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日記16 映画鑑賞

やっと日記らしい記事が書けます。
今日は最近ふとした時に頭によぎる
映画の「花束みたいな恋をした」を見ました。

1回目は就活を意識し始めたとき、
2回目は就職して色々あって離れて自分のペースを取り戻した今。

暮らしは1回目とそう変わらないけど、
この映画を見ようと思った理由も、私自身を取り巻く環境も、
暮らしや仕事への価値観も、
ほんの数ヶ月で変わり果てた上での映画鑑賞となりました。

久しぶりに見たので、「こんなシーンあったんだ」みたいなことも
多々あって、基本的に本も映画も2周目ってしないのですが、
今回は悪くないな、というか本当に見てよかったと思いました。

ここから先は映画の感想を、仕事との関わり方の視点から書いていきます。
ネタバレもあるかもしれないので、ご注意ください!

パリの美術館で見た絵

上で”暮らしはそう変わらない”と書いたけど、
ずっと変わらなかった訳ではなくて、
仕事を始めて未来に対して希望を持てなくなってしまったこと、
自分の中で譲りたくなかった「生活リズム」がどんどん狂っていって
次第に身と心まで狂っていったこと、
同じくらい譲りたくなかった「大切にしたい時間」までもが
奪われるみたいに作れなくなっていったこと、
当たり前だと思ってた自分の笑顔が
どんどん作り物になって上手く笑えなくなったこと、
家だけじゃなくて電車でも涙が出そうで
必死に流れないように心の呼吸を止めそうになったことがありました。
でも、いっぱい変わってしまったからこそ、
これ以上変えたくないし、変わっちゃダメだと思ったから
恥も新卒カードも一旦捨てて、
まだ今なら引き返せるタイミングを逃すまいと、仕事から離れました。

この映画での麦くんと絹ちゃんも
「僕の夢は、絹ちゃんとの現状維持」ともあったように、
今までの生活が続くことを望み、より良くしようとしたはずが、
考え方だけじゃなく関係性まで変わっていってしまった。
という状況がすごく重なって、苦しかったです。

自分自身、経済的に自立するために就職する道を選んだのに、
悪い方向にしか進んでいない感覚があったし、
転職するにしてもも少なくとも1年は働いた方がいという固定概念
もあり、仕事に対しての向かい方が周りの友達とは明らかに違う感覚
も感じていて、何よりも自分の心がボロボロになっている感覚もあって、
色々と変わっていってしまった。

その状況でできることは、2択に絞るなら、
変わってしまう現実を受け入れるか、
一旦振り出しに戻って前のような生活を取り戻すかになる気がしていて、
映画でいうなら、前から見ようと予定してた舞台が
麦くんの出張の前乗りの日と被ってしまい、どっちを優先するかのシーン
ならまだ引き返せたのかなと考えたりしてしまいます。


そして、その後の「仕事だから」という言葉は、
どんなにあなたとの時間を大事にしたい
と声を大にして言っていたとしても、
逆らえないです。悔しいけど。
仕事だからと言われたら受け入れるしかない。
絹ちゃんがああやって言っちゃうのもすごく共感するし、
でも麦くんの仕事だからと言いたい訳じゃないこともすごく分かる。
受け入れるしかないけど受け入れたくないし、
時間を作りたいけど仕事だから仕方ないと割り切るしかないのも
分かるけど、こういうのって、どうしたらいいんでしょう。
今の私にはわからないです。

何を大事にするのか、優先するのか、
何事も、どっちもは無理だと思っていて、
何かを手に入れたいならどれか一つ、引き換えに捨てなきゃいけない。
持って置ける数って、多分決まってるんじゃないかなと思います。

私の生涯大事にしたい考え方に、
「一つ手に入れたら、一つ捨てる」
「自分の頭で把握と管理ができる範囲で」というのがあります。

どんな時もどっちも欲しがるわがままな私ですが、
最近はどっちか一つ、と唱えるように言い聞かせ、
どっちか一つを捨てます。

捨てる決断は悲しいけど、スッキリするし、悪くはないです。


ここまでつらつらと書いてきましたが、
「とは言ってもその二人の運命であって、仕方ないよな」
とも思ったりしています。
多分、この話で言う「結婚」みたいな、
一つの区切りまで辿り着く人は、なんとかお導きがあるし、
別の道からのアプローチが必要なら、そのお導きがあるし、
人間なるようにしかならないので、それはそれで
受け入れるしかないのかもしれません。

隙あらば自分語りをしてしまいましたが、
改めてこれからの生き方や働き方を
考えさせられるきっかけになりました。


もう4年前の映画になってしまったみたいです。
時の流れの早さを感じずにはいられませんね。



ここまで読んでくださりありがとうございます。




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