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リンゴは赤いが赤くない 実在を子供にいかに教えるか

「ねえ、お父さん、なぜ『リンゴは赤い』って言っちゃいけないの?」

「それはね、リンゴは赤いけど、本当は赤くないからだよ」

「それが何度聞いてもわからないんだ。学校の先生も『リンゴは赤い』って教えてくれたよ」

「それは先生が非科学的だからだよ。そんな先生は野蛮人だから、言うことを聞いてはいけません」

「小さい頃に読んだ絵本でも、『リンゴは赤い』って書いてあったよ」

「そんな本は害悪だから、読んではいけないよ」

「でも、お父さんの理屈が、何度聞いてもわからないんだ」

「どうして?」

「僕は、お父さんの息子だよね」

「そうだよ」

「リンゴは、食べられるよね」

「食べられるよ」

「で、リンゴは赤いよね」

「いや、リンゴは赤くない。お前が私の息子であり、リンゴは食べられる、と同じような意味では、リンゴは赤くないんだ」

「それを、もう一回説明してくれる?」

「いいかい、夜になると、暗くなるよね」

「うん」

「夜、家の電燈を全部消しちゃったら、家の中も真っ暗になる」

「うん」

「真っ暗な中でも、お前は私の息子だよね。暗くなったら、お前は私の息子でなくなる、ということはない」

「そうだね。そうじゃないと、困るな」

「リンゴがそこにあったら、暗い中で手を伸ばして、それを食べることができる」

「うん」

「では、真っ暗な中で、リンゴは赤いと思うかい?」

「赤いんじゃないの。リンゴは赤いはずだよ」

「そうではない。そのリンゴは赤くない」

「どうして? 見えないだけで、リンゴは赤いままのはずだよ」

「いや、赤くない。なぜなら、お前が『見る』ことによって、初めてリンゴが『赤く』なるからだ。お前に見えない限り、リンゴは赤くないんだ」

「そこが、何度聞いてもわからない」

「リンゴは固い。暗い中で、手を伸ばして触っても、固いままだろう。リンゴが赤い、というのも、それと同じだと考えがちなんだ」

「違うの?」

「赤というものが、リンゴというものにベッタリとついていて、それは暗い中でも変わらない、と思ってしまう。『見る』のは、それを確認するだけだ、と」

「見るって、そういうことじゃないの?」

「そうだね、人はそういう勘違いをしがちなんだ。ものに触るように、目が世界に『触っている』ように感じる」

「うん・・そんな感じだと思う」

「だから、それを確かなものと感じてしまう。でも、『見る』というのは、そういうことではないんだ」

「目で見えるものは、確かなものではない、ということ?」

「世界の本当の姿ではない。世界の本当の姿、それを実在というんだけど」

「じゃあ、僕が見ているリンゴは、本当のリンゴの姿ではないの?」

「そうだよ。本当のリンゴは、赤くないんだ」

「へえ。もっと教えて」

子供に実在を教えるのは難しい。

私には子供がいないが、人はどんなふうに教えているのだろうか。

こんなふうに教えてはどうか、と、導入部分を考えてみたのだが、どうだろうね。

私が本当にわかっているかも怪しい(科学監修が必要だ)。





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