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追悼:中井久夫 奇跡のような知性

昨日は、オリビア・ニュートン・ジョンから始まって、いろんな人の訃報が流れる特異日だった。

その中に、中井久夫の訃報もあった。88歳。亡くなっておかしくない歳だが、それでも喪失感は大きい。

中井久夫とか、蓮實重彦とかの頭の中は、どうなっているのか、と常々思って生きてきた。

頭がよすぎて・・とても私なんかには論評できない。

中井はエッセイストでもあったが、ちょっとしたエッセーにも、こちらが打ちのめされるようなヘビー級の知性を感じた。

難解、というのとは違う。いかにも難しげな文章を書く人は、頭が悪い。

文章そのものはわかりやすい。どこまでも明晰なのだけれど、深い。重層的で、迷宮的で、宇宙的で・・。要するに、本当に頭のいい人にしか書けない文章だ。

例えば、前にも取り上げたことがあるが、『家族の深淵』というエッセー集に収録された「Y夫人のこと」というのがある。

本文は20ページに満たない短いエッセーだが、それに小さい活字の長ーい注がつき、その注にまた、さらに小さい活字の注がいくつもつく。冗談みたいな構成だが、その包含する内容の豊かさに圧倒される。まさに一個の小宇宙となっている。

主題の「Y夫人」というのは、中井が東京で暮らしていた一時期、それは中井によれば「人生最悪の時期」だったのだが、そのときに下宿させてもらっていた在日韓国人のおばあちゃんのことだ。

そのY夫人との交流から、日本と韓国の近代史の全体、その表と裏が、炙り出されていく。

その一方、そもそも京都大学のウイルス研究者だった中井が、なぜ東京に来たかが明かされる。それは、京大研究室のボスが社会主義者で、中井がフッサールを読んでいたのを咎められたからだった。中井は、そのボスと喧嘩して京大を飛び出す。中井は、人生をやり直すために、東京で眼科医と精神科医の修業を始めていた。そこから、左翼に支配されていた戦後日本のアカデミズムの生々しい実態が語られる。

またその一方、「Y夫人」に話さなかったこととして、驚くべき事実が語られる。Y夫人は、伊藤博文を暗殺した安重根を尊敬していたが、実は中井は、伊藤博文の親戚なのだった。そこから、明治以来の中井家の歴史(ほとんどは職業軍人)が語られる。

わずか20ページのエッセーを読んだだけで、中井の人生の紆余曲折だけではなく、日本史、韓国史、世界史、しかもそのコアな部分が頭に入ってくる。情報量が多すぎて、実は今もまだ「ちゃんと読めた」感じがしない。ただ心に残るのは、中井の反骨心や独立心、自らがいう「サムライの心」だ。

こういう知性、こういう文章を書ける人は、本当に何千万人に1人ではないかと思う。

あまりに天才すぎて、中井はむしろ、学術や芸術ではなく、臨床や社会貢献に生きた。もし学術や芸術だけをやっていたなら、今いるどんな学者や文学者よりも偉大な業績を上げただろう、と思わせるような人だった。

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