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75 アメリカへ行くこととおはなしノートのこと 赤塚さんへ


赤塚さん あっという間に十二月。急に寒くなってきましたね。
雷が鳴り出すと雪が降るのかなあと思います。私はいつも初雪の日を楽しみにしているのです。
空から小さな白いものが降り出すと、まるっきり違う世界になるような気がするの。

もうすぐアメリカに行きます。上映会と講演会があるのです。
「しあわせの森」を上映いただけること、なんだか信じられないような気持ちもしています。
村上先生が「世界中の人に、かっこちゃんらしい方法で僕を存分につかってサムシング・グレートを伝えてほしい」と言ってくださったから、世界で上映いただきたいという気持ちが大きいです。だからその一歩だいう気持ちでとってもうれしいのです。

この映画には赤塚さんや出路ちゃん、旅の仲間が出てくださっています。

ある日、赤塚さんが出路ちゃんをモナの森に連れてきてくださいました。そのとき、出路ちゃんはコロナの間、長くお店を開けなかったので、家賃やお給料などで、借金もすごく増えて、本当に心がお辛い時だったのですね。
出路ちゃんは、振り返れば元気になったのは、赤塚さんに連れられて、すごいしんどいときで、だから、イヤで無理やりやったけど、モナの森に来て、「あれが元気になる最初のきっかけだった気がする」って、ステージで言ってくださっていましたね。「『ジャンプ』の歌を歌って元気にちょっとなった」って、「にいちゃん(赤塚さん)わかってたんやな。ここに連れてきたらいいって」っておっしゃっておられました。
モナの森というより、みんなですごす時間がきっと大きなきっかけだったのかもしれないですね。
そのあと、イスラエルに来てくださって、でも「なんか寂しい感じなんだ。今もだけどうーん」っておっしゃっていたのが、モナの森での同窓会で「自分でもびっくりしています。イスラエルの旅で変わった」って。「今はさびしくなくなったんや」って。
そのシーンが映画に出てくるのだけど、赤塚さんたちが出てくださっているシーンは、映画にとって、とても大切なシーンだなあと思うのです。
生きる上で大切なことは何か。村上和雄先生は「細胞も内臓も人間も、自分のことより、人のことを考えるようにできていて、確かに利己的な部分もあるけど、栄えられない」って。つまりそこには本当の幸せはないということだと思います。
赤塚さんは「一番大切なのは友達やっていうことを教えてくれたのは、この人の存在だ」って。「できることがあったら、俺なんでもしよう」って。そしてリカちゃんは、「みんなの大切が自分の大切だ」って。
サムシング・グレートの大切な部分です。
あのイスラエルの旅もトルコの旅も本当にそういう旅でした。
アメリカに行っても、きっとその大切が届くと信じています。だからとっても楽しみです。

赤塚さん、そうそう大ちゃんが「幸せやって思えることが幸せなんや」という詩を作っています。
赤塚さんが
・・・・・・・・・
 かっこちゃん、僕もそう思う。
幸せは、幸せと感じる心があるときに気づけるもの。
だから、「幸せになる」のではなく、いま、ここにあるもの。
幸せとは、「自分は幸せだ」と知ることなんだ。
・・・・・・・・
って書いておられたこととおんなじだと思いました。
最初私は、大ちゃんが言った「幸せやって思えることが幸せなんや」ってどういう意味だろうと思ったのです。私、なんにもわかっていなかったのかな。今も何もわかってないのだろうけど、もっともっとわかってなくて、大ちゃんはいつも不思議なこと言うなあと思ったのを覚えています。そうだよ。しあわせは自分の心が決めるのですね。

赤塚さん、ところで、モナ森出版で「おはなしノート」の販売を始めました。赤塚さんもたくさん買ってくださいましたね。ありがとうございます。うれしい。
この本を作ったきっかけは、宮ぷーが倒れて、ようやく一般病棟に入れたときに、斜め向かいに入院されていたお父さんとの出会いでした。お父さんってお呼びしていたけど、お父さんはたぶん、私や赤塚さんと同じくらいの歳の方でした。ご家族の方が「お父さん」って呼ばれていたので、つい私もそう呼ばせてもらっていました。お父さんは左脳出血のために、言葉が出てこなくて、思いが伝えられずにおられました。
家族の方が来られたときのことでした。
「あーあ、なんにもわからんようになってしまって、なさけないことになって」と奥様がついうっかり言われたときに、お父さんはまるで暴れるようにして、ものを投げて、泣いておられました。お父さんはどんなに不安だったでしょう。そして奥様もまた、どうしていいかわからず、やっぱり不安だったのでしょう。
それから、お父さんがトイレに行きたそうでした。右手、右足が動きにくくて、簡単にはいかれませんでした。ところが、リハビリの先生が来られて、お父さんはたぶん「リハビリの前にトイレに行かなくちゃ」という思いだったのだと思います。首を振ったら、リハビリに行きたくないと勘違いされたようでした。そして看護師さんが呼ばれて、「お父さんどうしてリハビリ行かないの? リハビリは大事よ」と言われていました。お父さんはそのあと、窓の方を向いてしまわれて、本当にお辛そうでした。私も涙が出ました。
それで考えたことがありました。脳の役割で、言語の場所と、絵で理解する場所は別。だから簡単な絵のノートを作ったら、役立つのではないか。ノートのページを四角く区切って、その中に絵を描いて、指でさしてたとえば「トイレに行きたいんだ」というふうに思いを伝えられるようにと簡単なノートを作ってみました。
それをすぐに使ってくださって、ご家族にも病院のみなさんにも、お父さんは思いが伝え合うことができました。私もお手伝いができてうれしかったです。お父さんは何度も私にお礼を言ってくださったけど、私はどうしても我慢ができなかったのです。思いが伝えられないと、人権というか、その人の尊厳まで失われることがあるなあって思うのです。それは、そばで見ていても、すごくつらく悲しいです。だから、私はいつも子供たちと出会ったときに、一番に思いを伝え合えるようになりたいって思います。私のしたいことで、突き動かされることのひとつです。
思いを伝えられないということは、我慢とあきらめの連続なんだと思います。
たとえば外食してレストランに行ったら、お母さんが「この子はカレーライスが好きや」とカレーを選ばれる。好きかもしれないけど、たまにはラーメンが食べたい、今日はラーメンにしたいという日もあると思います。でも、しかたがない、カレーも確かに好きやからって思ったとしたら、私はそれは嫌だなと思うのです。
新しい服はピンクがいいと思ったとしても、「この人に似合うのは黒やから」と上着じゃなくてパンツを買われてしまう。そういうことがずっと起きる。私はそんなんイヤや。絶対にイヤ。こんなところが、私のきかんぼうの極みなのでしょうか?

思いを伝えられないということは、「人権ムシ」やなって思います。
病院のお父さんのような思いをされている方はたくさんおられる。どうしたらいいだろうと思いました。イラストを描かれるお友達にいっぱい力をお借りして、おはなしノートというものを作ったのです。みなさんが案を出してくださいました。そして、まったくの無償で絵を描いてくださったのです。イラストには英語もつけまました。
小さいお子さんも、それから障がいをお持ちの方も、外国の方にも使っていただけるように考えたものなのです。
それでね、赤塚さん
そんなふうにして、作られたのはもう15年前のことです。それは、当時発売された「僕の後ろに道はできる」という本の付録になって、ホームページからも無料でダウンロードできるようにしました。
https://ohanashi-daisuki.com/talk/note/pdf/all.pdf
(「おはなしノートダウンロード」と検索)

けれども、しっかり広がることはできなかったと思います。もっともっと広く使っていただきたい、せっかくみなさんがいっぱい絵を描いてくださったのだから
でも赤塚さん、私たちにはモナ森出版がある! だから本を作れます。
100ページ以上ある本だけど、できるだけ安く作って、多くの人に使っていただけるようにしたいと思いました。やっぱりみんながしあわせで、大好きなことをうれしくしあわせでいたい。
できるかぎり安くと100ページ以上あるのに、500円で作ったのだけど、もっと広まるにはどうしたらいいだろうと考えて、80組限定で、10冊半額セールというのもしてみました。そうしたら、あっという間に、80組、つまり800冊を買っていただけたのです。いつも応援くださってるみなさんが、私と同じように考えてくださって、少しでも誰もが思いを伝え合えるようにと、思い思いのところに寄付したり、プレゼントしたりするために申し込んでくださったのです。
赤塚さんもそうして買ってくださったこと、だからすごくすごくうれしくて感謝しています。

赤塚さんの歌ってくださった「EVEN」が頭の中で繰り返し流れています。そのたびに思い出して涙が出ます。

また聞かせてくださいね。きっとね。

それでは元気にアメリカに行ってきます。
赤塚さん、またね。またね。    かつこ

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