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「木工というコトを伝える木工家」ということ

ということになるに至るまでのお話を先日の「木工家ウィークNAGOYA」でのフォーム登壇用のスライドからの引用しながらまとめてみたいと思います…

かるく自己紹介
1968年生まれ(50歳になりました...)
20代は東京でデザイナーとかしながら、自分の手で木のモノをつくりたい、それを仕事にしたいという想いで過ごし、30歳のとき平塚職業技術校の木材工芸科に入学。
修了後、大阪へ戻り1999年「木の工房KAKU」という屋号でオーダー家具の受注制作をはじめる。
このとき、売り場の無い状況でどうやってお客さんと出会うかという問題に、インターネットやネット販売創世記であった状況に乗っかり、自分でサイトを運営して、そこからオーダーがそれなりに受注も入ってくるようになる... が、 いかんせんサイトの運営、メールでのお客さまとのやり取りからの見積もり、デザイン提案、受注、設計、材料仕入 れ、制作、納品(日本全国走れるかぎり自分で走りました)、集金、という一連の仕事をひとりでこなしきれず、様々な問題をひとりで抱え込み、事実上自滅...
従来の工房経営型木工家というスタイルは自分には無理というのと、どうもそうじゃないなと気づき思うことあって「木の工房KAKU」というのをやめてみる。(ちなみに木工家はやめてません…)

そこから暗中模索…いまに至ります…

木工というコト
それでも捨てる神あれば拾う神あり…やめたらやめたで、また違う展開が目の前に下りてくるものです…これまでの外向きの活動からの繋がりで家具屋さんの新事業の工房の立ち上げと運営を業務請負したり、そこのオリジナル家具の開発に関わったり、自分がデザインしたダイニングセットが商品化され、生産地のタイの工場へ立会いにいったり、家具の産地でメーカーの工場をみれたり…またインテリアデザインの専門学校でファニチャーデザインの授業の非常勤講師の依頼があって、まさかの教壇の前に立つことになったり、空き店舗を利用した実験的家具ギャラリーのオーナーになったりと逆に木工を通じての仕事が広がりはじめました…

「つくれる家具」は伝える家具
それと時期を同じくして、杉の貫板(その当時、ホームセンターで普通に買える柱材以外の杉材といえばこれくらいしかなかったんです…)とノコギリやカナヅチといった基本的な大工道具で様々な家具をつくれる「つくれる家具」のシステムを偶然から発見して、これのワークショップが予想外に好評で、様々な場所やいろんな人たちと繋がって、「みんなで伐って、みんなでつくって、みんなで使う」という木材資源の循環を体感したことから、これまでアメリカ産広葉樹を主に使用してきたことから、国内で植林されてきたスギやヒノキといった針葉樹の活用やその促進の必要性も感じ、そこから地域や産地へ関心が向き、新しい関わりも生まれはじめました…

「木工家」であるということ
家具工房というのをやめたとき、またいろんなコトに関わりはじめたころは、なかなかこれが木工家の仕事とは、自分自身でもなかなか確信が得られなかったですし、もちろん周りから理解を得ることも難しく自虐的に「邪道木工家」などと嘯いてきたりもしましたが、どうしても自分は木工を生業にしている、「木でモノ(人がつかう道具)をつくる」ということを心の芯に置いて生きていきたいというだけは譲れなかった(というかそれを無くすと多分空っぽになってしまう…)ということもあり、木工をする個人を総称する概念でもある「木工家」であろうとしているのだと思います。

そして、「木工家」という概念に内包される多様性には、木工というのは産業でもあるので、モノをつくることは勿論だけれど、文化でもあるので、コトを伝えることも含まれ、そもそも木工においては、モノの中にコトは含まれるし、コトはモノがあって意味を持つ訳だから、まあ「木工家」でええやん〜

ってなり、「木工というコトを伝える木工家」ということになりました〜

ひとまず、今日はそんなとこ…

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