわたしは自分の話にやたらと夫を登場させていた。

そして気付いた。わたしは、夫に限らず、自分の家族の話をするのが好きなのだ。

◇◇◇

何度かnoteにも書いている通り、私の姉は知的障害がある。
これまで、周りの人に姉の話をすることに積極的でなかった。

「あれ、あさえって兄弟いたっけ?」
「お姉ちゃんがいるよ」
「へー、仕事何してるの?もう結婚してる?」
「いや、知的障害があって… 作業所で働いてて、実家にいるよ」

このくだりをやるのに、構えてしまうのだ。何度も気まずい空気にしてしまったことがある、少なくとも私はそう感じている。相手にどんなリアクションされるのかが、こわい。姉のことを伝えるなら、私のタイミングで言わせてほしい。
だから、兄弟姉妹の話題になったら、なるべく自分に回ってくる前に、話題をすり替えようとしてきた。

同時に、友人が兄弟姉妹について、
「お姉ちゃんと海外旅行に行ってきたんだ」
「お兄ちゃんが結婚して子供ができた!」
「妹がジャニオタでさ~」
「弟が来年大学受験なんだよね」
みたいな話をするのを、「いいなー」と思って聞いていた。

こういうことを言うと、周りの大人に「普通の兄弟がうらやましいんだね」「普通のお姉ちゃんだったら、って思っちゃうんだね」とか同情されて面倒なので、徐々にうらやましいと思う気持ちも打ち消してきた。

だけど、これはそもそも「普通の兄弟」をうらやむ気持ちなのだろうか?

たしかに、わたしが姉と2人で海外に行くことはないだろうし、この先に姪や甥ができることはないだろうし、姉と芸能人の話をすることも、姉の受験を応援することもないだろう。彼らと似た経験はできない。
だけど、わたしにも当然、姉との思い出がたくさんある。

わたしは、彼らの話すエピソードそのものを、うらやんだわけじゃない。
それらを気兼ねなく他人に話せることが、うらやましかった。

◇◇◇

世の中には、家族のことが好きな人も嫌いな人も、家族の話をすすんでしたい人もそうでもない人もいるだろう。

わたしは、自分の家族が好きで、家族の話をしたい側の人間だ。
なのに、姉の話を誰にでも気軽にできないことが、たぶんずっとストレスだった。

姉はジグソーパズルが好きで、実家に帰ったらわたしも一緒にやる。大体いつも100-300ピースくらいのものに取り組むので小一時間かかり、わたしとしてはそれなりの達成感があるので、スマホで写真に残そうかと思うんだけど、姉は完成するやいなや壊して箱に戻そうとする。あくまでプロセスを楽しんでいるのだ。

こういう話を、「おもしろいでしょ?」って、誰かにしたかった。でも、友人に話しても、どう反応するのが正解かわからず困らせるのでは、と思ってできなかった。

今は、夫がその相手になってくれている。3人で完成させたパズルを姉が壊す傍らで、「えーもうちょっと余韻感じようよ!」って笑ってくれる。

健常者と障害者の文脈に落とし込まずに、家族のエピソードとして聞いてくれる(とわたしが思える)人が、ずっと欲しかった。
自分がそう思っていたことに、最近ようやく気づいた。

◇◇◇

もうひとつ、私が姉の話をストレスなくできる場所がある。それが他の同じような境遇のきょうだいの前だ。

卒論を書くとき、ほかの知的障害・発達障害のある兄弟姉妹を持つ人にインタビューをした。
そのインタビューが、研究云々の前に、とても楽しい時間だった。お互いの兄弟姉妹に起きた話をおもしろおかしく話すことが許され、将来への不安を素直に吐き出して、同じ温度感で共有できた。

こういうのを「ピアサポート」と呼ぶのだろうけど、なんとなく「かわいそうな人たち」が「援助を求める」ための場所というイメージで、勝手にハードルが高くなってしまう。
だけど、似た境遇の人の存在を知ること、薄くてもつながりを持つことだけでも、生きやすくなるんじゃないかと、この記事を読んで思った。


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