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「いつまでもドリンクバーでワクワクできる人間でありたい」2022年6月30日の日記

朝から気分が乗らず、大学を休むことにした。木曜に休むのは初めてのことだから、多分大丈夫だ。みんなは真似しないようにね。

父親が退院して昼頃に家に帰ってきた。手術をしたようで、足の付け根にはかなり手術痕が残っていた。内出血のようになっているが、時間が経つと自然と治るらしい。

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まだ足が痛いらしいので、父親のお昼を買いに近くのスーパーに行く。
私の昼ごはんも買おうと思ったが、特に欲しいものがなかったため、アイスを2つ買った。普段は買わないような珍しい攻めたアイスを買えたので満足。

昼ごはんを食べて、ファミレスに行く。暑いのでクーラーのよく効いた場所で読書でもしようという感じ。

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途中で隣に座ってきた家族の会話が面白かった。
子どもがコップから上手くジュースを飲めないらしく、子どもの祖父がどうやったら上手く飲めるのかを教えていた。
「コップをこうやってゆっくりと傾けて、口に入れるんよ」と祖父の方が丁寧に教えていると、子どもがその動きを真似しながら、
「じいちゃんめっちゃ頭使ってる」と呟いた。

普通の認識だと、コップからジュースを飲むのに頭は使わない。けれど、それが当たり前にできない子どもがいて、その人からしたら「頭使っている」ように見えるというのが、どうにも面白かった。思ってもないところに「当たり前にできていることが他人からすれば当たり前じゃない」というのが隠されていて、ハッとさせられた。


私の右隣に座っていた女性が任天堂Switchでひたすらスプラトゥーンをやっていた。
私が本を読んでいる間も、YouTubeを見ている間も、こうして文章を書いている間も。
たまにぶつぶつと何かを呟いている。「あ、アメフラシ。」という声だけが聞こえた。私はその言葉には心当たりがあったから、思わずニヤリとしてしまった。

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メロンソーダをたくさん飲んだ。たくさん飲んで、たくさんトイレに行った。
自分の尿を見ると、驚くほど透明だった。そこにメロンソーダの面影は無く、じゃあメロンソーダの緑はまだ自分の体内に残っているのだろうかと思った。このままメロンソーダを飲み続ければ、体は緑に染まるのかもしれない。

ファミレスに4時間くらいいただろうか。流石に疲れてきたし、憂鬱さが極まってきた。非現実的な場所が現実になりつつある。もうここから立ち去らなければならないんだなと実感する。ドリンクバーを体内で循環させる時間ももう終わりだ。色の濃い、あからさまに体の悪そうな飲み物を摂取していると、自分でも分かるくらい体調が悪くなっていく。
最初は宝石のような輝きをもたらしてくれた飲み物も、飲み続ければ気味の悪い液体でしかなくなる。

「そろそろ潮時だな」

そんなことを思って退店した。
会計は、383円だった。

適当に書いた文章。

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黄色いてんとう虫がいたので逃してあげた。


我が家は家に一台しかクーラーが無いので、クーラーをつけるとみんながリビングに集まるようになる。光に集まる虫みたいだ。

リビングには布団が置いていないので、必然的に座るようになり、勉強時間が増えたような気がする。座ってじっくりスマホを見るというのはなんとなく違う気がするのだ。ダラダラしている=スマホを見ている、ちゃんと座っている=勉強するという体と脳との繋がりが形成されているため、座ることしかできない状況を作ることによって勉強時間を生み出すことができる。

という言い訳でクーラーをつけてもらおうという試み。

というか、一台しかクーラーが無い家もまあ珍しいだろうな。各部屋に付いている家庭だって多い中、うちは自分の部屋がない、クーラーはリビングにしかついていない、2階建てだが完全別2世帯により2階に6人住んでいる、2人寝れる広い寝室に父親が1人で寝ているという狂いよう。ちなみに、もっとたくさん異常なところがあります。
こういう話、いつか飲み会とかで言ったら盛り上がるんだろうか。盛り上がれるように色々とエピソード用意しとくか。

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