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「歯磨きをしている時が1番暑い」2022年8月22日の日記

昨日父親が作っていて残っていたカレーを昼、夜に一生懸命食べた。私は家にある腐りそうなものや余り物をさらえるという役割があり、不本意ながらせっせこと食べている。

兄が「5等分の花嫁」の漫画を買ったらしく、机の上に全巻置いてあったので、勝手に借りて読み進めた。こういうことをしても全く怒らないのが兄である。私なら一声かけて欲しいと思うが、その部分において私の兄は非常に寛容である。
アニメは2期の途中くらいで見るのをやめてしまっていたが、漫画で読むとアニメで見るよりも面白いと感じる。どうやら伏線とかがかなりあるらしいが、その辺はそこまで詳しく読んでいない。

そんでもって夜にはもう読み終えた。いや〜良かった良かった。割と重たい展開もあったが、最後は一応すっきりと終わった感じがした。それぞれのキャラクターを描くのが本当に上手いなという印象。


暇だったので、ギターでオリジナル曲を作った。なかなか良い感じにできている。
過去に何曲か作ってきたが(完成していないものも含めたら8曲くらいある)今回は2番目くらいに良い感じの曲ができそう。


「肘が痛い」と姉が言うので、見ると、赤くなっていた。「2700しすぎた?」と私がボケたら、近くにいた兄が「え?壁に向かってやってた?」とさらに私に対してツッコんだ。


日記というのは良い。普段話しているだけじゃ分からない、その人の違う面が見れる。日記なんて心の声がダダ漏れだし、喋らないような言葉がポロッと日記に出てきたりする。私の好きな人全員が日記を書いてくれれば良いのに。

私には、考えたこととか、感じたことをできるだけ全部外に出しておきたいみたいな欲求がある。これはほとんど病気みたいなもので、小学生の頃からずっと日記を続けているのも、その特殊な癖があるせいだ。日記を続けていることにある程度誇りのようなものは感じているが、決して続けているから偉いとか、そういうことではない。書き記さなくても、覚えておかなくても、毎日は同じように人々の前に訪れるし、同じように死ぬのだ。そこに優劣などない。


父親が、姉の影響で「ハイキュー」というアニメを見始めて、夜の間ずっと見ていた。
母親のポケモンGO好きにしてもそうだが、父親や母親を見ていると、コンテンツに対して実に真摯に向き合っているという感じがする。私の父親も母親も趣味などは特にないような人間だからそう感じるのかもしれないが、1つのコンテンツに対して熱心というか......。分かりますかね、この感覚。上手く言語化できないのがもどかしいのだけど、最近の人はたくさんのコンテンツを軽く触って違うものに移るのに対し、少し上の世代の人はペタペタと撫でるようにコンテンツに向き合っているという感じがする。あくまで感覚に過ぎないのだが。


今日は写真撮ってないです。

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