リンゴは赤いが赤くない 実在を子供にいかに教えるか
「ねえ、お父さん、なぜ『リンゴは赤い』って言っちゃいけないの?」
「それはね、リンゴは赤いけど、本当は赤くないからだよ」
「それが何度聞いてもわからないんだ。学校の先生も『リンゴは赤い』って教えてくれたよ」
「それは先生が非科学的だからだよ。そんな先生は野蛮人だから、言うことを聞いてはいけません」
「小さい頃に読んだ絵本でも、『リンゴは赤い』って書いてあったよ」
「そんな本は害悪だから、読んではいけないよ」
「でも、お父さんの理屈が、何度聞いてもわからないんだ」
「どうして?」
「僕は、お父さんの息子だよね」
「そうだよ」
「リンゴは、食べられるよね」
「食べられるよ」
「で、リンゴは赤いよね」
「いや、リンゴは赤くない。お前が私の息子であり、リンゴは食べられる、と同じような意味では、リンゴは赤くないんだ」
「それを、もう一回説明してくれる?」
*
「いいかい、夜になると、暗くなるよね」
「うん」
「夜、家の電燈を全部消しちゃったら、家の中も真っ暗になる」
「うん」
「真っ暗な中でも、お前は私の息子だよね。暗くなったら、お前は私の息子でなくなる、ということはない」
「そうだね。そうじゃないと、困るな」
「リンゴがそこにあったら、暗い中で手を伸ばして、それを食べることができる」
「うん」
「では、真っ暗な中で、リンゴは赤いと思うかい?」
「赤いんじゃないの。リンゴは赤いはずだよ」
「そうではない。そのリンゴは赤くない」
「どうして? 見えないだけで、リンゴは赤いままのはずだよ」
「いや、赤くない。なぜなら、お前が『見る』ことによって、初めてリンゴが『赤く』なるからだ。お前に見えない限り、リンゴは赤くないんだ」
「そこが、何度聞いてもわからない」
「リンゴは固い。暗い中で、手を伸ばして触っても、固いままだろう。リンゴが赤い、というのも、それと同じだと考えがちなんだ」
「違うの?」
「赤というものが、リンゴというものにベッタリとついていて、それは暗い中でも変わらない、と思ってしまう。『見る』のは、それを確認するだけだ、と」
「見るって、そういうことじゃないの?」
「そうだね、人はそういう勘違いをしがちなんだ。ものに触るように、目が世界に『触っている』ように感じる」
「うん・・そんな感じだと思う」
「だから、それを確かなものと感じてしまう。でも、『見る』というのは、そういうことではないんだ」
「目で見えるものは、確かなものではない、ということ?」
「世界の本当の姿ではない。世界の本当の姿、それを実在というんだけど」
「じゃあ、僕が見ているリンゴは、本当のリンゴの姿ではないの?」
「そうだよ。本当のリンゴは、赤くないんだ」
「へえ。もっと教えて」
*
子供に実在を教えるのは難しい。
私には子供がいないが、人はどんなふうに教えているのだろうか。
こんなふうに教えてはどうか、と、導入部分を考えてみたのだが、どうだろうね。
私が本当にわかっているかも怪しい(科学監修が必要だ)。
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