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「未来を繋ぐ一歩」の1年に。

修士論文の執筆に追われて、気がつけば学生でいられる日も90日を切っている。
春から始まる社会人生活に向けた諸々だけでなく、いろいろな引継ぎをどうするか考えなければいけない。とはいえ、修了に向けたあれこれが落ち着くにはもう少し時間がかかるのも事実。2月・3月にバタバタと引き継ぐのだろうけど、そもそも何を引き継がないといけないのかを棚卸するところからスタートだろう。

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修士論文の初稿を大晦日に仕上げて、正月三が日だけは久々にゆっくりできた。3日も休むと調子が狂いそうだったから、1月2日から軽めに研究初めはしていたけれども…。
1月2日の晩、ドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」のこの一言に考えさせられた。

「誰が休んでも仕事が回る。帰ってこられる環境を普段から作っておくこと。それが職場におけるリスク管理」

ひとりひとりにテーマが与えられている研究に漬かっていると、「誰かが休んで代わりに」という発想があまりない。研究の背景や到達目標としてチームを組んでいるケースは確かにあるけれども、進捗も成果も生み出すのはあくまで自分次第。「代わりはいくらでもいる」は、いい意味でも悪い意味でも、研究の世界ではあまり聞かない。

研究室運営のいろいろ(事務手続、ゼミ準備、掃除・ごみ捨て etc)はそんなことは言っていられないのだが、学生でやっていることはどうしても属人的になるし、問題意識が強い人や共同体への貢献意欲の高い人の集中しがちであることも、また事実なのではなかろうか。
ふとしたときに「なんで自分だけこんなにやっているんだ…?」と気づかされるのだが、研究活動に漬かっていて、なんとなく研究室運営がうまく回っているときには忘れている

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研究室外でも、自分がもつパーソナリティと能力に期待されて任されてきたことは決して少なくない。それ自体はとてもありがたいことなのだが、後輩学生たちといっしょに取り組んでいるときや、卒業時期までのスケジュール・工程表を考えているときに、「自分がいなくなったらどうするんだろう…」と不安になることが最近多い。
「ちゃんと引継ぎをすればいい」と言ってしまえばそれまでなのだが、プロセスやデータをすべて伝えておけば次の人が卒なくこなせるものではなくて、人間が感情と能力で生きている以上、モチベーション的な要素によって、前任がいなくなった瞬間にうまくいかなくなることは経験的にわかっている。

自分自身が活躍すべきフィールドをいくつか転々としてきて、その度に引継ぎをしてきたけれども、学生であって大学にいることは変わらなかったから、引継ぎ期間を終えたあとでもフォローすることができていた。だけど、今度はそうするわけにはいかない。

通常、引継ぎをするとなれば、経験多様な人から、これから経験を積んでいく人に行われるもの。だから難しい。

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2021年の個人的なテーマは「未来を繋ぐ一歩」。
テーマに据えた理由は主に3つ。
1.自分自身が新たな環境に飛び込んで、これまでとは違う未来を強く見据えていきたい
2.離れることになる組織に何を残すかだけでなく、離れたあとも成長できる組織として引継ぎをして離れたい
3.コロナ禍で叫ばれた”ニューノーマル”は、もうニューではなく、ノーマルになろうとしている中、何を信じて生きていくか迷っている暇はない

後ろ髪ひかれることなく、自分も組織も自信をもって歩みを進められる節目となる1年になるよう、頑張りたい。そのひとつとして、諸々の引継ぎをまずは考えていかなければ。

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