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「蝉はひっくり返って死ぬ」2022年7月20日の日記

この人のnoteを1週間前くらいから読んでいて、とても面白い。もともと子育て日記みたいなものは割と好きなんだけど、これは筆者の感性が面白くて、日常的な出来事を書いているだけなのに、捉え方とか書き方でずいぶん印象が変わるものだなと思った。自分とは全く違った日常だから、いちいち面白い。和むね〜。

読んでいると、筆者の感想とか気持ちが意外と書かれていないことに気付く。子どもの発言とその答えを書いているだけのところも多くて、「面白かった」や「楽しかった」などの感情が意外と描かれていない。この意外と、というのは、それが実に楽しそうに読めるからだ。


息子が「からし……だっけ? わさびだっけ?」と言うが寿司なのでわさびのことだろう。食後にキャラメルを白いつつみ紙ごと食べてしまって出していて、ボンタンアメのようなオブラートだと思ったらしい。小学校を卒業してもまだ知らないことが多い。
小学校最後の通信簿が息子にしては大変な好成績で嬉しいことなのにもやもやし、なぜか考えたがそれは卒業してしまうのがもったいないという心象だろう。
物持ちよく使った手提げが玄関に置いてある。小学生らしいちょっとかわいい柄で、上手に使ってまだ使えるが息子はきっともう使わない。小学生だから使っていたのだ。ここに真の卒業があるなと思った。実感があった。

この辺りは特に。どちらかと言うと淡々としていて冷めたような文体だが、流れている世界は実に穏やかだ。気持ちを書かないという「良さ」もあるのかという発見。

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昼にフライドポテトを作ってみた。
ジャガイモを細く切って、軽くレンジでチンをしてから片栗粉と小麦粉を混ぜたものをまぶして揚げる。
美味しかったのは間違いないのだけれど、いまいちサクサクにならなかった。どうしたらいいんだろう。

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ポテトと一緒にピザを食べた。これでデブの飯は完成する。あとはコーラがあれば完璧だったが、あいにく無かったので、コーヒーを飲んだ。

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一度ピザをカットせずに食べてみたかったので、やってみたのだが、食いにくいですね、これ。
ピザは1人で食べる時もカットしたほうがいいということが分かった。
あと、カットした時は中心から食べていき、最後にピザの耳の部分を食べるのだが、カットせずに食べる時は先にピザの耳を食べなければならないということを発見した。


自転車で道路を走っていると、初心者マークと老人マークを両方付けた車がいた。
多分初心者の人と老人が同じ車を使っているからずっと貼りっぱなしになっているということだろうが、案の定運転は不安定だった。

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昨日、ここから少し離れた場所で走る電車に飛び込んで死んだ人がいた。
その影響で電車はストップし、父親と姉は本来帰れるはずの時間よりも数十分遅い時間に帰宅した。
家族でも、その出来事に対して「可哀想」「よりによって電車に飛び込んで死ななくてもいいだろ」「迷惑だ」「ホームに柵をつけた方がいい」「この社会が悪い」などと色々な意見が出た。私はその話を聞きながら、なんとなく違うことを考えていた。

電車は一時運休したが、3時間ほどで完全に元通りになったらしい。私は、その事実がやけに恐ろしく感じられた。
人が電車に飛び込んで死んだというのに、3時間もすれば何事もなかったかのようにリセットされてしまうという事実。
3時間の間に血は洗い流され、死体は片付けられ、その上には新しく電車が走る。
そういう風景が、あまりにも無機質で、システム的な気がして少し恐ろしかった。
1日経ってしまえばもう完全に元に戻っていて、1週間もすればほとんどの人がその出来事すら忘れてしまうという冷酷な事実。


この前、弟とスプラトゥーンをしながら、私がぼそっと「おみやげみっつ、たこみっつ」と呟いたら、「懐かし!」と弟に言われて、そのまま「おおかみこどもの雨と雪」の話になった。
こういうシーンあったよねみたいな感じで覚えている記憶をお互いに漁って言っていくのがなかなか面白かった。
私が「ななめってる〜」と言うと、「誰がそこ覚えてるねん」と弟にツッコまれた。私、この場面好きなんだけどな。

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