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「あたしンち考」2022年8月19日の日記

午前中は、気まぐれで鑑賞にいくつか応募した。川柳やら写真やらを何通か送った。9月とか10月に発表らしい。当たると良いけど。

昨日、これを全部見ると言っておきながら、途中で眠たくなってしまったので、翌日に持ち越した。今日1日かけで全部見終わった。ところどころ飛ばしたとはいえ、かなりの量だ。印象に残った話の感想を書いていこうかな。

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その前にここ懐かしすぎないですか!?この映像だけ妙に覚えてる。


304話「母、百円ショップにはまるっ」では百円という安さにどんどんと惹かれていき、ついいらないものも買ってしまう母の様子が面白おかしく描かれている。圧倒的にリアルでありながら、少し怖さみたいなものもあるなというのを感じた。百円という宗教にハマっていくような恐ろしさを勝手に感じてしまった。

309話「母、夜の体験!」でも、安くなった食品をついつい買いすぎてしまったというオチだが、どこか不安になってしまった自分がいた。安さに振り回されている母の姿が不憫に思えてしまう。こういう作品でないことは分かっているんだけど、なんとなくそう捉えてしまった。けれど、他の作品ではこういうことを思うことはないだろうなという確信がある。それだけリアリティがあるのだ。

352話「母、風邪で寝込む」は、母親が風邪をひくという話。風邪をひいて寝ているのだけど、家のことが色々気になってしまう母の様子がユーモラスに描かれている。
「あたしンち」の中では、子どもたちはある程度成長し、家の中で一人で暮らすことができるようになっている。普段自分がやっている家事は、もう子どもたちにもできるようになっていて、風邪をひいて自分が動かなくてもある程度家での生活は上手く回っていく。この話では、ただ風邪をひいているのについ家事をやってしまうという面白さが描かれているだけではなくて、自分の母親としてのアイデンティティの喪失と焦りや不安のようなものも同時に描かれている。


「あたしンち」における家庭環境は決して円満ではない。フィクションとは思えないほどリアルで、それぞれに欠けているところがある。けれど、家族というのはそんなものだよな、という納得がそこにはある。
家族の「絆」とか「愛」とか、そういうのはフィクションとして感動があるし、分かりやすいけれど、実際の家族というのはそんなに分かりやすいものではない。

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夜は母親が料理をしない感じだったので、代わりに私が作った。

鶏肉とインゲン豆を炒め、マスタードとハチミツ、醤油で味付けした。なかなか美味い。
レシピを見て、何を入れるかと調味料の大体の割合だけをある程度確認した後は全て勘で作ったのだが、案外うまくいった。
あとは、ピーマンとツナを和えてごま油と鶏ガラで味付けしたものも作った。ピーマンは軽く炒めてから味付けすると美味しい。


最近はこうして私が料理をすることも増えてきた。母親の代わりに色々とやっていると、母親という仕事がいかに報われないかを実感する。色々なことを考えて、母親という仕事がすごく不憫なものであると感じる。もし将来的に私が父親となり、母親となる人物が近くにいる状況になった場合、私はちゃんと自分の妻であり母親である人を労ってやらねばな、と思う。もちろん、今は自分の母親を労わなければならない。現時点で引きこもりのニート(大学生ではあるけれど)のできることといったら、それくらいしかない。

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