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「すするという食べ方」2022年8月27日の日記

昼に素麺を食べた。
素麺はいくらでも食べられる気がする。素麺の場合、どこまで食べればお腹がいっぱいになるのかという感覚が無い。つい食べ過ぎてしまい、容量がオーバーした(吐いたという意味ではない)。

「麺」という食べ物の種類は面白い。麺は「すする」ことによって口の中に入れるが、他の食べ物にこういった動きは見られない。麺が開発されてから、すするという食べ方ができたのか、それともすするという食べ方が先にあって、それを最適化した食べ物として麺が生まれたのか。



弟がリゼロの2期を見ていたので一緒に見た。2期はあまり整理して見れていないのでもう一度考えながら見た。
リゼロは登場人物が多いながら、かなり個性的にキャラクターが作られているので覚えやすい。元々はライトノベル作品で、文字での表現だったこともあり、語尾や喋り方にかなり癖のあるキャラクターが多いため、その辺で混同しないから分かりやすいな。

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「五等分の花嫁」のキャラクターブックをそれぞれ読んだ。改めて見ると、この作品はどのキャラクターもかなり作り込まれていて、ちゃんと個性があるのが良いな。


特に書くこともないので、メモ帳に書いていたやつを載せておく。

・私の中学は2つの小学校に通っていた人たちが集まるところで、中学に入ると、違う小学校に通っていた人たちと話すようになった。
小学校が違えば文化もかなり異なっていて、例えば、私の小学校では異性の名前を苗字で呼ぶことが多かったのに対し、もう一つの小学校では、下の名前で呼ぶことが多かった。女子から下の名前で呼ばれることが多くなり、最初は慌てたものだった。

最近ふと思い出したのが、もう一つの小学校の人たちは、小学生の頃にスーパーで飲み物を買う時、しばらくアイスのところに置いて公園に遊びに行き、シャリシャリになったくらいに戻ってきて買っていたらしく、その話を聞いた時には文化の違いにえらく驚いたものだった。
飲み物をアイスのところに置いておくのは、マナー的に言えばあまりよくない行為だろう。しかし、その発想は私には無かったものだったし、その当時の私はその文化を羨ましいと思った。

・大人になると、喋ることがたくさんあるなと思った。学生時代は(と言っても今も一応学生なんだけど)喋ることがあんまり無くて、自分は話すの下手だなと思うことが多かったのだけれど、今はまだマシになった。

高校までは、良くも悪くも似た境遇の人ばかりが集まって友人関係が形成されていった。同じような偏差値で、同じような環境で生活していて、部活も同じ。そんなの、何話していいか分からないじゃん?まあ、それなりに上手くはやっていたのだけれど、どこかでふっとスイッチが切れちゃうことがやはりあって、もごもごと1人落ち込むことがたびたびあった。

今は、会う人会う人が違う環境で生活しすぎているから、とりあえず現状の確認とかをしておけばそれなりに話は続くし、基本的に人の話を聞くのは苦じゃないから、楽しくやれる。学生時代って、何か質問するたびに、「自分の、その人への無知」を曝け出しているような気がして、親しい人ほど聞きづらくなったりしていたのだけれど、今ではそういうことも無くなって、程よい距離感というのは自分にとって大事なんだろうなと思う。



明日はスプラトゥーン3の前夜祭があるため、朝の9時からゲームする生活になりそうだ。楽しみだな。

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