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「人のために梨を切る年齢になった」2022年10月13日の日記

二限受けながら考えていたこと。

最近、「なんで頑張って生きておじさんにならなきゃならんのだ」と思う。どんどん醜くなっていくの嫌だろ。
徐々に若く、元気になっていって、最高潮の時に寿命がくる、みたいな人間の仕組みだったら良いのにな。そしたら人生がどんどん良くなってくる感触をちゃんと味わえるし、成長していく自分を感じられて、向上心を持って望めるのでは。

考えれば考えるほどに死んだほうが良いという結論に達してしまい、でも死にたくないしなという気持ちに押し返される。死にたくないと思った人ばかりとしか触れ合えないのが不思議だ。この世界には様々な対立があって、色々な価値観があるが、みんな生きたいという欲望と生きているという事実だけは一致している。死んだ人とは話せないし、触れ合えない。人間は死んだほうがいいとか、死んだほうがマシだというような価値観を持っている人はもうこの世界には存在していなくて、直に触れ合うことはできないのだなと不思議に思う。



三限の講義は、ゼミで一緒の人と受けているので、昼を一緒に食べた。その友人が、「〇〇先生(ゼミの先生)最近乳首浮いてるよな」と言ってきたので、「知らんがな、人の乳首そんな見んやろ」と言った。友人が続けて、「寒くなってきたんかな」と言うので、「人の乳首で季節を感じるな」とツッコんだ。

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大学の図書館で軽く作業した後、家に帰る。
祭りはもうやっておらず、神社には人が誰もいなかった。祭りがなければ、この神社には人がほとんどいない。


母親の帰りが遅い日だったので、皿洗いなどの家事をやる。料理は父親が作ってくれた。前回作ってくれた春雨とわかめのサラダを今回も作っていたが、前回そのサラダは家族全員に軒並み不評だったのだが、気を遣って言わずにいたところ、今回も作ってしまったので、渋々「皆さまから不評なのでもう作るのはご勘弁を.....」と伝えた。父も残念そうにしており、申し訳ないが美味しくないのだよ。

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美味しい梨が野菜室にまだ残っていたので、「そうだ、仕事終わりで疲れているであろう母親に剥いておいてあげよう」と思い立ち、梨を剥き、そのうちのいくつかを食べた。
美味しいものを誰かと分け合って食べようと思った瞬間が、大人になったなと思う瞬間の一種である。

夜、弟とゲームをしていると、母親がスマホの操作で分からないことがあるから教えて欲しいと部屋に来た。手が離せなかったので、試しに言葉で説明してくれと頼んだが、母親の説明が下手で伝わらず、しばらく待ってもらうことになった。母親は、「ごめんね、言葉力がないから.....」と謝り、私がすぐさま「言葉力ってなんだ、謝罪すら語彙力がない」と指摘して3人で笑った。

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