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「読書とラジオは両立しない」2023年6月18日の日記

午前中はラジオを聴きながら本を読んだ。
ラジオと読書は両立できないことに気付く。読書に集中していたらラジオの話題を聞き逃し、ラジオに集中していたら小説の内容が入らないままにページをめくってしまい、どちらもよく分からなくなってしまった。


昨日、母親が応募した懸賞でかき氷機が当たったため、我が家に電動の、そしてそれなりに高いかき氷機が導入された。去年までは手動の安いものしかなく、毎回食べる前に汗をかくという愚かなことをしていたので、今年からはスマートにかき氷が食べられそうだ。

早速作ってみた。
このかき氷機は氷の粗さを調節できるらしく、私は細かい方に調節してみた。家で作ると大体は粗っぽい氷の粒になることが多いが、今回はちゃんとふわふわで雪のようなかき氷ができた。これは凄いぞ。美味い。
ブルーハワイに練乳もかけて、まだ午前中で暑くないというのに涼しくなった。

昼に姉と母親がパン屋に行くというので便乗してついて行った。

色々と買ったが、このカシューナッツが入ったパンが特に美味しかった。ザクザクとしたパンの生地と、カシューナッツの食感がよく合う。


「くるまの娘」を今少しずつ読み進めている。前回読んだ時よりもかなりじっくり丁寧に読み進めているが、胸が詰まる感覚がずっとある。

「くるまの娘」と並行して、川上未映子の「発光地帯」という本も読んでいる。私は本を何冊か同時並行で読むということを割とよくしていて、今はこの2冊と卒論関係の本の3冊を並行して読んでいる。それぞれ「小説」「エッセイ」「論文」なので、混同することもないし、その時の気分で読む本を変えられるから良い。

十四歳のときに曲線を走るバスから顔を出して、町は白くて、ああもうぜんぶのことに感想を持つのをやめればいいのだつまり生きる生きられる生きてゆくための方法はたったそれだけなのだと気づいたときに、これはとんでもない発見だと思って思って安心して、そのまま殴られたように眠ったことを思いだす。なんて静かなんだろう、なんて静かなんだろうと、眠りながらとても思って。

p16

私は小学6年生くらいの時にこういうことを漠然と考えたことがある。いや、当時はそういった感覚を全然言語化できていなかったから、考えたことがある「かもしれない」くらいに留めておくが、その時にそう思って、思えば今もずっとそういう考えがうっすらと底の方を漂っている。けれど、それでは駄目だと不思議と思う。安心はしない、むしろ、不安になる。感想を持つのをやめた瞬間、私はぽっかりと死んでしまうような気がする。筆者とは逆だ、と思った。

全体を通してかなり自由に文章を書いているように思えたが、リズムも良くて、素敵な言葉ばかりだった。

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