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じょーきょーはつねにへんかすーる

今年も予備自衛官としての訓練招集に参加してきた。

訓練は基本的に5日間。駐屯地内で常備自衛官から予備自衛官の任務に必要な訓練を受ける。

あまり知らない方のために補足をすると予備自衛官は、元自衛官と、私のように公募によって志願した公募予備自衛官がおり、公募予備自衛官は、さらに「一般」とそれぞれの専門性を生かした「技能」に分類される。大ベテランも入れば、初心者もいてそれらが駐屯地内で寝食を共にして5日間訓練を行う。

そこに集う人たちは本当に多様で、訓練の合間の会話でもいつも新しい気づきに満ちている。統率された無個性な集団という姿はなくて、それぞれの性格やそれまでの人生が見えてくるのだ。

基本的には民間にいる我々と変わらない。(といっても独特の文化もあるけれど)優秀な人、凡庸な人、優しい人、厳しい人、真面目な人、不真面目な人・・。訓練への思いも考えも人それぞれだ。

自衛隊はそもそもの秘匿性が高いことや、組織の立場上、規律や品位を重んじる必要性から、どうしてもその印象が過度に脚色されてしまうことが多いように感じる。良い方にも悪い方にも。

兵器を扱うという点においては、特殊であってもその本質運用している人間は、一般の社会の我々と変わらないのだ。

民間人は、軍事や安全保証という行為を、自衛隊に託しているだけであって決して別種の人間ではないし、それをどう運用するのかは国民全員に責任がある。

だから「荒っぽい連中が勝手をやっている」という批判も「勇敢な英雄達が守ってくれる」という賞賛もどちらも、シビリアンコントロールを維持する上では、いささか無責任ではないだろうか。

人間は間違える。環境も変化する。正義という価値観も、戦いの形も、世界のありようも、変わってきている。

「状況は常に変化する!」

作戦変更時の常套句ではあるけれど、それを受けて「指揮官が悪い」と先見性や計画性の欠如を叩くだけではなくて、それぞれがどう動くべきか。判断の誤りがあったのならばどうカバーしていくのか。凡庸な人間だからこそ、自己にも他にも過信をせずに、変化に柔軟に対応していかなければ、生き残ってはいけないのではないだろうか。

これは、軍事に限ったことではなくて。

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