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「なんにもない、なんでもない」2023年10月24日の日記

最近はやることが多くてバタバタとしている。「やらなければならないこと」というよりは「やりたいこと」に近いやつが多いのでハッピーな忙しさではあるのだが。この忙しさを一回生の私に分配してあげたい。

とりあえず読みたい本(宇佐見りん「かか」、村田沙耶香「信仰」など......)があるのと、見たいアニメ(「サマータイムレンダ」、これに関しては今週の土日に友人と友ヶ島で聖地巡礼をするので、今週までに全て見ておきたい)
があるのと、新幹線の予約(就職先の関係で一度東京に行くので)をしなければいけないのと、就職先について学んでおかないといけないこと(資料を読み込んでおかないといけないのです)、やらなければならない卒論(やれやれ......)がある。


今日は歯医者に行く日だったので、かなり憂鬱になりながら家を出た。
途中で診察券を家に忘れていたことに気がつき、慌てて家に戻るもバスに乗り遅れ、ちょうど仕事から帰ってきた母親に車で送ってもらう羽目になった。やれやれ。




そして虫歯は無かった!!!!!!!!



やったー!!!!!!!!



私の日記を長らく読んでいる人は分かるかもしれないが、私はこれまで歯医者に行くたびに虫歯を指摘されてきた。前回歯医者に行ったのが半年前くらいで、そこからずっと歯を気にしてきて、ちゃんと結果が出た。毎日のようにマウスウォッシュを使い、長時間かけて歯を磨き、さらにフロスで歯の間を掃除し、親知らずを磨く用の歯ブラシで奥まで磨いていたから、ちゃんと努力が実って嬉しい。

昨日これを読んだ。個人的にはあんまり刺さらなくて、昨日からその理由をずっと考えているのだが、いまだによく分かっていない。
結構絶賛している声の方が大きい印象があるので余計に理由を考えたいのだが、うーん。

分かりやすくハッピーエンドなのが気に食わないのかしら。私はこの世界にハッピーエンドはないと思っているタイプなので、主人公のこういう「開き直り」は嘘に感じられちゃう。まあ、嘘でも本人がそう思い込んで幸せなら良いんだけど、「どうせ苦しいのが変わらないのならやりたいことをやろう!」という心境の変化は、やっぱりどうしても欺瞞に感じられちゃう。そんな簡単に開き直れるわけなくない?と私なんかは思っちゃう。捻くれすぎ?

主人公の「何か原因があるわけではないけどしんどい」部分は理解できるのだが、結局過呼吸という分かりやすい「しんどさ」が持ち込まれているんじゃないのかという疑問は残る。誰にでもわかるような"なにか"の中に過呼吸が含まれてはいないのか。
というか因果が逆?なんにもないけどしんどい→誰でもわかるような"なにか"がなきゃ苦しんじゃいけないの?という疑問→分かりやすいしんどさが欲しいという心理→過呼吸になる、的な流れか。
でも、過呼吸の要素って物語の中で邪魔になっているような気がしてならないんだけどな。過呼吸は「私」が苦しんでいることを分かりやすく伝える効果があるし、演出的な面でも優れている(生きにくい=息ができない)が、それによって「私」の苦しんでいる理由が過呼吸という原因になってしまうような気がする。

教訓というか、教育的な視点が組み込まれているのも気に入らないのかも。
この作品における最終的なメッセージって、「しんどいことは変わらないんだから開き直って前を向いて、やりたいことをやればいいじゃん!」というものなのだと思うのだが、結局そのメッセージに惹かれなかったのだろう。合わなかったという一言に尽きる。

珍しく悪口みたいに書いてしまったが、思ったことを書くのが日記という場なので、仕方ないです。肯定ばかりしていても嘘になっちゃうからね。

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