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ジャズを諦めるべきか?

音楽の練習をポップスからジャズにシフトしている。

でも練習に身が入らない。やるべきことが多すぎて、何から手をつけていいのか分からないからだと思う。久々の感覚だ。そうだ、これがジャズだった。

昨夜、久々にiReal Proを鳴らして、たまたま目についたBye bye blackbirdを流してみた。テンポを落として。池袋のSomethin’ jazzで初心者ジャズセッションで何回か演奏したことがある曲だ。

でも、ギターを持ったのに、何のカタルシスも得ずに、ストレスと不自由と屈辱を感じるという体験を久しぶりにした。

フレーズもアイディアも何も降りてこない、コードトーンアルペジオをなぞるような演奏、とってつけたようなII-V-Iフレーズ。音を外すテーマ演奏。ワンパターンのバッキング。今まで何年もかけて莫大な時間と労力を割いてきたのに、これか。

ポップスをコピーしているときは楽しかった。歪んだ音をかき鳴らして、8ビートのリズムに乗っていると、一日の仕事の疲れも吹っ飛ぶくらい気持ちよかった。曲のコピーを始めて8ヶ月でステージに上がり、観てくれた人から嬉しい言葉をかけてくれるくらいの演奏ができるまでの完成度に仕上げられた。

なのに、ジャズでのこの有様は一体なんなんだ。過去いろんな人に教わって、いろんな人と練習して、セッションに参加したり、ステージにも上がって、必死にいろんな音源からインプットして、コピーして…ってやってきたのに、アドリブ演奏に挑戦してつまらない、惨めな思いをするだけ、というこの感じは何も変わってないじゃないか。

「ジャズはコスパが悪い」とつくづく感じてしまう。投下したリソースの量に対して、リターンが少なすぎる。きっと僕にはジャズとか、アドリブ演奏というのが向いていないのだ。アドリブができる、できないというのは人の才能によるのかもしれない。もしくは幼少期からたくさんの音楽に触れていたとか、ジャズに親しんでいたとか、遺伝とか、なんかそういうのがあるのだろう。偉大な音楽家でも、全員がアドリブ演奏ができるとは思えない。僕の好きなミュージシャン、尊敬するミュージシャンでもアドリブが苦手そうな人はいる。

冷静に考えれば、損得を考えれば、ジャズは僕にはコスパが悪すぎる。やめたほうがいい。くそ…

そんなことを翌日まで引っ張って、その夜のことだった。

音楽仲間と焼小籠包をつついて、食事をする機会があった。いかにジャズが難しいか、いかに自分が苦しい思いをしているかを打ち明けた。

すると、ある仲間がこんなことを教えてくれた。
彼女はブルーグラスで、やはりアドリブ演奏をしているらしい。でも、彼女もまた当初は自分がアドリブをできるようになるとは思えなかったらしい。一方、楽器を持ってすぐアドリブができるようになる人も目の当たりにしていた。ブルーグラスを10年続けている彼女が、アドリブができるようになったと自覚したのは8年めくらいらしい。今は、演奏中、次の小節でどんなフレーズを弾きたいかイメージがあると。

8年か。僕はまだ8年は経っていないかも(いや、経ってるかも。わかんないw)。

さらに彼女の母は、50歳を超えてからバイオリンを始め当初は聞くに耐えなかったが、今は「うまくなった!」と、その成長ぶりに驚いているという。

これらの彼女の実体験の話は、僕をとても勇気づけてくれた。

ひょっとしたら僕はもう8年経っているかもしれない。8年経ってもできないかもしれない。でも一生懸命頑張ればいつかできる日が来るのかも。

僕の祖母は書道の師範。今では地元の学校などいろんなところから依頼があるほどの腕前だが、「芸事には10年かかる」的なことを言っていたのをよく覚えている。

やっぱり、僕もこのコスパの悪いアートの執念をどうしても断つことができない。本当はポップス、ロックとかに注力した方が賢いのかもしれない。諦めるというのは人生においては必要な行為なのだと思う。でも、やっぱりもう少しジャズを頑張りたい。

アドリブ演奏で、いろんな人と交流してみたい。仕事帰りにふらっとセッションに寄って演奏する日常に憧れがある。

もうちょっとだけ頑張ってみようかな?

いや、僕にサポートだなんて...僕にお金渡されても楽器に使ってしまうので、、、あなたのお金はあなたのために使ってくださいw