応援は難しい
ぼくは、「がんばれよ」と言われることがそんなに好きではない。単純な応援ではなく、どこかに冷笑が含まれた「がんばれよ」は、ちっとも応援になっていないと思うのだ。
それなのに、僕も昨日、友人に対して「がんばれよ」と言いそうになった。
そこに冷笑はなく、どちらかとえば心配という感情がつよくでた「がんばれよ」だ。だけど、言葉が同じであることには変わりない。
ぼくは、途中まで言葉を言いかけたが、ハッと気づいて、「がんばってほしい」と言い直した。
この言葉が、友人にどう伝わったかはわからない。いま、このように文章にして置き換えると、余計なお世話のようにも聞こえる。
誰かを応援するときの言葉は、ちょっとしたことで、応援ではなくなるのだ。