無題

この文章は、私が高校生の時に、中学生の時のことを思い出しながら書いたものに、少しだけ訂正や加筆をしたものである。
あの頃のことを、もう一度思い出してみようと思う。中学生の時、私は絶望を味わった。あれは、間違いなく絶望だったと今になってようやく思う。その時のことを、今もう一度思い出して、ここに書き留めておこうと思う。同情とか、共感とか、そんなものはいらない。ただ、私が所有している記憶を、知っておいて欲しいという思いから、ここに残しておく。



あれは普通の平日の、普通の夜のことだった。確か、夜ご飯を食べる前のことだったから、時間で言うと、7時半くらいのことだっただろうか。サイレンの音が家の近くで鳴り、辺りが急に騒がしくなった。「うるさいな、何があったんだろ」そう呑気に考えていたことを思い出す。しばらくして、Twitterなどで○○が首を吊ったという情報が出回った。私は当時スマートフォンを持っていなかったが、姉が自分のスマートフォンでTwitterを見て、そのことを私に言った。そしてすぐに個人名がインターネット上で公開されていた。サイレンの音はしばらく鳴り止まなかった。母親がひどく動揺していたからか、私は逆に冷静だった。いや、事態を理解していなかったのだろう。ネットの情報なんて嘘だろうと楽観的に捉えていた。ザワザワとした心を抑えながら、眠りについたことを覚えている。


翌朝、私はいつものように登校した。いつものように通学路を歩いていると、学校の近くにある長い、赤く塗装された坂の前でMと会った。Mは私を見ると、目に涙を浮かべながら「嘘やんな?」と言った。私は「分からん」としか言えなかった。Mは私の服の裾を掴みながら、足を引きずるようにして私と登校した。いつもなら、鬱陶しいと手を振り払っているところだろう。けれど、その手が、その足が、震えているのを見て、そんな気になれるはずもなかった。
教室に入ると、私はその雰囲気の異常さに、いよいよ事態を受け止めざるを得なくなった。いつものように騒がしい教室は形を変え、涙や沈黙がいくつかのグループになって連なっていた。
私は静かに自分の席に着き、周りにいる友人と少しだけ話をした。何を話していたかは全く覚えていない。
訳が分からなかった。
私は○○の様子を必死に思い浮かべ、どこにもおかしな様子がなかったことを不思議に思った。最後に喋ったのは一週間以上前のことだったし、○○とは特別親しいというわけでもなかったから、○○のことを深く知っているわけでもなかった。しかし、少なくとも思い詰めた様子は無かったはずだ。○○は同じ小学校に通っていて、私の小学校では一学年につき一クラスしか無かったから、六年間は同じ教室で過ごしていた。そんな人が急に居なくなってしまった。


チャイムの音がこんなにも鮮明に聞こえたのは初めてのことだった。しばらくして担任の教師が教室に入ってきて、暗い顔で教卓の前に立った。そして、体育館に行くから廊下に並ぶように誘導された。みんな、周りを窺うようにゆっくりと立ち上がり、廊下に出た。
誰も喋らない静かな廊下を歩く。いつもは喋る陽気な人も、この時ばかりはその姿を消していて、私は誰も見えなかった。
全員が体育館に集められ、校長が事態を告げた。私は校長の話を聞きながら、ゆっくりと絶望の渦の中に飲み込まれていくのを感じた。じわじわと、校長の言葉を意味を理解して、ゆっくりと涙が溢れた。静かな涙だった。頭が真っ白になっている中で、頭の芯の部分だけがはっきりとしていた。二つだけ事実があった。○○が亡くなったこと。そして、それが自らの意志であったこと。端的な二つの事実は、受け入れるにはあまりにも辛い事実だった。何人かが顔を伏せて体育館から出て行くのを感じた。体育館の外からは、大きな声で泣く女子生徒の声が聞こえた。


なぜ○○が自らの意志で命を絶ったのかについては、校長も話さなかった。警察が調査をしていると言っていたような気がする。マスコミが校外にいて、もしかしたら何か聞かれるかもしれないが、できるだけ何も言わないようにした方がいいということも言われた。


一度教室に戻り、担任が何かを話したあと、すぐに下校することになった。担任は私たちを励ますようなことを、涙を堪えながら言っていたが、私の耳には入ってこなかった。


放課後、Kとkで○○が亡くなったという橋の前まで行った。私は事態がまだ理解できていなかった。理解はしていたが、自分のものになっていなかった感じだった。人が死ぬということがどういうことなのか、感覚が麻痺していたのかもしれないが、周りよりも平気そうに見えたのは確かだった。Kとkに対し、少しだけ冗談みたいなことを言ったような気もするが、それが二人を励ますつもりだったのか、ただ単に事態をまだ理解できていなかったからなのか、今の私は覚えていない。


家に帰ると、母親がいた。「どうやった?」と母親は心配そうな顔で私に言った。私は「ほんまやった」とだけ告げると、すぐに布団に潜った。そして、もう一度私は泣いた。何も考えられなかった。それから夜まで私が起きることはなかった。


私が起きると、夜ご飯を食べる時間になっていた。母親はしきりにその話をした。「学校ではどうだったのか」「変な様子はなかったのか」「周りの人はどうだったのか」「原因は何なのか」
私はもうその話はしたくなかった。誰の声も聞きたくなかったし、誰とも話をしたくなかった。私はそのまま喋ることなくその日を終えた。実に長い一日だった。


原因がいじめであったと知ったのは、次の日だった。私はそれまで家庭環境なのかなと考えていたから、非常に驚いた。しかし、私はこの情報もまた信じることは出来なかった。確信的な情報はどこにもなかったし、私自身学校にあるいじめを認識していなかったこともあった。そのうちに誰がやったとか、何がきっかけで、とかいう話も徐々に広がっていき、インターネット上にも実名が出されるようになっていた。
けれど、それも確かなことじゃなくて、あくまで噂の域を出なかった。詳しいことについては警察が捜査を進めていくと校長から言われたきり、表立って進展はなかった。そりゃそうだろう。犯人が分かったとして、公に発表するはずがない。加害者はまだ中学生で、個人情報は守られる。詳しいことが分かるまでにはしばらくの時間が必要で、その頃には彼女の話をすること自体がタブーのような雰囲気になっていて、全てが曖昧のまま、有耶無耶になった。その間、教育委員会がいじめを隠蔽しようとしたという話や、○○の担任がいじめを見て見ぬふりをしたという「噂」も、詳しくは発表されず、後には自殺したという事実だけが残った。その後のことに関しては、私も知らない。○○の葬式については、特に親しかった人たちのみで行われたと聞いた。私は呼ばれなかったから、結局私は部外者でしかなかったのだろう。事の真相を知ることすらできないくらい、どうしようもなく、私は部外者でしかなかった。


噂とはいえ、なんとなくその空気からそれが真実なのだという雰囲気は伝わった。さすがに私も事態の真相についてなんとなく予想がつくようになってしまっていた。幸いというか、その加害者は私と直接関わりのあった人物というわけでもなかったし、数回喋ったことがあるかもしれないくらいの仲だった。けれど、同じ学校の中でそういうことがあったということ自体がショックだったし、それまで私はその学校であからさまないじめを目撃したことは無かったから、ひどく動揺した。それに、加害者はあくまで噂程度のもので、もちろんだけど学校から発表もなかったから、実際にどれだけの人数が関わっていて、誰がどのように何をしたのかという詳細なことは何も明かされなかった。だから、身近にいる人がもしかしたら、という思いは当時の私にもあって、不安だった。
私は、いじめがあったという事実に気が付けなかった自分を恥じたし、勝手に罪悪感みたいなものも抱いていた。


そこから数日かけて、学校の雰囲気は少しずつ元に戻っていった。私の気持ちに整理がつくよりも早く、みんなが元に戻っていくのを見ていた。もう受験が近づいていた。みんな自分の人生のことで精一杯なのだ。自分がどの高校を受けて、どういう人生を歩んでいくのかを真剣に考え始めていた。私は、高校なんてどこでもいいと思っていた。どうでも良いだろ。大事なのはそこで何をするかだ。別に何をするでもない私がどこに行ったって変わらないだろ。そう思って、志望していた高校よりも一つ学力の低い高校を選んだ。正直、どっちでも良かった。学力の高い高校を志望していれば、やる気があって頑張ろうとしている生徒として見られるし、先生も安心するだろうと思ってそうしていただけだ。


少しずつ日々は元通りになっていった。その間、生徒会として文化祭の劇をやったり、学校のテストを受けたり、入試があったり、すぐに忙しくなった。


なんとなく実感もないまま、卒業式を迎えた。卒業式では、○○と仲の良かった生徒会長が○○の写真を持ってスピーチをした。感動的だった。そのあと、ふざけた返事をする人たちがいて、あ、もう駄目だなと思った。
そいつは、いじめの主犯格として広まっていた人物ではなかったが、実際はどうなのかは全く分からない。ふざけた挨拶をした瞬間、ほとんどの人間は絶句していたが、「こいつ何やっとるねん」とからかうように笑う人間も何人かいた。私はそれが例え嘲笑であっても許せなかった。あの場では怒号が飛び交うべきだった。私はそいつをぶん殴ってやろうかと思った。卒業式なんて無視して、ここから出ていってやろうかと思った。しかし、私はどちらもすることができなかった。今でも、そうするべきだったと後悔している。1人だけでも、その行為を強く否定する者が現れる必要があった。誰かが、ちゃんと意思表明をしなければならなかった。それは絶対にやってはいけないことだったのだと、まだ精神年齢の低い奴らに教えてやる必要があった。けれど、結局私は何もできず、そのまま卒業式は終わっていった。


あの卒業式の日は、色々な感情が混ざり合っていて、言葉にすることは難しい。素敵な場面もたくさんあって、けれど、残念な場面だって相応にあった。一概に良い日とは言えないし、悪い日とも言えない。そのまま卒業を迎えて、仲のいい人たち以外と会うことはもう無くなった。


あの頃はまだ事態の最中にいたから、実感が湧いていなかったのだろう。けれど、高校生になって、あの頃の異常さを思い返してみると、未だに胸が苦しくなる。先ほども書いたが、私と○○はそこまで深い関係にあった訳ではない。けれど、○○が死んだときに、死んだあとに流れた学校の空気がどうにも忘れられない。気持ちの悪い、澱んだ空間で過ごした日々のことを、どうにも忘れられないままでいる。


あれは、異常な出来事だった。そのことに気が付き始める頃にはもうみんな気持ちの整理がついていて、その話をすることは無くなっていた。まるで無かったかのように。こうやって死んだ人間は忘れられていくんだなと思った。


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