AD37「バラエティプロデュースと差異」

[水道橋博士のメルマ旬報 vol.198 2019年7月発行「テレビの果てはこの目の前に」より]

嬉しいお話ではあるけど、このまま7月から自分の著書が毎月出ることになりそう。
それも6ヶ月連続、そして6ジャンルで、6社から。
月刊『角田陽一郎』か(笑)。
それがいい流れになったらよいのですが(いい流れにしたい!)。
それにしても我ながらよく書いてる。
でも書きたいアイデアはまだまだある。

7月末にでるのは、KADOKAWAより角田陽一郎著
『人生が変わるすごい「地理」』
自分で言うのもなんですが、かなりすごい本です。
ぜひ!よろしくお願いします!!

プロと素人の違いを考える。
素人は相手に報告すべき事を、それを報告すると相手に怒られると思って隠蔽する。実は隠蔽するから相手は怒るし、そんな隠蔽をするからいつまでたっても素人なのだ。
ある芸能事務所は自分のところのタレントは素人には任せられないと言った。はあ、そりゃそうなるよね。

昨日、大学院のゼミで指導教官と話してて、この歳で自分を指導していただける教官がいるというのはなんてありがたいのだろうとつくづく感じた。
人はいくつになっても指導されてもいいのでは無いだろうか?
いくつになっても迷うしいくつになっても成長できるのだから。
それを導く師は必要なのだ。

今日の話。他人の不満や文句を側で聴いてたら、それらは問題点があるから出てくるわけでそれらの改善点を企画にすればむしろ新規プロジェクトやビジネスチャンスの種になるとわかった。
つまり新企画のアイディアやビジネスチャンスは山ほど転がってる。
それを不満や文句で塩漬けしてるのは勿体ない。
僕が体験したテレビ業界だってネット業界だって広告業界だって出版業界だって教育現場だって様々な文句や不満が常に渦巻いている。
文句や不満が存在しない職場は存在しない。
ということは新たな企画のアイディアは至る所に存在してるってことだ。
そう思ったら他人の文句や不満が嫌でなくなって来た(笑)。

この映画や書籍をテレビは何で紹介しないんだ!ってクレーム。
それ単に映画や書籍の点数が多くて紹介できないから選ばれてないことが圧倒的に多い。
テレビの現場ではこの作品を思想的に敢えて紹介しないとか実はそんなに無いと思う。
むしろ限られた枠の中でその作品を紹介すべき理由を常に探してる。
その映画や書籍を番組で紹介する理由。
その作品を紹介することが番組のプラスになるか?という番組にとっての損得しか番組スタッフは(いい意味でも悪い意味でも)考えて無いと思う。
いい意味とはノンポリで無意図な点。
悪い意味とはノンポリで打算的な点。
なので結果ノンポリ的な紹介が多くなる。

某芸能事務所の社長と会食。
芸能人はいつ売れるかわからないし、いつ辞めるかわからない。そもそも浮き沈みも激しい。
なので小さい悩みでいちいち悩まないのが芸能事務所の運営の一番のコツだそうだ。悩んでたら指揮が下がって産まれるかもしれない幸運も取り逃がすから。
これ人生にも当てはまる教訓。

今日の話。人に5個のネタを話したとして、どのネタに食いつくか、どのネタをスルーするか、どうリアクションするかで、その人の趣味や性向や思考や志向や理解度や悟性や寛容度や感応度やなんなら知性や能力までかる。
つまり自分が相手に自分の意見を伝えることがむしろ最高の情報収集なのだ。

ネット世代ってよく言われるけど、実際そんな世代あるのかな?
実際いろんな人に会うと詳しい人は老若男女いるし、詳しくない人は老若男女いる。
世代で括ることがすでに間違ったラベリングなのではないか?
四半世紀ぶりに大学行って若い人と沢山接しても、四半世紀前と印象が全然変わらん。
四半世紀前の自分が学生の頃にも世相に敏感な人も疎い人も、学問に真面目な人も手抜く人もいた。
で、四半世紀経って今の若い学生もそんな感じ。
自分は四半世紀分歳食ったけど、あの頃も今も感じてることの本質はなんも変わらん。
思考の指向はそれこそ個人次第。
世代で括るの意味ないしむしろ有害。

藤森照信著『天下無双の建築学入門』読了。
床、窓、天井、塀、草棟。住まいを考察するだけでこんなにも人類と日本人の歴史と叡智が垣間見られるとは思わなかった。めちゃくちゃ良書。

小笠原弘幸著『オスマン帝国 繁栄と衰亡の600年史』中公新書読了。
知らないことばかり。600年も続いた理由がわかった。知らない世界の知らない歴史を知るのはおもしろい!

田中泰延著『読みたいことを、書けばいい。』手に取って数日。
もう皆さんの沢山の絶賛の言葉を目にすると、いっそ開かない方が御利益あるのではないかとむしろ思えてきた。
こうして秘仏やカアバや三種の神器というのは誕生したのだと人類の歴史に想いを馳せながら今日も表紙を眺める。

沼野充義教授『世界文学講義』で若手文芸研究者や翻訳家のパネルディスカッション。
教授の最後の〆の言葉「『越境』できる人は強い」。
外国の言葉を理解し外国の文化を直に体験する力、そんな『越境』する力こそが最大の価値であると。激しく同意。
枠の中で上手く生きていくだけじゃつまらない。

月曜〆切の課題レポートを書き上げ、送信。
おもしろく書けたとは思うんだけど、おもしろいかどうかじゃないところが、連載や著作と違うところ。
論文として優れてて、なおかつおもしろいってのを書けるようになりたい。

「旅路そのものが報酬である」スティーブ・ジョブズの禅的な言葉。
石井清純先生『日本の禅思想』講義最終回。
素晴らしい講義の連続だった。
終着点は問題では無い。その途上にこそ意味がある。

今日聞いた芸術と芸術学の終焉の話。
聞いてて落ち込んだなあ。新しいものなんかもう無いって思ってるから新しいものが出てこないというか、芸術を狭めて終わらせてるのはむしろ当事者たちだ。
その理論と解釈自体の方がむしろ古くさくて終わってる。
個々の人生で新しく出会うことこそ新しさなのだ。

四半世紀ぶりに四カ月大学通ってみて、おもしろい講義、つまらない講義、出るべき講義、出る必要がない講義の本質がわかってきた。
仮に講義のトピックがおもしろくても講義の運営が稚拙だと時間の無駄だ。
逆に運営が優れてもトピックに本質が無いと空虚だ。
トピックと運営の掛け算で講義価値が決まる。

今日は自分が、昭和女子大の山田隆教授のゼミで特別講義。
メディアの話からSMAPから視聴率から就職活動からシンギュラリティから好きなことだけやって生きていく方法まで幅広く講義。
教えることは教わることだ。

やっと『クリムト展』。すごかった!
「女の三世代」ゾクゾクした。それは女性への畏敬と憧憬が溢れて滲み出ているからだ。「ベートーヴェン・フリーズ」ウィーンに観に行かなくては!

映画『アラジン』観る。
今回のガイ・リッチー監督ウィル・スミス版ジーニーを観て一番感じたのは、実は人の願いを叶えるジーニーが一番強い願いを一番長い期間持ち続けてるってこと。

コパアメリカ『チリvs日本』DAZNで観る。
圧倒的に歯が立たない時の試合を観ると、圧倒的に歯が立たない時にどうするか?って自分の人生に重ね合わせて始終考えて観てしまう。
どんなに頑張っても研鑽しても圧倒的に歯が立たない時ってある。
途方にくれるか?
それでも果敢に攻めるか?
さて、今日もがんばろう。

NHKドキュメンタリー『空旅中国「空海のまわり道」』録画してたのやっと見た!
素晴らしかった。知らない奥深き中国。その奥深さに入っていった空海。今までの価値観が大転回。

イヴァン・ジャブロンカさんと小野正嗣さんの講演『社会科学を文学が革新する』掛け値無しに最高だった!
自分のやるべきことがわかった!「方法としての私」「時の旅をする」「引用=敬意の表明」
ジャブロンカ教授の話で特に印象深かったのは、
「どんな学問も書かれた文体で魅了される」
これどんなこともそうだと思う。正しいことを論理的に言ってようが、それが汚い言葉で言われると、相手には伝わらない。
「知性には感情が必要で、感情が無ければ伝わらない。感情とは自分の内面の炎である」

僕が若い頃に、表現の自由を標榜するアーティストにそのことで取材を求めたところ所属事務所にバラエティという理由だけで即座に断られた。
こちらの取材理由や取扱方とかを説明させていただいた上でお断りされたならともかく。聞く耳も無かったのが悲しかったな。

ノブレスオブリージュって、それは一般に想像できる義務を果たす以上に、例えば作品や商品を作る際それらの意義とは何か?
それをどう丁寧な言い方で説明するか?
その効果でどういう社会を創造するか?
・・・までを含んだ強固な義務だと僕は思う。
儲けを奉仕に使うこと以上に儲け方にも意味があるみたいな。

大したことやってないのに稼いでいたり、凄いことやってるのにお金無い人がいる。その差はなんなのだろう?能力?運?要領?力関係?
「職業に貴賎無し」とは思うけど、少なくとも人のために人のやりたく無いことやってる人にはお金が行き渡るシステムや制度って出来ないのだろうか?とか想う。

人は他人に直接バカにされるより、自分をバカにしている他人の存在に気づく方が落ち込むんだろうな。
これってバカにするな!って相手に言えないから解消法もやり場も無いし。
所詮、人は孤独なわけだけど、より孤独を実感するというか。
ひとりぼっちの孤独ではなくて、人が沢山いるのに感じる孤独。
孤立無援感。
『四面楚歌』の故事の項羽は敵の漢の劉邦軍に囲まれたからじゃなくて、味方の楚国軍に裏切られたから闘う意志が潰えた。
もし四面漢歌状態だったらどんなにキツくても最後まで闘いぬいたんだと思う。
本当に気力が削がれるのは、外部の強敵ではなくて内部の味方や身内の不信や非協力だ。

信頼したからその人に仕事を頼んだり、他の会社に紹介したりしたのに、その仕事がやっつけで酷かったりするととても残念だ。
他の会社を被害に巻き込んだ上にスケも遅れ、さらにその人を信頼していた自分の信憑性も判断力も劣っていたことになるから。
そんな仕事をするならはなから受けなきゃいいのに。

バカっていろんなレイヤーで使われる言葉でまさに基準は人それぞれだけど、僕にとってのバカな人って自分の想定外のことがあることを理解できない人のことだと思う。
でもそういう人はだいたい自分の想定外の人をバカと言う。
けどそういう想定外の人が行った想定外のことが歴史を動かして来たのに。

○○年代的な表現で過去風に作ってる作品。
でもそれはあくまで“風”で雰囲気マネだから現代の表現や演出やセットや衣装やカメラワークをただ劣化させた下手ウマみたくなってるの見ると心底がっかりする。
過去の時代の表現が劣ってると思ったら大間違いで、そんな“風”な作品よりはるかにカッコいい。

今日の話。タレントや文化人本人はいい人なのに、マネジメントの(頭、態度、レスポンス等)が悪くて無くなる仕事って多い。
それらの大部分は本人のことを考えてるフリして実は会社の利益でしか判断してないから。
マネジメントがむしろその本人のポテンシャルやモチベや将来性を潰すパターン、残念。

普段の言葉使いが荒い(汚い)のに、頼みごとの時だけやけに丁寧になる人、相手の格を判断してやけに丁寧になる人、なんかカッコ悪いし、なんか信用できない。
あれ、なんか最近SNSでの言い回しが丁寧だな?とかの前兆が見えたりすると、そのあとなんか告知とか頼みごととかを言い出したりして。

物事の道理をわかってる人とわかってない人がいるんだけど、面倒なのは、本人がわかってるつもりなのに実はわかってない人。
気付いてるつもりで気付いてない人。
多分知識として把握してるだけ。
で、そういう人の大部分はわかるとは実は知識以上に情緒も必要だということを理解できないからだと思う。

何かことを起こす時にもっとも大事なことは自分でやり方を考えて自分で実際にやること。
基本は全部自分でやって、でもできないところや他人の方が上手いところだけをその人に託す。
でも何かを起こしたくても起こせない人の大半はやり方を他人に委ね、誰かが自分のためにやってくれると思ってる。

今日はラジオ録音してテレビ出演して授業出てクライアント打ち2件して、さて22時から久々のスタッフ会議。
22時からってのが今どき珍しいかつてのテレビ業界時間。
キャスティング会議して演出会議して秋以降の新案件の打ち合わせ。
色々案件を整理して新体制を本格化する。
やりたい人がやればいい。

自分の書きたいことをやっと書き終えたので田中泰延さんの「読みたいことを、書けばいい。」をやっと読む。
読んでの感想はこの本のページ数くらいあるけど、なんていうか自分がいつか書きたいけれど永遠に書けないものの存在を教えてくれた気がする。
でもだからこそ死ぬまで書き続けようと自分に誓う。

読んだことなかった鈴木大拙『日本的霊性』を読む。
これはおもしろい!!
霊性とは精神であり宗教であるところの本来のもの。

山本芳久『トマス・アクィナス 理性と神秘』岩波新書おもしろい!
というか並行して鈴木大拙『日本的霊性』も読んでるんだけど、13Cのヨーロッパでキリスト教ドミニコ修道会のトマスと20Cの日本で禅宗の大拙は実は同じことを言ってる気がする…ってところがたまらなく刺激的。

『ぴったんこカンカン』の安住アナの「大切なお知らせ」の演出。
良い悪い以上に、もうこういう過剰にあおるひっぱりの演出方法がそもそも時代遅れで無意味なんだって、番組のスタッフが無自覚なのがダメだと思う。
知ってるスタッフたちだけに至極残念。
彼らの判断がテレビ業界特有の内向きなのが原因。
安住アナがかわいそうだし、もっと外向きな感覚を持たなきゃ。

今文章をせっせと書いている。
明日までに2本。金曜までに校正1本。来週月曜までに1本。火曜までに1本。水曜までに4本分。木曜までに1本。さらに翌週に続く。。。書くのは大変だけど書きたいことはそれぞれ決まっている。
それはひろのぶさんの言うように「読みたいことを、書けばいい。」からだ。
で、そんな状態なのにツイートしてるのは、決して現実逃避ではなく、自分の書き始め方を模索しているからなのだ。
ツイッターは140字。
この140字に思いの断片をつぶやくことで思考が始まる。
色々揶揄されるけど、僕はツイッターとフェイスブックとnoteがあるから文章を書けてるのは事実だ。

文章を書いてると自分の思考に自分の表現が届かない、言葉が足りてないことを痛感する。
自分の文章をもっとこう読みたいと言う理想はあるのだけれど、自分の文章がそこに追いつかない。
でも追いつかないから、追ってるのかもしれない。
自分は文章を書き始めたのが遅かったから、追い続けるしかない。

おはようございます。
夜疲れたなと思って寝て、よく寝ても、起きてもっと疲れてるって感じの朝と、スッキリ寝れたなって感じの朝とあるけど、この寝る効果の違いというのは心がけとかテクニックでコントロールできるのだろうか?
せっかく寝るんだから後者の方がいいんだけど、最近前者が多い。

今から20年前のADの頃、大事な要件があり物静かな老紳士と会食中のプロデューサーの所に伝えに行ったら酷く嫌がられた。
後で聞いたらその相手がジャニーさんだったからだ。
ジャニーという名前と数々の伝説から思い描いていた印象とあまりに違って驚愕したのを覚えている。ご冥福をお祈りします。

三連休を経験すると三連休っていいなと思う。
(1)本当の身体的精神的休み
(2)仕事以外でやることやる休み
(3)遊びと創造の休み
を体験できる。これ二連休だと足りない。
どれか一つが欠けるからウイークデーのどっかでそれを補うから結局バタバタする。
もう人類は4日/週で働くくらいでいいんじゃないか。

中世の神学者、フランスのサン・ヴィクトル修道院長だったフーゴーの言葉を引用します。
「故郷を甘美に思う者はまだ嘴の黄色い未熟者である。
あらゆる場所を故郷に感じられる者は、すでにかなりの力をたくわえた者である。
だが、全世界を異郷に思う者こそ、完璧な人間である。」

自分は寝てる時そんなに夢を見ないんだけど、時たま見る夢の中で同じ場所が出てくる。
古いアパートの高層階の部屋。
どうやらそこを借りてる。
ベランダから景色を臨む、リビングには本棚が並んでてキッチンもある。
でも起きるとそこは知らない場所だし本当にあるかもわからない。
夢の中だけの記憶。

知的好奇心って何だろう?
今日そんなこと考えてたら、また新しい企画を思いついてしまった。
以前それと似たこと話してた方々にメッセすると、ぜひやりましょうと!その即答は嬉しい!
さて、やる時間あるかな?
でもやってみたい!
そこからまた新しいことが生まれそうだから。
それが知的好奇心だから。

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