第9期京都ライター塾第5回レポ記事~インタビュー原稿の書き方2~
前回の講座が終わった後。僕たち受講生にはえずさんにインタビューして原稿を書くという課題があった。これまでの要点を意識してインタビューに臨み、なんとか書き上げた原稿。そしてそれを添削していただくことが今回のメインだった。
ほかの受講生と自分の書いたものをそれぞれに添削し、逆に良いところも見つける作業。同じ方にインタビューをしているにもかかわらず、十人十色の原稿がおもしろい。
僕も自身の原稿において推敲をしていたにも関わらず、時間をおいてから改めて見てみることで色々な修正点が見つかった。そしてそれ以上に、えずさんからいただいた添削のリストには、自分ではなかなか気がつくことのできないようなポイントがいくつか散見された。
たとえばところどころで使われる「口語体」。話し言葉で行われたインタビューだからこそ、それを文字へと変換する際には注意が必要だ。「してた」ではなく「していた」にすることや、「っていう」ではなく「という」へ変換させるといった、何気ないところにも注意を払う必要があるということがわかった。
また、なかでも印象的だったものが「ポジティブに言い換える」というもの。えずさんは講座内でこんな例を出して説明してくれた。
これだけでもずいぶんと文字に対する印象や受け取り方が変わるのではないだろうか。おそらく後者の方がより前向きに感じられるはずだ。たとえ同じような意味だとしても、書き方ひとつで印象は大きく変わる。
僕は原稿内で、えずさんの京都に対する想いを聞いて、それを文字にしていたのだが、ここですこしネガティブな言い回しが見られた。
僕の書いた原稿では、京都について語るえずさんがすこし嫌な人に見れてしまってもおかしくはないものだったのだ。それが添削されたものを見ると、そのような印象を抱くことはなかった。
それを可能にするのは想像力と語彙力だろう。取材相手がほんとうに言いたいこと・考えていることを想像する力。そしてそれをポジティブに言い換える語彙力。これらが備わっているからこそ、えずさんは「人の気持ちがわかる文章」が書けているのだと僕は感じた。
そのほかにもえずさんはいくつか商業ライターとして注意するべき点をまとめてくれた。
今回の課題を通して。僕はえずさんが過去の講座内で言っていた「どんな原稿にも心を込める」という言葉について再び考えさせられた。「どんな原稿にも」という言葉、それは「どんな相手にも」と言い換えることができる気がしたのだ。
僕は良い原稿・わかりやすい原稿を求めるあまり、インタビューをさせていただく相手の気持ちを置いてけぼりにしていた。読者がおもしろいと思えれば、わかりやすければという想いが先行し、インタビューをさせていただいたえずさんがその原稿を見てどう思うか思われるかという点をおろそかにしてしまったのだ。
相手がいてこそのインタビュー。その相手に満足してもらうことが次の仕事へと繋がる。決して「そのためだけ」というわけではないが、なかにはその仕事限りの出会いもあるだろう。それでもその取材相手のファンになり、相手のことを考える気持ちが、新たなご縁を運んでくれるのだと思う。
書いた記事は立派な実績となるため、自分のブログなどで公開してみよう。それを見てくれた人から次の依頼がくるかもしれない。そしてそのとき同時に見るかもしれないのが、あなたのプロフィールだろう。
誰に何を知ってもらいたいのか。 どんなことに興味があるのか。自分の関心、趣味、特技などの具体的な項目がプロフィールにあることで、あなたがいったいどのような人物かということがより鮮明になる。
そこに書くことは決して「詳しいこと」ではなくていい。知らないのならば知らない人にしか書けない文章がある。大事なことは「知りたい」と思う気持ちであり、些細なことでもプロフィールには記載していい。
ただしえずさん曰く、媒体によってプロフィールを変えるというのは一つのテクニックだそう。たとえばスポーツ系の媒体ならば自身のスポーツ経験を盛り込んでみたり、映画や音楽系のものならば好きなコンテンツを記載してみれば良い。
残すところライター塾もあと1回だ。これまでの学びを活かすことができれば、以前までは想像することすらできなかった「ライターデビュー」も可能に思えてきた。
これを機にはじめた毎日発信も「楽しい」と思えるようになっている。明らかに僕のなかで「書くこと」に対する変化を感じる。
最後までよろしくお願いします。
浅野凜太郎
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